読書についての記録集成
2003 ~ now
2016/7/23 のとある積読山脈の風景
いつだって決定的な文章は過去に書かれていて、それを書いたのはいつかの自分なんだけどそれはいまの自分ではなくて、いつだっていまの自分はいつかの自分にぶっ飛ばされるしかない
つまりいつでも 過去→現在
であって 過去←現在
となることはない
2003
2003/1/31
山形浩生
ロブ・フリッケンガー
2004
2005
2006
2007
この世界の始まり
2008
2009
2010
2011
2011/6/29
ローレンス・レッシグ "CODE"
2003年から積読だった!
2011/7/6
2011/8/14
2011/8/24
2012
ダーウィン「
種の起源」、1回目のチャレンジ、そして失敗
2013
グリック「インフォーメーション」
2013/4/25
2013/8/5
2014
産業革命について掘っていた?
2015
先見日記は 2002/10~2007/04 に渡って書かれた
Blog 以前
2015/1→2016/4 にかけてディグしていた
ダーウィン「種の起源」、2回目のチャレンジ
2015/4
キンドルで読み始めて、本で読み終わっているらしい
2015/7
読了
ビーグル号航海記
2015/8/14→2016/3/14
2015/11/1
2016
2016から2017は、たぶんそれ以前でもそれ以降でも、一番たくさん読んでて、2016は100冊くらい読んでて、そのうち半分くらい読了したらしい
このとき「読了を前提としない」という習慣が出来上がった
積読山脈 -nize の始まり
でも、そういう「量」に物を言わせるような読書はもうイイかな、と思った
> まずコーヒー。 そして読書。狂ったように読み散らかすことが偶然を呼び込むことを体験したこと。 地球創成と化学分子と生物の進化論と、シャノンの情報理論と、赤瀬川サンのこの世界に溢れている偶然と、それらを一直線に繋げるエントロピーの話。 たぶん勘違いだけど、何百年も未来に21世紀初頭が科学史としてどういうふうに評価されるのか見えたような気がすること。 サン・ラ、全然離陸できない(最高ーーー) とにかく偶然の話。 https://taizooo.tumblr.com/post/137475760215
2016/1/17
2016/2/14
2016/2/28
> 読書、ひとつの本を読みきらずに、興味のままに読む、毎日ちょっとづつ読む、読まなくてもとにかくページを開く、気になったところは赤線を引く、耳を折る、読了を目的としない、とにかく本はページを開くのだ、というスタイルに移行して2ヶ月。この2月は18冊ばかり読み散らかしてそのうち7冊読了した。今、読んでいるヤツでメインは「大陸と海洋の起源」なんだけども、これは読みだしてから1ヶ月、やっと上巻が終わった。1冊読み終えるスピードは全然上がる気配がない。でもいつもならとにかく読み終わるまで他の本に手をつけることがなかったので、それから比べたら本当に今までにないペースで読んでいる。本読んだからって何か、人生とか、運命とか、そういうのが変わるってことはまずないけども、読み切ることから自由になるだけでこんなに軽々とした気分で本読めるのかと思うと、本当に生まれ変わったみたいな気分だわ。 https://taizooo.tumblr.com/post/140323427300
2016/3/2
> 読みっぱなしの読書の話、ちょっと工夫があって、それは読んだ本のことをノートに付けるようにしていること。何冊も同時に、ちょっと2, 3ページだけ読むとかそんなふうに、本当に適当に読み散らかしているので、いつ頃、何の本の、どの辺りを読んだのかアンカーを張っておかないと、現在位置がどこなのか全然わからなくなってしまう。で、後から見返すというよりは文字に書き起こしておくと、なんとなく記憶に残るみたいな感じ。小さいノート使っていて、早く速くたくさんどんどん書きたいので小さな文字で読めるか読めないかギリギリに詰め込んでいて、なんかカンニングペーパー書いているみたいな気分になる。たぶんオレ、 tumblr が無くなったらこうやってノートになんかの引用をたくさん書き綴るようになるんだ。だから別に寂しくなんてないんだ。たぶん。おそらく。 https://taizooo.tumblr.com/post/140381828965
2016/3/3
2016/5/9
