個人Project、ゴミ増えちゃう問題
Scrapbox的には、整理は不要
死んだテキストと言ったほうがいいのかもしれない
は何度もプロジェクトを潰しているんですが...
エクスポートして、後で必要なら
grepして見るというやり方
ゴミページがそうでないページと混ざるから嫌なのではなく、消したい病のせいでページを消したくなる、ということでしょうか?
両方ですね。
まだ斜め読み段階なので違うかも
消したくはないけど、掘り起こしたくない
あーそうかも
ページリストからは消えるんだけど、検索には引っかるみたいな仕様なアリかも
この「ページリスト」ってトップページのこと?各ページの下の関連ページ一覧のこと?
トップページはどうせ誰も下の方見てないだろうという気持ち
関連ページが膨大になりすぎるのは僕もイマイチだと思ってる
Gitみたく、最新バージョンからは消えているけど、過去のコミットは検索で見られる、みたいな
でもGitは差分が肥大化していくからなぁ...
ゴミが増えるとプロジェクトの内容が薄くなった気がして消したくなるのはわかる
ゴミがたまるとそれはそれで死んだテキストの倉庫化する(?)ので難しい
書き方を意識したほうが良いのか?
ページタイトルは名詞一つにしない、とか
自分の思考に問題がある?
には情報をフィルターするのが苦手、という特性があるので
テンション上がっちゃうと何でも書いてしまう
あとになって「どうでもいい、邪魔だから消したい」と判断してしまう
書いたものに再利用の価値がたとえあったとしても、「嫌なので消し」てしまう
よーくわかる
暫定的な対処法(になっているかわからないけど)
一時的なテキストエリアに何でも書き、必要と感じたときだけScrapboxに持っていく
PDFやテキスト形式でエクスポートし、そのページは消す
デイリーページ的な、追記して終わりみたいなものは別のツールでやる
ある程度の運用能力、ノウハウが持てないなら、やっぱり2人以上でScrapboxは使ったほうが良いと思う
とはいえセンシティブなことは個人で管理することになるのだが...
以前少しやったなぁ、ScrapboxでなくてSlackとGASでアシスタントBotみたいなの作ってたけどGASの仕様が変わったかなんかでうまくいかなくなったな
「ゴミページが増えて嫌になる」ということ自体があまりよくわからない
よくわからない→自分の
視野を広げるチャンスなので、いろいろ聞きたい
が、時間なさそうなので後でやっぱ少し書く
わかること
自分が書いたわけでもないのに、さも自分が書いたかのようなページの扱いになってしまう
scrapbox以外のtoolで、ゴミページが貯まるのが嫌
なるほど?
あとでもうちょっと考えてみます
出典pls
今もやってる(気がする)けど、いずれ読み返したら消したくなりそう
今回の話に限れば、どうせ
ポエムをscrapboxに書いたところ誰も見ないし、仮に見られたところでそのリアクションに自分が気づくことはまずない
メディア露出している人やフォロワーがいる人は別
ただしsortをlast visitedにすると定期的に
黒歴史を掘り起こされていることが分かってしまう
割と手遅れになりつつある
むしろ自分から望んで羞恥を晒している感(性癖?)があるかもしれないなと最近思ったり
また失敗するかもしれないが、再びプロジェクトを仕切り直して使ってみようと思う
プライベートになってますね
もう誰か別の人のプロジェクトになってるみたい(ちょっと前に手放しました)
Scrapboxにscrapを詰め込んで何が悪い!
何も悪くないです。
ただ、scrapを詰め込むと上記のデメリットが発生し得ます。
それを念頭に置き、自身の利用方法と照らし合わせて、詰め込むか別の方法を取るか判断してください、ということです。
ゴミ箱プロジェクトを用意して、いらないページはそっちに放り込んでおく
たまに読み返して、使えそうなものは元に戻す
気が向いたら、全部消す
デスクトップ環境の「ゴミ箱」みたいな運用をする
なぜScrapboxにゴミ箱を作らなかったのか、という議論
notaでもかなりされていたと思う
Evernoteでもそういう使い方あったな
用済みノートブックを作って移動する運用
寿命が短いと感じるもの(予定とか)を放り込んでおく非公開プロジェクトを別に持ってる
人前(まあ誰も見てないだろうが)に出すと精神が削れるもの(ポエムとか)もこちらかローカルに
ポエムもふつうにpublic projectに書いちゃってる
長寿命と判断したらたまに移動してる、Scrapboxだとそこまで手間じゃないし
何気なく公開の場に書いたことが1年後とかに言及されることによって事後的に「これは寿命が長い」と気づく
社会的トリガーScrapboxは意図的にゴミを探しにくくしてる気がする
Date modified/last visitedの逆順ソートとかがない
リンクされてないページを探す機能がない
全文検索結果が100件まで
リンク構造にとってゴミはそこまで邪魔ではないはずなので、むしろ不要なものは埋もれさせる設計?
ゴミを探せてしまうと消したくなる
それはそうなのかも
ゴミを探せないと、またゴミを作ってしまう
は存在ごと忘れるからコセンス上でゴミの存在が気になったことはないな
逆に、
日記帳のようなひとまとめになっているケース(完全にリニアというわけではないがリニア状のUIUXでひとつづきっぽく見えて、辿れるもの)ではとても気になるから何回か日記帳は捨てている
わかる
本棚にノート、日記帳墓場がある
これはなんでだろう...
人に見せる前提で作っている場所に、人に見せようと思わないものがあるのが嫌かも
これはUIUXの問題なのか自分の感覚がヘンなのかわからないけど、ブログは「自分」と紐づけられる可能性が高いように思える
少なくとも自分自身ではそう
コセンスはたとえ自分しか見ないprivate projectであっても、あまり覚えていないページはランダムで見つけたところで「見知らぬだれかが書いたもの」のように思える
なぜブログだとこの考えにいたらないのだろう...
日付がはっきり付いているのだから、過去のものだということはわかるはずなのに
一貫した存在であることを求められている/前提されている気分になってくるんだけどどうしてかわからない
さんの感覚とまったく一緒だ…!
ブログの場合気になってしまうのも一緒
ブログは日常的にメモとして使っていないので存在をいったん忘れて再発見したときになんか存在が邪魔な感じになるという感じがある、うまく言語化できていないが
きれいにしなきゃいけない圧みたいなのを感じて完璧主義が発動するのか…?
ブログや公開日記含めて文章の公開にはアイデンティティ(顔)が付随するから、と思った
その顔を保つようにせねば、という整合性を絶えず働かせてしまう
会社にいるときに「会社員としての自分」という顔をキープすると思うが、ブログでも起きる
エンジニアの技術的な淡白な備忘録でさえ起きる
コセンスほど雑に書けるUIUXにより、ようやくこの呪いを打破できたということなのだろうと思っている
確かにそれはありそうですね
前回メンテしてから期間が開けば開くほど自己認識に対する差分が大きくなってブログの人格に対して「誰だこれ」ってなって捨てたくのかも
わかりすぎる