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カントによる「永久平和のために」をPluralityとして読むことも出来る
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カントによる「永久平和のために」をPluralityとして読むことも出来る
永久平和のためにはどのような仕組みが必要なのかを考えた文章だ
> 第1確定条項 - 各国家における市民的体制は、共和的でなければならない。
> 第2確定条項 - 国際法は、自由な諸国家の連合制度に基礎を置くべきである。
> 第3確定条項 - 世界市民法は、普遍的な友好をもたらす諸条件に制限されなければならない。

1. カントは「民主主義的でなければならない」とは述べていない。
共和主義(統治方法についての概念)と民主主義(統治者の人数についての概念)は本質的に異なる概念であり、民主主義的ではない(統治者の数は少ない)が共和主義的である(行政権立法権が分離している)社会は十分にありうる

2. まずはそれぞれの国が市民の自由を保障した共和国になり、つぎにそれらの国々が合意のうえに上位の国家連合をつくる

3. 「普遍的な友好をもたらす諸条件」に関してはかなり解釈が難しいが、東浩紀の「観光客」論では訪問権と読んでいる。これを、移動の自由(流動性)こそが自由の本質と読むこともできるのではないだろうか。

各社会・コミュニティに対する「移動式投票」が行える状態が、国家連合の下に位置するものとして考えてみる
>@fladdict: 世界全体を通じて、若者の投票は「街に未来を感じる人が転入する」「街に未来を感じない人が転出する」という形で発生すると思われる。分断が生まれてよくないと思うけど、現実問題としてはそういう挙動になる予感。そういう意味では、若者は東京一択で投票してる問題。

>@takiuchi: だから移動の自由こそが自由の本質なんですよね。どんな政治体制であろうと投票ができる

>@fladdict: @takiuchi そう移動の自由と、職業選択の流動性、情報の可視化。この3つが保証されてる前提なら、それ以外は民主主義でなくても資本主義でなくても、総体としては機能する予感。

この移動式投票に関して、Tiebout Modelという名前が政治理論として付いていて、地方公共団体間の競争により、地方公共財の提供に競争圧力がかかり、これらの地方公共団体は最適なレベルの公共財を提供できるようになるというものである

>(この国家の中で)継続的な成長とは、「国にもともと在籍している人々」と『外部からの人々』による継続的な国民投票であり、信任投票である
>大雑把にいえば、成功するネットワーク国家とは、揃いも揃って移民を引き寄せる国家であり、失敗するネットワーク国家とは、移民を失う国家である
>だからといって、それぞれのネットワーク国家が無限に成長しなければならないわけでも、すべての国家が同じ種類の人間を受け入れる必要があるわけでもなく、ネットワーク国家のコミュニティは全体として、人々が参加したくなるような立派な社会を構築することに重点を置いているのだ。国民の平均寿命の向上を前提としたネットワーク国家や、すべての人の所得分配を正しく変化させることを目的としたネットワーク国家を想像してみてください。あなたは、あなたが測定したものを得ることができます。

この概念をどこまで"加速させるか"は置いておくが、「新官房主義Neocameralism)」はまさにこの思想で、加速主義に持って行ったものだ
個人が移民や転居を伴わずにその所属する政府を自由に選択・変更することができる権利として、Panarchyという単語でも言及されるようだ