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誹謗中傷は本当にダメか?
誹謗中傷って最近よく問題視されてるけど本当にダメなの?
最近ネット上での誹謗中傷が見えてきたから問題視されてるだけで、誰しも結構やってるんじゃないの?
建前上はやっちゃダメだけど多くの人がやっていること、というものがネットによって可視化・記録され、建前に抵触するようになってしまっている
多くの人がやっているということによって、それを禁じる道徳が否定されはしないのでは
確かにそれはそうだ!
多くの人がダブルスタンダードになっていないか、という部分について考えていた
村社会でも結構近いことが起きてるけど、なぜそれは受け入れられているのか?
「被害者」側でも「加害者」側でもない、「問題視する人」という第三者が村社会には居ないから?
これがインターネットになると、問題視する人、問題視する人を問題視する人、……が次々と立ち現れてくる
誹謗中傷している人を見かけたら内容によっては人間性を疑うこともあるし、誹謗中傷を肯定するわけではまったくないけど、排除しようという動きに疑問を感じる

takker
誹謗中傷によって精神的に傷つき、場合によっては自殺に至ることもあるのでやめるべき、ということでしょうか
creatorに限ると、創作意欲を失うような暴言は避けてほしいと思う
誹謗中傷の嵐にあったり特定厨に個人情報を特定されたりして創作活動を辞めてしまう事例を見ると、本当に腹が立つ。
誹謗中傷が具体的に何を示すかにも依るかなあ
これを詰めないと議論が平行線になる
+1nishio基素
名誉毀損罪 or 侮辱罪になるようなものなら日本国では一般にダメだと思われていると言えるだろうし基素

排除しようという動きに疑問を感じるかどうかは精神的に傷つくことをどう評価するかの問題?
それが肉体的傷害と同じクラスのことなのかどうか、人によって感覚が違いそう
肉体的障害を与える行為は排除すべきという前提は共有されているものとして
ここをお互いに確認しておかないと議論ができない

suto3
誹謗中傷はダメです。
とはいえ、誹謗中傷と辛辣な批判(正当な批判)との線引きは、微妙で、あいまいな所があるのも事実です。
問題なのは、誹謗中傷にかこつけて正当な批判まで締め出そうという態度ではないでしょうか。
ヒトラーに例える論証に近いのかもしれないMISONLN41
正当な批判であっても「誹謗中傷だ!俺は傷ついた!」となんでも誹謗中傷につなげて正常な議論を妨げる、みたいな
事実判断価値判断を分離して話し合うのが大事takker
意図的に混ぜようとしている輩は議論する気がないのでBANする。
ここで、「誹謗中傷だ!俺は傷ついた!」が事実どうかは本当にどうでもいいと思うtakker
「傷つけてごめんなさい」と謝ればいい
そのことを元の議論に結びつけるのは違う
全然関係ないこと
てか、これこそ脱線して別の話し合いに持っていく格好の典型例では?
本例なら、
謝罪ページ
当該批判がどう傷つける結果になったのか話し合うページ
当該批判が誹謗中傷なのか話し合うページ
傷つけないような批判の方法を考えるページ
元の議論ページ
と、話題の数だけページを分割して脱線させる
全てのページで並列に話し合えば、元の議論が止まることがない
もちろん、書き込みしている人が特定のページに集中してしまって、話の進みが遅くなる可能性は大いにあるが。
現実でこれがやられているところを見たことがない(そういうアーキテクチャになってない)基素
すべての状況において誹謗中傷が忌避されている、のではないと思う
(書きかけ)

>他人に対する誹謗中傷と他人に対する正当な批判とは区別して対応すべきことに留意することが必要である。
>………インターネット上の誹謗中傷の書き込みの法的な性格としては、他人の権利を侵害する情報(違法情報)に該当するものと、法的には必ずしも権利侵害情報に含まれないもの(有害情報)とがある。 インターネット上の誹謗中傷への対応の在り方に関する緊急提言
>それ単体では一見権利侵害に当たらない個別の誹謗中傷の書き込みであっても、特定の者が継続して大量に書き込みを行うことや、多数の者が書き込みを行うことにより結果として大量の書き込みが行われることにより、社会的受忍限度を超える結果として、違法情報と評価されることもあり得る

これ差別にも同じことが言えるかもしれない

くま子
私もsuto3さんとほとんど同じ意見です。誹謗中傷はしてはならないが、誹謗中傷と批判の境目が曖昧なのも事実。またもっと極端な考え方をしてます。
木村花さん自殺報道から「侮辱罪の厳罰化」の方向に進んでいますが、これはインターネットにおける言論の自由の萎縮になるのではないか?と懸念されています。
政権を批判する書き込み(やそれ以外)は侮辱罪として取り締まることができる(言論弾圧)可能性が指摘されている。
個人的な考えではあるんですが、批判が自由に行われている今のインターネットが好きなので、インターネットの表現の自由を侵害するような法案には全部反対です。
はっきり言って、表現の自由は人の死よりも重いというような極端なことを思想を抱いている。
誹謗中傷によって人が亡くなるというのは非常に胸を痛めることだが、だからと言ってインターネットの自由を減ずる方向に向かうべきとは思わない。万人が誹謗中傷で死んだとしても自由は守るべきだと思っている。
よく「嫌なら見るな」と言われますが、Twitterだと見たくないものが流れてくることがある。
山口真一正義を振りかざす「極端な人」の正体』に書かれていたことですが、AIによる判定などで「見たくないものを見ない自由」の保障を進めればいい。
侮辱罪の厳罰化という方向ではなく、見ない権利の保障するための技術開発の方向に進むべき
>例えば、メッセージの誹謗中傷度を判定し、それぞれのユーザがどのレベルの誹謗中傷を見たくないか設定できるようなシステムが考えられる。誹謗中傷をとにかく見たくないという人は最も強いレベルで見えなくするような設定にすればよいし、誹謗中傷なども含めてすべての投稿を見たい人は設定をオフにすればよい。(中略)
>また、ユーザによってどれくらい各所で誹謗中傷的な投稿をしているか判定し、そのような人の発した投稿を見えなくするような設定を、やはりユーザ自身が出来るようにするというのもあり得るだろう。まさに、「極端な人」を、自分の意思で選択して見えなくするわけである(もちろん、見たい場合は見ることも出来る)。

もし「誹謗中傷されても嫌ではない」と主張する人がいた場合、その人が自分を誹謗中傷来てきてもこのルールでは止められないnishio
「嫌でないかどうか」は内面だから検証できない