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2021年を探さないで


はじめに
2021年を探す の索引集を書く予定です 。
ちょっとずつ書く。
あとは、一冊ずつ本をリンクしたら完成。

> この post は 2021 Advent Calendar 2021 第1日目の記事として書かれました。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/12/01/000000

> インターネットみたいな文章が書きたい(なにかをしている様子です) https://twitter.com/taizooo/status/1463848054310973441
ノイズのような文章、いつまでたっても始まらないディスコ・チューンのイントロのような文章、繰り返しまた練り返しそしてまた繰り返し繰り返し続けてきたことを繰り返し尽くすような文章、 "You'er Nogood" みたいな文章。

結構、決定的だったのは2020年のヤツがスカスカだったのと、改めて読み直した2018年のヤツがえらく心に響いたっていうのがあって、とにかくたくさん書きたかった。何かの役に立つとか、誰かの為になるとか、そういうのもうどうでも良くって、コピー・アンド・ペーストしてでもなんでもいいから、文字で画面を埋め尽くしたかった。結果、1万字を超えた。読めるもんなら読んでみろ、記事を台形に書くとか知ったことか、の精神。

番号を振ったのは「黒ヶ丘の上で」に影響を受けていて、「黒ヶ丘の上で」は目次が無くて章が50個ある。
実際には整数で順番に振ってたけど、このブロックをこっちのブロックに入れ替えて、とか、このブロックを二つに分けて、という作業が頻繁に起きて、プレビューとテキストエリア行ったり来たりするのに不便だったので小数点をつけたってわけ。グルーピング。格好悪い。でももう直すのが面倒。

リリースするまでに何回も何回も書いては読んで書いては読んでするので、しばらくは読みたくなかったりする。10日くらい経ったのでなんとなくまとめる気分になってきたけど、この作業をすると文章との距離感が変わって、まるでどこかよその人が書いた文章みたいな感じになる。もう、こんな文章、二度と書けない。

めずらしいことに、いっさい blockquote を使わなかったんだけど、こうして索引集をとりまとめると全部がなにかにリンクされてて、やっぱり「世界にはあらゆる方向にリンクが貼られているように見える」。それから、

> ごく個人的な話をさせてもらうと毎年叫んでいるこの「探す」という言葉、「2021年を探す」の「探す」、は shikakun のものです。大抵のものはみんな誰かのコピーだ https://twitter.com/taizooo/status/1466581476070223875


大抵のものはみんな誰かのコピーだ。

最初の画像は ここから 持ってきた。いつもの裏山へのルートを逆向き(トレイルヘッド)。手前が甲府盆地、奥に富士山が見える


intro
ニセコなだれ情報
> フォールライン(FALL LINE)とは最大傾斜線のことで、山の斜面を谷底に向かって真下に向かう線のこと、または水が流れ落ちる方向のことを指します。分かりやすくいうと、これから滑る斜面に向かってボールを転がしたときに転がっていくラインのことで、自然、重力の法則の理にかなったラインのことです。バックカントリーでパウダーを滑るときはこのフォールラインに沿って滑り降りてくることが安全面でとても大切になります。もちろん地形を見ながら臨機応変に滑る「アドリブ」も必要ですが、フォールラインに背いて斜面上部を無理に横切る(トラバースする)と、雪面に余計なプレッシャーをかけてしまい最悪雪崩を引き起こしてしまいます。

1
> 「双子の弱い視力で見渡せたのは、赤や黄色や緑色に彩られた畑が網の目のように広がる大地と、そこここに点在する真っ白な農家だけだった。彼らは、そうした農家で暮らし、死んでいったウェールズ人の父祖たちのことを考えながら、ケヴィンが言ったことを信じるのは——不可能でないにせよ——とても難しいと思った。世界はいつ何時大爆発で破滅しても不思議はないだなんて、と。」
これは、双子が飛行機に乗って、自分の住む世界を俯瞰したときのシーン
物語のクライマックス的な、
「世界はいつ何時大爆発で破滅しても不思議はない」
これは冷戦下、「核の時代」を意味している
第一次世界大戦
1914/07 ~ 1918/11
> 100年前のことを考えている というか、19世紀から20世紀に生きた人たちのことを考えている そのままスライドさせると、20世紀から21世紀を生きる自分たちのことになったりする
新型コロナウイルスワクチン接種日記
2021/07/18 ~ 2021/07/28
2021/08/15 ~ 2021/08/25

