未来の自分は他人
仮に自分だけが使うものでも、一定期間経てばそのときの感覚を忘れてしまうので、
他者に説明するように書く/作ることが有益
これは
忘却の弱点を指摘する文脈だが、逆に恩恵を受けるケースもあることに気づいた
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なにか感情的なわだかまりを抱えてしまったやり取りがあったとき、その直後では読んだり書いたりするのが難しい
しかし長期間経過し、当時の感情が風化すると、「他人が書いたもの」と似たような感覚で言及したり加筆したりできるようになる
わかる
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井戸端で何回かこのような経験をした
仕事で残す資料とか測定データとか議事録とか原則この考えで作ってる
加えるなら、未来の自分は今の自分より少し馬鹿になっていると想定して書いてる
まれに未来の自分が過去に自分に対して、きちんと資料を残していることに感動を覚えるから間違っていないと思われる