> 「なぜインターネットはアメリカで始まったのか」を考えるために、「なぜ産業革命はイギリスで起こったのか」を調べていたら、「なぜアメリカ大陸はヨーロッパに支配されることになったのか」が疑問になって、「なぜルネサンスはイタリアで起こったのか」にたどり着いたら、なぜかルクレティウス「物の本質について」を掴んでレジに立っていたという。 インターネットの手前あたりにレッシグ「CODE」が挟まってて、インターネットと産業革命の間あたりにウェーゲナー「大陸と海洋の起源」が挟まってて、産業革命とアメリカの間あたりにダーウィン「種の起源」が挟まってて、産業革命とルネサンスの間あたりたぶんよくわからないいろいろが挟まってて、ルネサンスとゼロのあたりにたぶん新約聖書が挟まってる。 書籍も歴史も多層的、重層的に積み重なっている。 https://taizooo.tumblr.com/post/144797507130
2016/5/23
2016/6/8
青空文庫、寺田寅彦を掘ってた
先見日記が終わって、手持ち無沙汰で寺田寅彦に行ったんだと思う
> 何度読んでもおもしろく、読めば読むほどおもしろさのしみ出して来るものは夏目先生の「修善寺日記しゅぜんじにっき」と子規しきの「仰臥漫録ぎょうがまんろく」とである。いかなる戯曲や小説にも到底見いだされないおもしろみがある。なぜこれほどおもしろいのかよくわからないがただどちらもあらゆる創作の中で最も作為の跡の少ないものであって、こだわりのない叙述の奥に隠れた純真なものがあらゆる批判や估価こかを超越して直接に人を動かすのではないかと思う。そしてそれは死生の境に出入する大患と、なんらかの点において非凡な人間との偶然な結合によってのみ始めて生じうる文辞の宝玉であるからであろう。
仰臥漫録
2016/6/11
漱石日記
2016/7/5
2016/8/2
2016/8/29
2016/9/18
2016/9/19
2016/10/2
2017
2017/2/24
2017/3/12
2017/3/13
2017/6/12
2017/11/21
2017/11/27
2017/12/28
2018
2018/5/3
2019
アレックス・ロス「これを聴け」
2018/12
インターネット創世記
2019/1/30
Training for the New Alpinism
2020
> 読書、グリック「タイムトラベル」、リドレー「やわらかな遺伝子」を読み終わって、次になにを読むか決めかねている。
> 自分の読書体験はインターネット以前、インターネット以降とで断絶してて(ここでいうインターネットとは2007年辺りを指す)、いまはインターネット以降なのでその体験は URL をひたすらたどるのと全く同じになっている。もう書評や誰かのレビューから白紙の状態で受け取るような読み方ができない。なにを読んでも必ずなにかに繋がっている。
2020/1/12
> 一番は「インターネットとはなんなのか」から始まっている。それがいつの間にか「世界とはなんなのか」「人間とはなんなのか」という方向に進んで、気がついたらいまここにいる、みたいな感じ。
> 行間や積読のあいだにリンクが飛び交っているのが見える。もう書評や誰かのレビューから白紙の状態で受け取るような読み方は出来ない。リンクが発火してる。
2020/2
2020/8
2019~2020 別録
後でちゃんとマージするかも、しないかも
2021/5月
音楽と身体を動かすことと読書とインターネットが渾然一体と化している
2019
ベスト・オブ・ザ・イヤー2019のバック・トゥー・ザ・フューチャー
2019年のベストといいつつ20世紀を行ったり来たりしてた(2019/12月)
そして、それはインターネット創世記でもあったりする
2019年は平成の終わりだったのと、平成の始まりがインターネットの始まりだったから
メタファーとしてのタイムトラベル
2020
ロサンジェルス・フィルハーモニックとエサ=ペッカ・サロネンを掘る
アレックス・ロス「これを聴け」6章、で20世紀のクラシカル・ミュージックを聴き漁る。そしてアレックス・ロスの前作「20世紀を語る音楽」を積読山脈に積む(2020/1月)
COVID-19 との戦いの日々 (2020/2月~)
ちょっとおかしい感じになりつつ、積読山脈を積んだり崩したり、クラシカル・ミュージックを聴いたり聴かなかったり、生活をなんとか保つ日々(それは今も同じか?)