2
とにかく分厚いヤツが欲しかった
> I suppose it is tempting, if the only tool you have is a hammer, to treat everything as if it were a nail.
あなたが持っている唯一の道具がハンマーであるならば、それが釘であるかのようにすべてを扱うことは魅力的だと思います。
> 一番は「インターネットとはなんなのか」から始まっている。それがいつの間にか「世界とはなんなのか」「人間とはなんなのか」という方向に進んで、気がついたらいまここにいる、みたいな感じ。
> > 行間や積読のあいだにリンクが飛び交っているのが見える。もう書評や誰かのレビューから白紙の状態で受け取るような読み方は出来ない。リンクが発火してる。
2011/07
> 何のために CODE とか読んでるかと言えば reblog commons 設立のために決まってるじゃないですか https://twitter.com/taizooo/status/98747758181224448
reblog commons
Amazon で1番最初に買った本だった
> もう、なんのためにこんなことをはじめたのかよく思いだせない
> 今も続いているこの読書の旅はリンクを辿る旅で、その始まりはこの "CODE" の序文から始まったのだった
2017/05
2011/10
2020/04
> なんで「新ネットワーク思考」なんて読んでいるのか? といったら、インターネットに「検温・手洗い・密閉密集密接を避ける」をあのパウロみたいに世界中に遍く行き渡らせるために決まってるじゃないですか
Amazon で2番めに買った本だった
バラバーシじゃなくってバラバシって呼んでた

3
The Invention of Nature
The Web of Life
> フンボルトの時代、博物学の時代、そのころはまだ科学や哲学や文学が分岐していなくて一つの大きな塊だった。なんと政治さえも科学と結びついていた。
> それを示すために「フンボルトの冒険」の中ではフンボルトとお互いに影響し合った人たちがそれぞれに章を与えられている。
第2章 想像力と自然──ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテとフンボルト
第8章 政治と自然──トーマス・ジェファーソンとフンボルト
第12章 革命と自然──シモン・ボリバルとフンボルト
第17章 進化と自然──チャールズ・ダーウィンとフンボルト
第19章 詩、科学、自然──ヘンリー・デイヴィッド・ソローとフンボルト
第21章 人間と自然──ジョージ・パーキンス・マーシュとフンボルト
第22章 芸術、生態学、自然──エルンスト・ヘッケルとフンボルト
第23章 保存と自然──ジョン・ミューアとフンボルト
その全体、繋がり、広がりに本質がある
> 自然は一つ一つバラバラの事象がてんでバラバラに存在いているのではなくて、その全体繋がり広がりに本質があるということを意味している。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2021/01/18/183431
2015/08~2016/03
2016/04
2015/04

4
ロバート・ゼメキス、ボブ・ゲイル「バック・トゥ・ザ・フューチャー
日本語には未来形がない
葉っぱの坑夫
「アト」には「未来」、「サキ」には「過去」の意味しかなかった
清水克行
youkoseki サン
> タイムラインについての情報を求めています https://twitter.com/taizooo/status/1092721959505252352
> タイムトラベルなら、毎晩行なわれている(dsbdで)。 https://twitter.com/taizooo/status/393394191461404673

