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Plurality Tokyoを開催します
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イベントに関する詳細

Plurality TokyoはETH Tokyo Globalで世界から集まるPluralityに関して実験をおこなっているさまざまな分野のリサーチャーや開発者、テクノクラート等と共に、持続可能的かつ活発なコミュニティを形成することを目的としたイベントです。テクノロジーが「singularity」に到達する方向に向かうより、人が持つ力を強めてくれる役割となり、より強い「plurality」に繋がる形を一緒に模索しましょう。

ゴール

日本に点在しているPluralityの文脈と台湾、アメリカなどで発展してきた、pluralityの文脈の擦り合わせ
東京でやるのならば、日本でどのようにこの議論が発達してきたのかと、これから世界的にどう繋げられるかを共有するいい機会だと思っている
日本から生まれた思想がオードリータンに影響を及ぼしているケースもあれば、逆もまた然りなので、その絡み合った文脈に対する認識を擦り合わせたい。
この擦り合わせの結果、アカデミアで共著論文などが生まれたら新たな文脈の生成につながる。
ブロックチェーンを「web3」と言った加熱しすぎたバズワードの一部で消費させるのではなく、次の時代の公共財を形成するツールだというナラティブを加速させる。
日本の中のブロックチェーンの議論の主軸をそちらに傾けていきたい。
つまり、Pluralityというミームを日本で高速に流通させたい。
持続的なコミュニティを形成することによる新しいイニシアチブの促進
可能な限り、イベントの設計は、コミュニティの生成の方向に集中したい。
もはや、これが存在するかしないかで、日本国内でpluralityというミームの拡散速度が変わると思っている。


日時
4/12 13:00-22:00

コンテンツ
大枠は以下の通りです。基本的に、刺激を受けて楽しかった〜ではなく、コミュニティの形成とそこから生まれるものに期待しているので、参加者同士の共通トピックとして、Key noteと Panelを準備。そこから、交流としてUn conferenceと懇親会を長めに取ります。
Key note
Panel
LT
sponsered session
Plurality Policython
Un conference
懇親会

言語
Linguistical pluralityを追求するので、テクノロジーで殴って解決します。
使う言語は英語+UD Talkというアプリを使って、それを自動翻訳していきます。
スライドは基本的に英語にする。
UD Talkを絡めた運営はhal_sk氏が経験があるので、知見をシェアしていただきます。
タイミング的にどうか分からんけどインターン中ずっとUD Talkで字幕配信してるから関さんの指示のもと作業役とかできるかもkota-yata


Plurality Tokyoのきっかけとなった、Plurality Conferenceについて

Plurality Conference」とは、Plurality Research Network Conferenceの略で、plurality institute2023/1/13~14にUC Berkeleyで主催した国際カンファレンスです


Pluralityとは何か

"Plurality"とは、形容詞の一つで”複数のものから成り”、単数でもないを表す単語です。
すべての平行線が交わる点を表す単語「singularity(シンギュラリティ)」の反対とも解釈できます。

この単語を、現代思想の1つとして概念のエンジニアリングを行ったのが、台湾のデジタル大臣であるAudrey Tangaudreytです。

VR(バーチャルリアリティ)は人との触れ合いを代替するものではなく、鉛筆と紙、電話など過去の延長線上に位置する
時間の次元を超越する
物理的距離から解放する
技術発展によって、参加ハードルが下がったデジタルコンセンサススペースは、多くの人の視点と文化背景のバランスをとることができる

>@audreyt: My #OSOSNZ prayer. Thank you all fabulous people!
>

>“IoT(Internet of things)"を見たら、インターネットのあり方(Internet of Being)にしよう。
>
> “VR(仮想現実)”を見たら、それを共有現実(shared reality)にしよう。
>
> “機械学習”を見たら、協調学習(collaborative learning)にしよう。
>
> “ユーザーエクスペリエンス”を見るときは、人間の体験(human experience)についてにしよう。
>
> “シンギュラリティが近い”と言われても、複数がある(plurality is here)ことを忘れないでください。

この単語は「RadicalxChange(以後、RxCと表記)」という非営利のコミュニティ?でも、Glen Weylによってたびたび言及されてきたものでもあります。
RxCは経済学者のGlen Weylによって作られました)
>Founded by economist Glen Weyl in 2018, the RadicalxChange Foundation is a 501(c)(3) nonprofit dedicated to advancing the RxC movement, to building community, and to education about democratic innovation.
>
>2018年に経済学者のグレン・ウェイルによって設立されたRadicalxChange Foundationは、RxC運動の推進、コミュニティの構築、民主的イノベーションに関する教育を目的とする501(c)(3)の非営利団体です。

のちにこの概念に共感した二人は、共に一つの本(デジタル出版、記事の執筆)を現在進行形で行っています。
この文章を日本語に訳すのはとてもむずかしく、”文脈を把握して日本語に訳す”プロセスそのものもこの国の言語を発展させるので、ぜひ本文を読んでほしいです。
そして、LearningengAkitkgshnによる日本語訳も存在します。

この進行中の著者に関して軽く説明しておきます
audreytオードリーは、現実世界におけるスケールの大きなオープンガバナンスのリーダーです。台湾では、オープンソース技術、コミュニティ参加、web3インフラをベースに、オープンなガバナンスと公の場での議論のための様々なシステムの構築に貢献してきました。特に、オードリーのデジタルアフェアーズ省は、IPFSのアクティブなユーザーです。彼女の努力は、市民主導の政策立案から、台湾で流行しているCOVIDの効果的な管理まで、大きな影響を及ぼしています。これらの取り組みにより、今では有名なvTaiwanシステムが生まれ、台湾は最も革新的なデジタル民主主義国家というステータスを獲得しました。

glenweylGlen Weylは政治経済学者であり、Microsoft ResearchのPrincipal Researcher(主任研究員?)、RadicalxChangeのFounder、Prinston Universityの講師をやっています。
多元的で包括的かつ民主的なコミュニティを構築するためのテクノロジーとメカニズムの領域における先駆的な仕事で知られています。彼は、Quadratic Votingや、分散型社会のアーキテクチャ構成要素といったアイデアの導入と管理を支援してきた。
彼は最近、Bloomberg Top 50Wired Magazineの次の25年のテクノロジーを形成する25人のリーダーの一人、Coindeskの2018年のブロックチェーンにおける最も影響力のある人物の一人として表彰されました。

