議論を不毛だとして避けることに違和感を感じる
この一連のツイートをみて、ちょっともやっとしてた
一覧性を持たせたいと言う意見と、一覧できる程度の情報は作っても無意味という意見との対立(?)
途中で
不毛な宗教戦争はここまでということでお願いしますといって打ち切りになってしまった
もやもやするのは2点ある
「ここで議論するな」というやつ
このツイートのように、議論を不毛なものとして打ち切る/回避している場面を見ると、とても違和感というか、どうしてそんな事になってしまうのかとすごく釈然としない気持ちになる
おそらく、こうなってしまう原因の一つは、会話をしてるシステムにあると思う
で議論してもつながらないし再利用できない。だから
不毛な宗教戦争にならざるを得ない
他にも原因がありそうな気がするが、すぐには出てこない
個人的には議論するのは好きだけど、その人の考え方が分かったり、ある程度興味深いと思えたら満足するかんじ。
誹謗中傷は本当にダメか?を見ていると特に思うけど、だらだらと議論していくのは結局はそれぞれの人の
価値観の論争になっていくだけだから、面倒だし勝手にやってくれと捉える
派かな。興味深いと感じたら議論に参加したいかも。
ここでの「議論」は別に正しさを求めているものではなくて、考え方を引き出す
対話何じゃないかと思う
価値観の戦争、押し付けになったら、それは不毛な議論?なのでやめたほうがいいと思うし、自分もやらない
考え方を十分
言語化出来てない段階で終えてしまうと、相手がなぜそう考えるのかを理解できずに終わってしまう
誹謗中傷は本当にダメか?の例でいくと、他の人の考えに触れた後に、特に何か気になることが生まれなかったので、そこで終了している
価値観の戦争のような状態にはなっていない
事実判断と価値判断との区別・確認
現実主義なのか
理想主義なのか、もしくはそれ以外の
立ち位置から考えているのか
というところまでを「議論」としていたつもり
てか議論じゃなくて
対話っていう表現を使ったほうがいいかもしれない
この
正解は意味が違うかな
network-based SNSで正解が生まれるかもしれないという期待もちょっとあるの
正解は、現状のSNSの課題を解決したtoolになるかもしれない、という意味で使っている
はず
YES
NARUHODO
(別に議論が好きでずっと続けていたいという考え方もありだと思う。ベクトルが違うだけ??それぞれ好きにやればいいと思う)
参考程度に少し見てほしい(この人の考え方は
個人的にすごく賛成できる)
とはいえ現状に最適化してる人たちにとってその現状を変えようという人たちは邪魔だし、現状を変えようとしている人たちにとっては現状に最適化している人たちそのものが現状を維持・再生産しているのだから邪魔なわけで……
「現実主義と理想主義のどちらも正しい」というのと同じく「こういう論争に参加する人と、参加せずに静観する人のどちらも正しい」よね
その議論に興味がない/時間をかけるほどの利益を感じない、とか?
気が向いたときに1ヶ月後でも、1年後でも、話を蒸し返せないから、すぐ消化しないといけないからとか?
続けたくないから放置するというのが心理的にやりづらそう
汎用性があまりないというのもありそう
特にTwitterは参照性が極めて悪くて、ほとんどその場限りのコミュニケーションに終わる
言語化にコストを書けたところで、あまり資産として残しづらい
SNSが仕組み的に議論に向いていないのは重々承知。だからこそ、議論が出来る仕組みを作りたい
scrapboxがその仕組みに一番近いが十分でない。まだなにかbreak throughが必要だと感じる。
具体的に何かまではまだわからないけど
個人で情報をつなげるにはscrapboxと同様適しているけど、共同作業となると使いにくいかも
使っていないのにこんなことを書くのはただの決めつけかもしれないが
用途が違うと言いたいだけで、scrapboxの下位互換だと言いたいわけではない
関連