コンロン・ナンカロウからジェルジ・リゲティ、そしてジョン・ケージ
「今週末のプレイリスト」を毎週、組むようになって spotify のサジェストからコンロン・ナンカロウを発見する
コンロン・ナンカロウ、ジェルジ・リゲティのプレイヤー・ピアノから、ジョン・ケージのプリペアド・ピアノ、そして20世紀のクラシカル・ミュージックに接続した(2020/9月)
数年前に積読山脈(Amazonの
ウィッシュリスト)に積んでいたドラッカー唯一の自伝をふとしたきっかけで読み始める
ドラッカー「傍観者の時代」(2020/8月)
そして20世紀の出来事とドラッカーの著作をマッピングしてなにかに気づいたような気になる
1920年から2020年という100年間をタイムトラベルした気になる。そこには2つの世界大戦と冷戦と融和をはさんで、スパニッシュ・インフルエンザと COVID-19 という相似が横たわっている
2021
2021年の到来と同時に、2017年以来の、怒涛の読書期が到来した
ダーウィン以前に到達する。そしてフンボルトからウェルズ、ゲーテまで一気に接続する
まるで世界で初めてそれを発見したみたいに
宇野重規「民主主義のつくり方」(2021/2月)
伊藤邦武「プラグマティズム入門」(2021/2月)
「プラグマティズム古典集成」
途中、濁流にゴウゴウと流されつつも積読山脈に連なっていた「メタフィジカル・クラブ」をすんでのところで捕まえて一命を取り留める
停滞する
迷子の様子
停滞を突破
プラグマティズムの話と不平等の話は視座をずらすと繋がるんですよ、というこじつけ
視座を、それぞれの「事象」から『20世紀』という「時間」にずらす
> というか、19世紀から20世紀に生きた人たちのことを考えている
> そのままスライドさせると、20世紀から21世紀を生きる自分たちのことになったりする
20世紀初頭、21世紀初頭、100年期の入り口を生きるわれわれの話
次を考えている
2022
ロシアがウクライナに侵攻して読書が止まった(呪いに罹る)
いま現在が、まるで20世紀の始め、第一次世界大戦の頃と地続きで繋がったような感覚になった
知りたかった過去が、見たくなかった現在に直結してしまった
読書に対する無力感があった
2020年以降、世界は変わりつつあったのに、まだ慣性の法則が働いていて、アレ? なんかおかしいぞ、って心と体全部で理解したのが2022年だったのだろう(2023年の今になってやっとわかったような気がする)
そのへんの感じをここに書いた
2022/01
これを読んで、書かれている内容が自分の追いかけていたことにマッチしすぎていて、ちょっとした軽い絶望感があった。あとあと考えると、これも呪いだったかもしれない
2022/02
2022/03
2022/09
2023
呪いはいまだ解けず
2023/02
> 怒涛の読書期には2日間で読み切ったティム・インゴルド『ラインズ』を積読山脈から掘り返して、ノロノロ、ヨタヨタと読んでいた。
> いまだ読書は戻って来ず、惰性にまかせて『おくのほそ道』を読み返していた。
2023/04
ピエール・バイヤール『読んでいない本について堂々と語る方法』
ティム・インゴルド『人類学とは何か』
2023/07
クロード・フィッシャー『電話するアメリカ』
2023/10
> いまだ読書は戻って来ず、惰性にまかせて『おくのほそ道』を読み返していた。
2023/11
> ゲオルク・ジンメルは『橋と扉』で、こう言っている。
2023/12
> 来たるべき2024年に向けて( 呪いをかける)
アルマン・マリー・ルロワ『アリストテレス 生物学の創造』
野矢茂樹『語りえぬものを語る』
2024
古い呪いが解かれ、新しい呪いに罹った。2017年、2021年に続く怒涛の読書期が始まった兆し(予定は未定)
2024/01