Why I Am a PluralistでもGlen Weylが語ったように、一種の政治思想だと言及しています。


「Plurality: Technology for Collaborative Diversity & Democracy」というタイトルに関して、この文章を訳したときにものすごく難しさを感じた。

そもそも世界中で統治技術に関する議論は少なく、表象の政治ばかりが散見される。
たとえば、"technology"という言葉は、IT革命などの文脈(日本語では「テック」と訳されるように感じる)だけではない。
こういうとき哲学であれば大体するように「テクノロジー」という単語の語源を探ると、古代ギリシャ語の"τεχνη"(テクネー)(=「わざ」)的なもの全般を指す語に由来すると書かれている。
> 語義: 物事をたくみに行うわざ。技巧。技芸。  科学を実地に応用して自然の事物を改変・加工し、人間生活に利用するわざ。(広辞苑)
>
> 語源: 英語の"technology"等の語は、古典ギリシャ語の、"τεχνη"(テクネー)(=「わざ」的なもの全般を指す語。ラテン語では"ars")に由来。今日的な意味での使用は、やはり19世紀半ば以降からであるとされる。
>
> 近代的な技術の成立  技術の近代化についても各種の見方があるが、一般的には、18世紀後半からの産業革命(紡績機、蒸気機関等)と、19世紀後半からの第二次産業革命(重化学工業の発達)が重要な画期として位置づけられている。

> ギリシア語のテクネーは近代語のtechnique(英語)、Technik(ドイツ語) の語源にあたる語であるが、本来的、逐語的にはart(英語)、Kunst(ドイツ語)に相当する語である。すなわち、テクネーは、その語根teks-が「製作・建築」を表していることからもわかるように、芸術をも含んで広く技術一般を意味するのである。たとえば、絵画、彫刻などの諸芸術をはじめ、医学、建築法、弁論術、料理法などおよそ人為による所産に関してテ クネーの語が適用され、その意味では自然と対立することにもなっている。このように古代ギリシアでは、人間の制作活動一般に伴う知識や能力が尊重され、それら全体がテクネーの名 で統括されていたのである。
>
> 哲学者プラトンの『ゴ ルギアス』によれば、テクネーは単なる経験から区別されて、対象の本来的性質についての理論的知識(ロゴスlógos)をもつ働きを意味していた。 さらに彼は『ソピステス』において、この人間の理性的活動一般としてのテクネーを、 諸技術と芸術とに分類し、後者をとくに「模倣技術」とよんだ。これは、ある実在的な事物を模倣すること(ミメーシスmímēsis)によって非実在的な模像を制作する活動であり、この模倣の概念は、芸術の本質規定としてアリストテレスに受け継がれている。

これらは明らかに現在幅広く使われているテクノロジーを「テック」という単語とは違う意味を指すように読めるtkgshn

統治技術とその歴史

>“Plurality”とは、一元論、二元論ではなく多元論、多義性や多相性を持ち、中央集権ではなく非中央集権、専制政治ではなく民主主義、画一性ではなく多様性をステートメントとする、「統治技術」の1つです。
私はPluralityをこう解釈し、日本語で書いた。
ここでいう「統治技術」は、社会をどのようにして漸進的に作り上げていくことができるか。そのための思索、実験という意図がある。

政治哲学の右派の祖先はホッブズです。ホッブズは想像上の人間の本性である「万人の万人による闘争状態」(自然状態)を避けるために、中央集権的な主権者のリーダーシップの必要性を唱えました
規律なくみんなが自分の思う通りに行動すれば、お互いに闘争をせざるを得ない状態になってしまう。そこで、自分たちの手で"決まり"を作り、それらを守ることで、共存していこうと。
>ホッブズはこの著作の中で、社会契約によって形成された理想な国家(コモンウェルス)のことを「大怪物」としてのレヴィアタン(リヴァイアサン)になぞらえており、同時に、それは怪物というよりも、「人間に平和と防衛を保障する「地上の神」と言うべきだろう」とも述べている


加えてこの統治技術という単語は決して"支配の技術"を指しているわけではなく、左派の先祖、ルソー人間不平等起源論風にいうと、人は社会を作りたくないけど、作らざるを得ない”。ならばどのように、マシに、社会を作ることができるのかという問いである。
ルソーは、「社会契約(Social Contract)説」の論理を提唱し、社会契約と一般意志なる意志による政治社会の理想を論じた。
国家と社会契約を結び、国家から公共サービスを享受するために、市民は一般意志の名のもとに統治される。
つまり、人は国家を作り国家に縛られているのだ。
各々の人がそれぞれの私利私欲を追求すれば社会が崩壊するでしょうという言葉通り、個人への最適な意思決定に対するクレームを捨てて、一般意志を優先することを示している。
人々が契約を交わして共同体を樹立(社会契約)において約束は一つだけ、“これまで持っていた特権と従属を共同体に譲渡して平等な市民として国家の成員になること”。
ルソーは、各構成員は共通の利益を志向する「一般意志」のもとに統合されるべきだと主張した。
一般意志は共同体(国家)の成員である人民が総体として持つとされる意志のこととされ、一般意思、普遍意志とも言われている。

そして、統治とは、政治・行政機構としての「政府」を意味するものではなく、「個人や集団の行為を導く様式」、また、「他者の行動のさまざまな可能性に対して働きかけるように定められた、多少なりとも熟考され計算された行動様式をも含む」ものであるという。

元々、「統治性」という概念は、ミシェルフーコーが発明したものだ。
統治性と訳されるGovernmentalityには、mentalitéという言葉が含まれており、読んでいくと”Governmentality“という言葉で「統治性(統治技術)」と「統治心性(統治理性)」という意味を含蓄させていることがわかる。
>統治の技(art of government)
>統治の方法(the "how" of governing)(つまり、私たちがどのように行動し、ふるまうかを指示する計算された手段)
>政府の合理性(governmental rationality)
>理性的な最善の統治と同時に反省する行為(The "reasoned way of governing best and, at the same time, reflection on the best possible way of governing)