5
> 第一次ブラウザ戦争
> 1996から2009年までの複数のブラウザーの市場占有率
> 最初の戦争は、Internet ExplorerかNetscape Navigatorの二択から始まった。
文化は「モダン」に対する「ポスト・モダン」として立ち上がる
> つまりどうゆうことかというと、20世紀の音楽は19世紀の音楽から「脱・19世紀」するという力が働いているんだけど、実のところ19世紀の音楽も18世紀の音楽から「脱・18世紀」することによって形作られている。でそのときに脱しているのは実体としての前世紀の音楽ではなくて「今」のわたしたちが勝手に妄想している前世紀の音楽に相対するものとして「今」を構築している、ということ。 https://taizooo.tumblr.com/post/190377999030
> 2007年7月、休日出勤の気怠い昼休み、オレはその地に踏み出した。 https://taizooo.tumblr.com/post/6616963657

6
> 物事には始まりがある。宇宙の誕生。原始地球からの自己複製子の登場。生命の誕生。自分の誕生。自我の目覚め。ハレルヤ。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2019/12/01/000000
Google Search
Welcome to The Internet Archive Wayback Machine http://web.archive.org/web/20011109210236/http://web.archive.org:80/
> 以上のテクニックを使うと、理論上、より短い時間に多くのReBlogを入れることができます。つまり、RPM(ReBlog per minite)が上がります。 https://taizooo.tumblr.com/post/8499564
ご愁傷さまです。チーン
> みーんな取り憑かれてるんだ。AutoPagerizeとかLDRizeとかtomblooとかTumblrとかインターネッツとか自由とか、そーいうものに。ご愁傷さまです。チーン。 https://taizooo.tumblr.com/post/60669456

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youpy サン
> テリー・ライリーの "You're Nogood" はインターネット・スターのあの人のツイートから https://twitter.com/taizooo/status/1431266082707304449
もともと、カルヴィーノは brazil サンの "This Is How I Feel About JavaScript" から

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> 20. On the Net, we are the medium. We are the ones who move messages. We do so every time we post or retweet, send a link in an email, or post it on a social network. https://cluetrain.com/newclues/
メディアとは人間の生み出したテクノロジーの別名であり人間の能力を拡張したものを指す
> マクルーハンは、一見、あらゆるものをメディアに含めているかのように思えるが、マクルーハンによるメディアとは、人間の生み出した技術(テクノロジー)の別名であり、人間の所与の能力を何らかの形で外化したもの、拡張したものなのである。そして、そのメディア概念は、①純粋にコミュニケーションに用いられるメディア(例、テレビやラジオ=“電気テクノロジー”)と、②それ以外の能力拡張としての技術メディア(例、活版印刷術=“グーテンベルク・テクノロジー”)との二つに大別しうる(4)。
> この結果マクルーハンは、テクノロジーとメディアの変化に対応した新たな主張を展開するようになった。すなわち、人類が、グーテンベルク銀河系が象徴する個人主義と孤立の世界から、「部族的基盤」をもった集合的アイデンティティへと移動する。この新しい社会構造を指してマクルーハンは「グローバル・ヴィレッジ」という新語を用いたのである。後年この語は普及につれて肯定的に用いられるようになったが、もともとマクルーハンはこの語を否定的なニュアンスで使っていた。 https://ja.wikipedia.org/wiki/グローバル・ヴィレッジ
インターネット3つの脅威
> But most dangerous of all is the third horde: Us. A horde is an undifferentiated mass of people. But the glory of the Internet is that it lets us connect as diverse and distinct individuals. https://www.cluetrain.com/newclues/index.html

9
> さて、叔父のアレックスは今天国にいる。彼が人類について発見した不快な点のひとつは、自分が幸せであることにまったく気づかないことだ。彼自身はというと、幸せなときにはそれに気づくことができるようにと全力を尽くしていた。夏の日、わたしたちは林檎の木の木陰でレモネードを飲んでいた。叔父のアレックスは会話を中断してこう訊いた。「これで駄目なら、どうしろって?」
> 「二つある」と彼は言った。「まず、宇宙全体をきちんとするなんてことはできないと認めること」
> 「そうして二番目は、それでもほんの小さな領域を、まさにそうあるべき状態にするということ。粘土の塊とか、四角いキャンバスとか、紙切れとか、そうしたものを」
「20世紀を語る音楽」エピローグより
> 反復的音楽はよりしばしば、この後期資本主義消費社会において、私たちみなが繰り返し (また練り返し、そしてまた繰り返し…) 直面しなくてはならない数多くの反復的関係性を目の当たりにして、感謝と警告と防御 (あるいはただ美的なスリルさえも) を提供してきた。私たちはこの文化のなかで同じことを繰り返してきた。私たちは同じことを繰り返し尽くすことができるかもしれない