ものすごく簡単にいうと、「どうすればより良い社会を作れるのか」を模索するのが統治技術なのだ。


この「統治技術」という単語を出したとき、今自分たちが活発に議論しているものではないように感じる。
では、この日本語圏で議論されている「政治」のようなものは、なんなんだろうか?これを、"表象の政治"という単語で哲学者の東浩紀東浩紀宇野重規宇野重規は語る
>いまリベラルは表象の政治についてばかり話していると言えませんか。「さまざまなマイノリティの苦しみや不満を表象しなければいけない」と言う課題をかかげていて、それは着々と実行されている。
> でもそれで問題が解決するのかと言えば、けっしてそうは言えない
> ── そのときに、表象の政治とは別の、統治技術についての議論が必要になる

2023年現在、さまざまなマイノリティの苦しみや不満を表象しなければいけないという「表象の政治」に関しては着々と実行されているように思える。
しかし、それで問題は解決しているようには思えない。表象の政治ではなく、統治技術について考えるタイミングがまさに今なのだ。

今こそ、統治の問題を考えなければいけない。

「Web3」界隈における分散化というワードは、間違った問題に焦点を当てている
このPluraliyという概念は、Glenを筆頭に現代的なメディアでも徐々に話題になっている。今、世界中が現代のパラダイムで古典再読をしている最中なのだ。
「Web3」界隈における分散化というワードは、間違った問題に焦点を当てているという批判を展開するWIRED(US)。
Web3における分散化の議論は、"どれだけ分散しているか"という焦点で語られることが多い。(中央集権→非中央集権を目指す、「分散していることはいいことだ」という風に)
そのWeb3な人たちが語るレガシーな「中央集権」なサービス(例: 銀行)は、実際には地方の支店に活動を委任していたり、(Bitcoinerなどから)筆頭に挙げられる中央銀行でさえ、コンソーシアム型であることが多い。アーキテクチャ上、中央集権型クラウドは、実際にはそれほど中央集権ではない。
「次世代技術は中央集権型か分散型か」という誤った議論をするのではなく、望ましい分散化のパターンを"どのように整えるか"を問うべきす。そのためには、分権に何を求めるかを明確にする必要がある。
そこでPluraliyにおいて、分散化の価値とは
人々が社会的文脈の中で決定的に行動する力を純粋に与え、一方で文脈を超えた必要な調整のメカニズムを提供することにあると考えます
これは、情報、計算、モデレーションなどに関する意思決定の権限が、関連するグループから「離れた」当局の手にますます握られている現在の技術的状況とは対照的です。
私たちが考える地方分権とは、調整に関するものです。それは、目前の意思決定に最も関連する社会的文脈の周りに集まった「ローカル」ユニットの連合体を通じて問題を解決することを強調するものである。
これは新しい考え方ではない。米国の連邦制は、地方政府、州政府、国政府から構成されているが、基本的にこの補完性の原理からきており、オープンソースのコードリポジトリやWikiのような情報集約のための構造も同様である。
重要なのは、これらのローカルユニットがコンポーザブルであること、つまりモジュラーで相互運用性があり、本質的にはよりグローバルな規模に「積み重ねられる」ことで、一見すると調整のために集中化が必要と思われる問題を、分散型システムが効率的に解決することを可能にすることです。

おそらく、最初から補助的に設計されたシステムとして最も有名なのは、「ネットワークのネットワーク」であるTCP/IPベースのインターネットでしょう
Mastodonなどのソーシャルネットワークや関連アプリケーションのためのActivityPub規格
Local First」コンピューティングのためのアーキテクチャや、多様なプログラム間の相互運用性のためのデザインなど、Ink and Switchのさまざまな研究プロジェクト。
SpritelyBrightIDBackChannelなど、さまざまなソーシャルローカルIDシステム。
Federated Learningと、より広範なプライバシー保護型機械学習。
メッシュネットワーク
データ協同組合、協同組合、信託。
ウィキペディアやウィキベースのコンテンツ構造をより一般的に。
Redditのようなコミュニティコンテンツモデレーションシステム。
コミュニティファーストのクラウドコンピューティング、ファイルストレージ、タイムシェアリング


このレベルの議論が英語圏で展開されていて、Plurality Conferenceという国際カンファレンスにtkgshnも参加した。
UC Berkeleyで行われたPlurality Conferenceに参加した」という記事を書いたが、日本語圏でもこの流れをしっかりと取り入れるべきではないだろうか。
(まぁだからPlurality Tokyoやろうって話になったんだけども)



>


なぜPluralityが必要か、ここでは東浩紀ゲンロン0 観光客の哲学で言及した、「ネットワーク理論」を使って説明しよう。
インターネットももちろん「ネットワーク」の概念はより幅広いジャンルに応用できる。国家間の関係や、生態系の食物連鎖、細胞内のタンパク質など...
多数の「実体」と、それらを結びつける「関係」がある(グラフ理論ともいう)
多くの概念をネットワークで表せる
友人関係も、人を点(ノード)として。関係性を線(グラフ)としてして見ることが出来る。

クラスター = 群れを意味する
あるネットワークの中にどれほど多くの仲間が作られているか
仲間をどう定義するか
「お互いに友人である」と仮定する
Aは、BとCと友人
BとCは友人
A, B, Cの3人は仲間だ
全ての頂点が互いに繋がれられた関係(三角形を作れる状態)
このグラフには、ABCとDEFという2つのクラスターがいることがわかる
同じグラフ内でどれほどクラスターを作ることが出来るか
単純な話、この図上ではCとEを結べば新しい3つ目のクラスターが生まれる
まだこの 図2 は最大のクラスターを作れていないtkgshntkgshntkgshntkgshn

>人間の社会は友人と友人が互いに友人であるような、そういう三角形が高い密度で重なることで構成されているのである。東浩紀

> 社会は決して個人の集まりではない。個人がいて、いきなり世界があるわけではない。家族や地域、職場などの人間関係の三角形がいくつも重なった中間集団(共同体)がいくつも存在し、社会はそれらがさらに重なることで成立しているのである。21世紀の科学はこの状態を、クラスター係数が大きいと表現する東浩紀
重なり合うと、Plurality

友達の友達の友達の...と繰り返すと、意外と少ない数でネットワーク内の構成員の全員に繋がれる
この場合は、AからEまでは少なくとも3つの線を通らなければいけない
この状態を「A→Eの距離は3」ということができる

この「平均距離が小さい」とは、ネットワーク全体でたどり着く距離の平均が意外と小さいという意味
6次の隔たりという仮説
スモールワールドとも言われている?
>70億人の人類社会の全体が、友達の*6で繋がってしまう

画像のA~Bの全ての
頂点数は 22
枝数(線の数)は 44

(一番右) A 一次元格子グラフ
隣の隣の点まで伸ばしている(隣人しか知らないみたいな状態?)
平等で閉鎖的なと説明している

(一番左) C ランダムグラフ
リンクの貼られ方が無造作に決定される
絶対的に開放的な社会を表現するグラフ

全ての頂点からでる線を特定の確率で"繋ぎかえる"
この一瞬の不規則性が「近道」を作る
人間が作るグラフに一番近いらしい

ネットワーク理論におけるスケールフリーネットワークの概念は比較的新しく、たった20年前に発見されたものだ
スケールフリーネットワークのグラフは、大部分のノードが少数のリンクしか持たない一方で、ごく一部のノード(ハブと呼ぶ)に膨大なリンクが集中する「べき乗則
なぜ集中するのか
ネットワーク理論に時間や主体(方向)を考慮すると、「Test of Time(時の試練)」を舐めすぎなんじゃないかと思うことがよくあるで言及しているような「古典が残る」のも説明できる
つまり、スケールフリーネットワークは各ノード間に極端な「格差」が存在する不平等な世界


ほっておくと寡占状態になってしまう


国民国家Nation)が一つの独立の人間で、それらが集まって国際社会を作る
国民国家は独立性を失っている
国境を超えてつながる巨大な身体(経済)の上に国境を再構築しようとする無数の顔(政治

>そこで現れたのがリゾームという言葉である。ツリーとリゾームの対置は、前章で見たネグリたちの議論にも入りこんでいる。『帝国』には、リゾームの概念とインターネットのネットワーク構造(「非 – 階層的で非 – 中心的なネットワーク構造」)を等置し、マルチチュードの活動の場はリゾームだと述べた箇所がある★10。彼らの理論では、国民国家の体制はツリーをモデルとして、帝国の体制はリゾームをモデルとして考えられている。東浩紀

>
>リゾームとは根茎のこと。ツリー(木)と異なり、中心がなく、互いにつながりあっている。

>ぼくたち人間が、同じ社会をまえにしてそこにスモールワールド性を感じるときとスケールフリー性を感じるときがあることを意味しているのだと、そのように解釈することができないだろうか。

>ぼくたちひとりひとりは、数学的にはネットワークの頂点である。そして頂点と頂点の関係は、スモールワールドスケールフリー・ネットワークにおいては、一本の枝で結ばれたふたつの対等な頂点としても、接続する枝の本数に大きな差を抱えた不平等な頂点としても解釈することができる。
> 前者はネットワークのかたちに注目したときの解釈であり、後者は次数分布に注目したときの解釈である。

> 実際に、それに対応するかのように、ぼくたち人間は、もうひとりの人間(他者)をまえにしたときに、一対一で向かいあう対等な人間だと感じるときと、富や権力のあまりの格差に圧倒されるだけのときとがある。ハンナ・アーレントは、否、彼女だけでなく二〇世紀の人文系の思想家たちの多くは、その前者の関係こそが人間本来のありかたであり、後者では「人間の条件」が剥奪されていると考えた。
> けれども、ほんとうはその両者はひとつの関係のふたつの表現であり、つねに同時に感覚されていると考えるべきなのだ。その同時性あるいは二面性は、2017年現在のSNSであれば、たとえば、フォロワー数100人程度の無名のツイッターユーザーがフォロワー数100万の著名人にリプライを送り、たまたま返信が返ってきたような局面を考えれば、たやすく理解することができる。そのリプライは、一対一のコミュニケーションではあるが、同時にまた無数のリプライのひとつでしかない。そしてそのふたつの解釈はともに正しい。その矛盾は複雑ネットワークの構造から数学的に導かれている

>ぼくたちはつねに、同じ社会=ネットワークをまえにして、スモールワールドなかたちとスケールフリーな次数分布を同時に経験している。
> しかし、だとすれば、こんどは、そのふたつの経験から、ふたつの秩序、ふたつの権力の体制が生まれるとは考えられないだろうか。「人間の条件」とその外部、政治とその外部、国民国家と帝国、規律訓練と生権力、正規分布とべき乗分布、人間がひとりひとり人間として遇されるコミュニタリアンなコミュニケーションの圏域と人間が動物の群れとしてしか計数されないリバタリアンな統計処理の圏域とが、同じひとつの社会的実体のふたつの権力論的解釈として同時に生成するのだと、そのように考えることはできないだろうか。

>人間は仲間=三角形をつくる。仲間をいくつも重ねることで共同体をつくる。けれどもそれだけでは社会は生まれない。 社会が生まれるためには、多数の三角形が短い距離で結ばれなければならない。そうでなければ、人間の世界はひとつの社会にまとまることなく、無数のばらばらの仲間=三角形へと分解してしまう。 ではなにが仲間=三角形を結ぶのか。それが「つなぎかえ」である。
> つなぎかえが生みだす「近道」が、人々を近くの三角形から遠くの三角形へと連れだし、他者との出会いに誘う。 それは社会思想の言葉では家族から市民社会への変化の過程に相当する。三角形が家族あるいはその拡張としての部族共同体や村落共同体を示すとすれば、つなぎかえで結ばれる三角形の集積は、匿名の市民が集まる市民社会だと考えられるだろう。ワッツたちは、共同体から市民社会へのこの変化こそを数学の言葉で記述した。つなぎかえが生みだすのは、社会学の言葉で言えば流動性であり、デリダの言葉で言えば「誤配」である。格子グラフは、つなぎかえの導入でスモールワールドグラフに変わる。それはつまり、共同体が誤配の導入で市民社会に変わるということである。