outro
> RAC7889 ってラスト1時間で7889postチャレンジですよね https://twitter.com/tantarotar/status/283514801290874881
秒速7889m
宇宙速度
> われわれは、2011年末に一日250発という制約を負いました https://twitter.com/taizooo/status/274155517826433024
> しかし彼等は、この厳しい環境の元でその限界を突破する術を発見しました。 https://twitter.com/taizooo/status/274156275279990784
> その術を発見したサー・レトレットはその手段をリブログコモンズの名のもとオープンなものとしました。ハレルヤ https://twitter.com/taizooo/status/274157298056847360
> 時間が矢のように一直線に進むのではなく、ときに滞留したり止まったり糸のように細くなったり巨大な濁流になったりしながらグルグルと循環しているのだ、という感覚 /taizooo/ベスト・オブ・ザ・イヤー
> 自分がコントロールできないことが多いときほど、自分のことを濁流を流れるカヌーだと思うようにしている。選択肢がごくわずかでも、コントロール出来ることがほとんどなくても、出来ることを出来る分だけやる。あとは神任せ。 /taizooo/2021/2
> さて、自分はというと、ちょっと素行が悪くても渦を巻いて飛沫を上げているくらいの川の方が楽しいかなーとか考えています。人の目を盗んで入ってはいけない場所にもズカズカと入っていきますし、お巡りさんの目を盗んで台風のあとの濁流で泳いだり、秘密基地よろしくガラクタを寄せ集めて陣地設営したりします。お気に入りの場所は天気や地殻変動や行政や政治によって洗い流され、場合によっては二度と元のようには戻りません。あまり人でなしなことをすると社会的な制裁を受けることもあるし、場合によっては命を失います。 https://copyanddestroy.hatenablog.com/entry/2020/09/14/175526
> だからこのインタビューは一種のスナップショットだ。当時彼が巻き込まれていた濁流のような状況を反映している。 https://sb-rs.com/article/2548
> 「願い」は「呪い」だ
> 祝祭は開幕した。
> 祝祭には呪いを掛ける役割がある。それはマジナイでもありノロイでもある。呪いは文字、言葉、音楽に乗って伝わる。取り憑く。取り憑かれる。
> チャンギージーが言うように、人は死者との対話を実現した。文字、言葉、音楽を介して。自然の姿から文字を、自然が鳴らす音から言葉を、人々が振る舞う様から音楽を生み出した。印刷、録音、映像を介して、過去から未来、あらゆる人々との対話が行われるようになった。
> 四年に一度のワールドカップが祝祭ならば、二週間に一度やってくるホームゲームは日常だろうか。 勝っても負けても引き分けても、日は沈みまた昇り、一週間はいつもと同じ顔でやってくる。
> そうしてまた朝日は昇る。話はこのバースの頭に戻る。


おわりに
索引集をご覧になればお気づきの通り、今回のこれは、2021年を中心にした、ここ何年かの読書についての話でした。yet another 読書についての記録集成 ( /taizooo/読書についての記録集成 )。

今回は、読んだ本(Web, Code, Text)が繋ぐリンクについて書いたんだけど、次がもしもあるならば、ピエール・バイヤール「読んでいない本について堂々と語る方法」に則って、まだ読んでいない本(積読山脈の本、いつか積まれることになる本、決して読むことがないであろう本、まだ書かれていない本)が繋ぐリンクについて書こうと思う(予定は未定)。

結局のところ、言いたいことはそんなに無くて、 "You'er Nogood" みたいな文章が書きたかった、というわけ。


2021/12