>けれども、この過程には罠が隠れている。つなぎかえは本来は確率的なものである。つまり新たな接続先の選択を偶然に委ねるものである。だからこそ、それは遠く離れた三角形を短絡し、人々を他者に出会わせ、共同体を社会へと変える機能をもっていたのである。

>かつて友人関係は一対一の人間関係を表していた。フェイスブックやツイッターやインスタグラムはそれを優先的選択のメディアに変えてしまった。その結果生まれるのが、スケールフリー性であり次数のべき乗分布である。人間の社会は、かくして圧倒的な不平等に覆われていくことになる。 原始的な格子グラフは、枝の確率的なつなぎかえによってスモールワールドグラフへと変わる。共同体は市民社会へと変わる。けれども、社会を社会たらしめた誤配あるいは確率は、すぐに優先的選択(資本)へと変質し世界に圧倒的な不平等をもたらすのだ。

>二一世紀の新たな抵抗は、帝国と国民国家の隙間から生まれる。それは、帝国を外部から批判するのでもなく、また内部から脱構築するのでもなく、いわば誤配を演じなおすことを企てる。出会うはずのないひとに出会い、行くはずのないところに行き、考えるはずのないことを考え、帝国の体制にふたたび偶然を導き入れ、集中した枝をもういちどつなぎかえ、優先的選択を誤配へと差し戻すことを企てる。そして、そのような実践の集積によって、特定の頂点への富と権力の集中にはいかなる数学的な根拠もなく、それはいつでも解体し転覆し再起動可能なものであること、すなわちこの現実は最善の世界ではないことを人々につねに思い起こさせることを企てる。ぼくには、そのような再誤配の戦略こそが、この国民国家=帝国の二層化の時代において、現実的で持続可能なあらゆる抵抗の基礎に置かれるべき、必要不可欠な条件のように思われる。二一世紀の秩序においては、誤配なきリゾーム状の動員は、結局は帝国の生権力の似姿にしかならない。 ぼくたちは、あらゆる抵抗を、誤配の再上演から始めなければならない。ぼくはここでそれを観光客の原理と名づけよう。二一世紀の新たな連帯はそこから始まる。

>観光客の原理は、ぼくたちにいかなる行動の指針を与えてくれるのだろうか。その問いに対して、正面から答える余裕は残念ながら本書にはない。それにそもそも、それは答えるべき問いなのだろうかとも思う。ぼく自身としては、本書がその創刊準備号として位置づけられている年三回刊行の批評誌『ゲンロン』の出版や、あるいは付論で触れたチェルノブイリへの年一回のツアーの実施などで、その問いに対して実践のかたちで答えているつもりである。ぼくはデモには行かない。かわりに観光を──知的な観光としての出版を含め──組織する。それが前述のような再誤配の戦略として成功しているかどうか、それは理論的にどうこうというよりも、個別の場で効果が測られるべきものだ。選挙に行けば政治、記者会見をすれば政治、デモに行けば政治というように単純には、これをすれば誤配であり観光であると例を提示することはできない。

>ルソーは人間が好きではなかった。人間は人間が好きであるはずがないと考えていた。人間は社会をつくりたくないはずだと考えていた。 にもかかわらず、人間は現実には社会をつくる。なぜか。ルソーが『人間不平等起源論』で提示した答えは「憐れみ」だった。憐れみとは、「われわれが苦しんでいる人々を見て、よく考えもしないでわれわれを助けに向かわせる」ものであり、「各個人において自己愛の活動を和らげ、種全体の相互保存に協力している」働きである★17。もし憐れみがなければ、人類はとうのむかしに滅びていただろうとルソーは記す。憐れみこそが社会をつくり、そして社会は不平等をつくる。それはとても誤配に、そして「つなぎかえ」に似ている。

>ルソーもローティもおそらくは誤配の哲学者だったのだ。誤配こそがヘーゲルが見なかったものであり、そしてぼくたちがいま回復しなければならないものなのだ。観光客の哲学とは誤配の哲学なのだ。そして連帯と憐れみの哲学なのだ。ぼくたちは、誤配がなければ、そもそも社会すらつくることができない。


だからこそ国家に抗する社会が未開社会で求められてるし、若者は選挙に行くより独立国を作るべしをやっていかないといけない
そこで再読するべきジャック・デリダ誤配
複雑性に飛び込むこと
"繋ぎかえ"が起こる確率を高める


Why I Am a Pluralistからの引用tkgshn
Pluralの制度のためのケース
Statistical epistemics(統計的認識論)
Staticical power(統治的な力)
Game and incentive theory(ゲーム理論、インセンティブ理論)

公共の領域で参考になりそうなプロダクト(実際に動いているもの)

では具体的に、現代のパラダイムで統治技術を解釈するとき、公共の領域で参考になりそうなプロダクト(実際に動いているもの)を見ていこう。


Plurality ConferenceでもKeynoteとして登壇していたColin Megillが率いる「熟議のためのプラットフォーム」だ。
「表象の政治」というと、ソーシャルメディアの分析をすることで多くの人の意見を吸い上げられるのではないかと思う人もいるだろう。
しかし、フィルターバブルと言われる同じ視点の人でしか意見を交換しなくなるのは実際に証明されている。

Pol.isは機械学習を使わないPrimitiveなアルゴリズムによる議論プラットフォームを開発し、直接民主主義をスケールしているモデルケースだ。(collective intelligence

実際のモデルケースに関しては、pol.is in Taiwan. better public discourse through… | by Colin Megill | pol.is blogで紹介されている
>

> ソーシャルメディアと同じように、コメントを書きに来ることができました。この部分は変わりませんが、pol.isでは、返信はできません。他の人がどんな考えを持っているのか、関わるには賛成と反対、そしてパスするしかないのです
>
>考えてみれば、10万人のスタジアムで、向かいの誰かに直接話しかけられたら、他の誰かに話しかけられたら、この情報構造はたちまち壊れてしまいますよね。荒らしは、この情報構造がいかに壊れているかを私たちに気づかせてくれました。基本的に、規模が大きくなればなるほど、返信はうまくいきません。私たちは返信を廃止しました。これはコアであり、基盤の一部なのです。
>
>
> 返信をなくすと、とても特別なものが手に入ります。それは、行列を得ることです。pol.is内のデータがどのようなものか、見てみることができるのです。複雑なものではありません。すべての参加者が、すべてのコメントについてどう考えているかがわかるのです。参加者を探して、賛成なら賛成、反対なら反対、パス、コメントなら、この人は賛成、この人は反対、この人は賛成、この人は反対、と見ることができます。
>
> 人間はこれを分析するのがあまり得意ではありません。しかし、これはスケールアップすると、機械はこれを分析するのが得意になります。あなたはいつもこれを利用しています。あなたは気づいていないかもしれませんが、そうなのです。Netflixは、すべての映画、すべての視聴者を見ることができます。映画を評価するたび、商品を購入するたび、あなたはデータを作っているのです。例えば、コメディが好きな人、ホラーが好きな人、コメディとドキュメンタリーが好きでホラーは嫌いな人、コメディとホラーが好きでドキュメンタリーは嫌いな人、といった具合に、クラスターを特定します
>
> 行列を扱うと順列の数は膨大になりますが、最終的にはいくつかのコアなコメントに集約されるのが一般的なので、意外と突破口はあるものなのです。
>
> pol.isで行われている機械学習はリアルタイムで行われ、レコメンダーエンジンと同じようにクラスタリングを行いますが、pol.isではグループを可視化することが特徴です。
>
>
>


他にも「vTaiwan」という、市民がふだん思っていることをSNS上に発信して、それに5,000人ぐらいが「いいね」してくれたら立法課題になるというシステムがある。
累計ユーザー数は20万人ほど
市民が立法プロセスに参加できるようにする合意形成プラットフォームデジタル直接民主主義
小さなcommunityでしか機能しなかった直接民主主義を、技術の力で実現させされるかもしれない
Pol.isを含む、いくつかのOSSのツールを活用して成り立っている
1. 提案ステージ
>オフライン・オンラインの討論を通じてまず議題を決める。スライドの共有はslideshare、FAQ編集はTypeformを用いる。

2. 意見ステージ
>取り上げられた議題に関して特定個人が意見を投稿し、投稿された意見に対し賛成・反対・パスの投票を行う。この過程でPol.isのAIが多様な意見を持つ個人を複数の意見グループに分けていく。そして特定の意見グループが提言に対し感じる懸念点や、重視するポイントが可視化される。
>

3. 反映ステージ
>この段階では意思決定者同士が対面で討論を行う。この討論の様子はライブ配信され、HackPadを用いて議事録が作成される。ライブ配信では誰でもチャットで参加する事ができるため、高いレベルで透明性が担保される。

4. 批准ステージ
>一連の議論を経て政府によるガイドラインの制定、政策策定、政府アナウンスメントなどのアウトプットが図られる。多くの場合は議論の過程で可視化された論点を織り込んだ形で発表される。

どのように活用されているか
規制のサンドボックスのような役目を担うこともある
過去には「台湾でUberをどう扱うか」というテーマで議論されたりしたらしい
> Regulated Uber
> vTaiwan hosted UberX case to discuss about Uber problem in Taiwan. More than 4000 participants crowd-sourced our meeting agenda for an open consultation meeting via 4 weeks of public survey on Pol.is. Uber agreed to vTaiwan’s coherent blended volition, and the administration pledged to ratify all the Pol.is consensus items into a new regulation

>UberXの場合は、最低料金を値下げしてはならない、アプリベースのライドサービスは、路上ではなくアプリから派遣された乗客だけをピックアップしなければならない、などの議論がコンセンサスになった。
> 決定はその後、採用するか拒否するかを要求する政府機関に送られた。ここから、公務員は、特定のポリシーに勧告を翻訳し、明確化のために元の請願者に相談するためのオプションで、法的な実行可能性を検討した。
> (このステップ、デジタルフィードバックをアナログの機関に移すことができる人間の層は、いくつかの成功したパブリックエンゲージメントプラットフォームに現れており、このようなプログラムを設定する際には念頭に置いておくべき重要な投資である)。



どちらも台湾で主に使われている、公共のためのアーキテクチャーだ。

より良い社会のために、古典再読

そして、カントは基本的には世界政府的な概念を否定している
= 最低限の権利を定義し、移動の流動性をあげる

全員公務員・全員NPOに従事する必要がある社会を考える」というテーマで、そもそも、国家社会契約に基づいて作られる(全員の合意)だとしたら、それはみんなで見えたほうがいいよねと。(契約の透明性執行の透明性
現状行われている間接民主制とか三権分立みたいなのは、技術的にスケールしないけどこの制度が作られたときはそれが一番効率的だった
社会契約に応じて、社会契約論において「一般意志 = パレートフロント」と解釈できるのであれば、本当は全員公務員みたいな感じであるべきなんだけど、実際それは難しい。だから現状の形なんだと思う。

また、クラストルによる「国家に抗する社会」でも"大きな争いを避けるために分裂する"という傾向を未開社会で見られるという

これもPluralityの1つと捉えられるtkgshn

社会契約・一般意志

社会契約によって一般意志の下に統治されるとルソーは語った。
計算機資源を使えるパラダイムが現在だとして、計算機を使った社会契約や一般意志について考えてみる。社会契約について、統治技術とその歴史で紹介したものを振り返りつつ、社会契約論: 一般意志の下の統治について考える

では、政府はどこから生まれるのだろうか。
トマス・ホッブズジョン・ロックと並び、ルソーは、近代的な「社会契約(Social Contract)説」の論理を提唱し、社会契約と一般意志なる意志による政治社会の理想を論じた。

国家と社会契約を結び、国家から公共サービスを享受するために、市民は一般意志の名のもとに統治される。
つまり、人は国家を作り国家に縛られているのだ。
各々の人がそれぞれの私利私欲を追求すれば社会が崩壊するでしょうという言葉通り、個人への最適な意思決定に対するクレームを捨てて、一般意志を優先することを示している。
人々が契約を交わして共同体を樹立(社会契約)において約束は一つだけ、“これまで持っていた特権と従属を共同体に譲渡して平等な市民として国家の成員になること”。

ルソーは、各構成員は共通の利益を志向する「一般意志」のもとに統合されるべきだと主張した。
一般意志は共同体(国家)の成員である人民が総体として持つとされる意志のこととされ、一般意思、普遍意志とも言われている。

具体的には何を一般意志と解釈して統治する?

日本語圏では老人を集団自害させるかどうかが話題だが、考えるべきは統治技術であり、増え続ける社会保障費と、減り続ける労働人口を具体的にどう解決するかが全てだ。
パレート最適とは、ある状況を改善させるには,他の状況を悪化させないといけない状態のことであり、政府が再配分政策を行うことで,パレート最適な配分を達成できると古典経済学と理解されてきた。
ここら辺はcameturtleとかnatsuozawaに「パレートfrontier」の話書いてもらってもいいかもしれない

若者は選挙に行くより独立国を作るべしでも言及しているけど、日本の社会保障はどうする?今の社会保障の仕組みが、一般意志の下に統治されているように感じるか?老人に多額の社会保障費を払って、若者の教育に回さない状態は適切か?税金を出す必要があるのか?

>@Isseki3: ミクロとマクロで考えないといけないと思います
>確かにミクロではそうした老人もいます。しかしマクロでは年金受給者は5000万人を超え、彼らは700万しかはらっていないのに4500万を受け取ります。今産まれる子どもは生涯に1.2億円も天引きされます。
>マクロでは明確に老人支配、老人特権社会です
>

>@shoutengai: 老人特権がものすごいことになってることに、本人たちが気付いていない。さらに老人たちと老人関連産業もでかくなってしまって、ちょっとした老人処遇発言に対して猛烈な数の批判がくる恐ろしい時代。
>自分たちの意見が過剰に世の中に響いて、政治経済をおかしくしてることに自覚がない。数の暴力。
>@shoutengai: これから団塊の世代という前のずっと最も数が多い世代が後期高齢者に入る。これはとんでもないインパクト。今がその激増期に入っている。
>資産ある富む高齢者にはもっと負担を求めるのは当然。お金はあの世に持ってはいけない。世代間支援ではなく、世代内支援を。
>

>@shoutengai: しかも厚生年金保険料は昔から比較すれば猛烈に上がっている。高齢者は安い掛け金で、高い年金と医療費支援を受け取っている。老人特権。
>今の世代も自分たちの若い頃程度の負担でやっていて、自分たちはできたんだからなぜ今の若者がブーブーいうんだと思っている。数字で語らず、経験感覚で語る。
>

大きな政府でも小さな政府でもなくパレート最適な行政府を作りたい。むしろそれが政府が行うべき、たった一つのイデアであろう。
>@0xtkgshn: このグラフって残酷よな。
>


表象ばかりしても仕方ない、政治家も哲学者も表象ばかりをしてきて、どう世界は変わったのか?



>ドゥルーズは、フーコーの「規律社会」に対抗する「統制社会」のメカニズムを説明するために「ディビュアル」という言葉を作った(彼は、我々はこの段階を脱したと言う)。大前提として、個人という言葉は、不可分であり、社会を還元できる最小単位を意味する。おそらく、人は全体が自己完結した「単位」ではなく、分解(分割)される可能性があり、したがって自己完結した単位ではないのだろう。

> 工場は、大衆の中の各要素を調査する上司と大衆の抵抗を動員する組合の二重の利点のために、個人を一つの体として構成した。しかし、企業は、最も激しい対立を、健全な模倣の形、個人を互いに対立させ、それぞれの内部を分裂させる優れた原動力として常に示す...」。私たちはもはや、大衆と個人のペアを相手にしていることに気づかない。個人は "dividuals "となり、大衆は、サンプル、データ、市場、あるいは "bank "となったのである。ドゥルーズ、1992年、(libcom.orgの記事)。

現在動いている統治システムを思い浮かべてみよう。三権分立、間接民主制…これらは歴史の授業で習ったと思うけど、過去の失敗をもとに「公共のアーキテクチャ」を設計したものだ。
この10年、5年、なんなら数週間でも技術は変わる。毎秒変わってる。後戻りすることはできないし、流動性はどんどん上がり続ける。情報から、金融まで。
現行の統治システムは完璧な形だろうか?完璧な形など存在するのだろうか?未来のために思索する取り組みが必要だ。それがPlurality。

もっとプログラマブルなルールを作って、”Beam money”できるようになれば、ゲーム理論をもとに社会契約を作ることも可能だ
今まで経済学は論文でしか書けなかったかもしれないけど、Ethereumネットワーク内ならあなたのアルゴリズムをSolidityコードに落とし込み、実験することができる。

>限りなく分割可能で、コンピュータベースのシステムのような現代の制御技術によってデータ表現に還元可能な、物理的に具現化された人間主体

計算機のp2p foundationも「Dividual」について言及している

平野啓一郎による「分人」概念や、鈴木健の「分人民主主義」など、パレート最適に至るまでの方法(統治技術)として、進化した計算機で複雑性を計算可能にする思想は近代勢いを増してきている

自我を計算機で解体し、複雑系を計算可能にする

説明可能であるべき。機械学習を使わないPrimitiveなアルゴリズムでも一般意志を可視化することはできないか。
分散型意思決定システムにおける異議申し立ての技術: kleros
投票理論: コンドルセのパラドックスを解決する機構として一人複数票Quadratic Voting

鈴木健PICSYも、この概念に接続できると思う
仕組みを変えることで世界は大きく変えられる




Pluralityによる恩恵を科学発展のために使う「Science of Science

人が作る複雑な「社会」や「コミュニティ」に介入することで、より良い全体を作り出していくというプロセスは、科学発展においても注目されています。これも一つのPluralityの形と解釈することができるでしょう。

研究者・プロジェクト・論文のつながりは自己組織的かつ、進化的なネットワークとして捉えることができる。
>科学的発見、創造性、実践の起源を定量的に理解し、科学の進歩を加速させるための手段や政策を開発するために、科学そのものを顕微鏡で観察しているのです

>SciSciの出現は、2つの重要な要因によっ てもたらされています。
> 第一は、データの利用可能性である。歴史的な最初の引用イ ンデックスである独自の Web of Science(WoS)に加えて、今日では複数のデータソースが利用可能です(Scopus 、PubMed、Google Scholar、Microsoft Academic、米国特許商標庁、その他)。

>さらに、SciSciは自然科学者、計算科学 者、社会科学者の流入と協力の恩恵を受 け、ビッグデータに基づく能力を開発し 、科学、その機関、労働力の展開を捉え ることを目的とした生成モデルの重要な 検証を可能にしてきた。サイサイは、複数の学 問分野の知見や理論を統合し、さまざまな データや手法を用います。サイエントロ メトリックスからは、大規模なデータソ ースから科学を測定するという考え方を 、科学社会学からは、理論的な概念と社 会的なプロセスを採用しています。

>科学が発明や経済の変化に寄与する経路 を探索し、特定します。サイエンスは、記述統計やデータの可視化から、高度な計量経済学的手法、ネットワーク科学的アプローチ、機械学習アルゴリズム、数学的分析、エージェントベースモデリングを 含むコンピュータシミュレーションまで、 幅広い定量的手法のコレクションに依存し ています。サイサイの価値提案は、科学 が成功するための要因をより深く理解する ことで、科学全体がより効果的に社会問題 に対処できるようになるという仮説に基 づいています。

ビックデータを活用して、科学者のキャリアと「科学発明の再現性」のパターンを明らかにする取り組みで、データに基づいてコントロールする


ピアレビュー(査読)システムに関しても、どのように専門分野の研究者からレビューを受けるかどうかなど、社会的関係の立場に応じて調節しなければいけないことがあります。
これに関しては、Correlation discount相関性に応じて割り引く概念)というワーキンググループで、査読以外にもQuadratic Fundingなどにも適応できるという議論がされています

また、日本学術会議の2021年提言では、「生産的相互作用(Productive Interaction)」の概念に着目したこともポイントです。
幅広いステークホルダーでのネットワークが生まれることにより、よりPluralityが増し、社会的インパクトを向上させる考え方です。

他にも、DeSciと言われる取り組みもここ半年でものすごく盛り上がってきています。
>@leo_hioleo hio: 特許をEthereum上でNFTにしてるプロジェクトある?
>普通に特許マケプレで売買できたら便利だから使いたいんだけど。

>@HiroTHamadaJPHiroTHamadaJP: @0xtkgshn @leo_hio
>@Molecule_dao はバイオテックのDAOにIP-NFTの規格を提供していて、以下のDAOが使うことになっていますね。
>
>
> 👇実際のIP-NFTの例はこちらです。
>



計算機がもたらす次の新たなパラダイムは、デジタルコンセンサススペースと統治技術

400年の話する




筆者について
Shunsuke Takagi(高木俊輔)
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2002年生まれ、大阪→東京→京都を経てニューヨーク在住、DeCartographyの創業者・アーキテクト。株式会社Civichatの創業者。現在はデジタル空間におけるコンセンサスシステムや、行動設計に興味があります。
会社やって、知の観客を育てて、メディアも出るし、文章も書くし、R&Dもしていくし学術研究もしていきたいです。
この"Plurality"という概念においては、日本人で自分だけがUC Berkeleyで開催された「Plurality Conference」に参加していました。
他にはデジタル庁のWeb3.0研究会や、Blockchain Governance Initiative Network (BGIN)ShaneMatsuoShaneMatsuo氏も招待されていたようです。(行けなかったみたいです)
>@ShaneMatsuo: 今週は河野大臣のイベントなど充実していたが、1つ心残りはRadicalXChangeを受けて今週末UC Berkeleyで開催されているPlurality Research Network Confに招待されていたけど参加できなかったこと。このコミュニティは5月にクロアチアで行われるFC23併催のBGIN Block #8 には参加するのでこれから準備。

N高在学中に、官公庁が公開する100件以上の社会保障制度の中から、自分の状況に応じて「利用可能な制度」をチャットボットの質問に答えていくことで探せるツール「Civichat」を創業。
East Ventures, ANRIなどから資金調達し、渋谷区熊本市で実証実験を行うも、官公庁らが公開する社会保障制度の利用促進は、官公庁・地方自治体のインセンティブに合わずビジネスとして成り立たず、サービスを停止。現在はOSSで公開中
地方自治体の公共調達における成果連動型事業SBIR)などの形を模索したり、社会保障制度のSemanticなデータフォーマット(Open Fisca)に対するコントリビュートを経るが、「デジタル公共財」「メタ公共財」に対する支援は0。簡単にいうと、起業失敗しました。

現在は、「政府」や「機関」そのものを考えるMeta Public Goodsの研究・開発をEthereumエコシステム上で行っています。
DeCartographyというプロダクトを開発している最中です。簡単にいうと、ブロックチェーン上の活動履歴からソーシャルグラフを作成し、Quadratic Fundingの談合シビル攻撃を軽減する、世界初のRelationl Computation Oracle(関係性を計算するデータプロバイダー)です。
正の外部性があるデジタル公共財であるOSSに対して、公共財の初期コストを負担するための助成金分配プラットフォーム「Gitcoin」と実証実験を行なっています。

主な実績などに
台湾のg0v Summit 2020に、Code for Japanとともに登壇
経済産業省の「Govtech Conference Japan 05」に登壇
メディアとしては
Abema TV
NHK
朝日新聞
Yahoo! Japanオウンドメディア
WIRED
熊本日日新聞などにもお世話になりました。
Civichatを辞めてからも、渋谷区イノベーションラボ準備委員会にも読んでもらったり、DeCartographyを始めた後はG7 Digital Ministerial Meetingのサイドイベントである「Agile Governance Summit」にも登壇する予定です。