部族の太鼓
部族の太鼓
> マクルーハンの主張する論点のうち最も画期的だったのは、電子メディアは文字ではなく、話す・聞くという仕方で情報を伝えている、ということである。彼の考えは明らかに1950年代のアメリカのテクノロジーと文化から影響を受けている。実際、彼が好んで例に挙げるのはジャズ、ラジオ、電話といったものだった。
そういう意味ではソーシャルネットワークは、文字的ではなく、発話的、通話的、送話的であると言える
> このため彼は1960年代には、映画、テレビ、コンピュータといった新しい電子テクノロジーでは視覚映像に重点が置かれているという批判を受けた
> この結果マクルーハンは、テクノロジーとメディアの変化に対応した新たな主張を展開するようになった。すなわち、人類が、グーテンベルク銀河系が象徴する個人主義と孤立の世界から、「部族的基盤」をもった集合的アイデンティティへと移動する。この新しい社会構造を指してマクルーハンは「グローバル・ヴィレッジ」という新語を用いたのである。後年この語は普及につれて肯定的に用いられるようになったが、もともとマクルーハンはこの語を否定的なニュアンスで使っていた。
グローバルという大きな世界を表す言葉と、ヴィレッジという小さなムラを表す言葉の合成
大きさと小ささ
スケールの大きさと、その中に含まれる断裂、対立、分断っぽさ
否定的なニュアンス
> 「厖大なアレクサンドリア図書館へ向かうのではなく、世界はコンピュータ、つまり、まさしく揺籃期のSF小説に描かれている電気的頭脳そっくりになってきた。私たちの感覚が外に出ていくにつれ、ビッグ・ブラザーは中に入ってくる。だから、この力学に気づかない限り、私たちはすぐに部族の太鼓と全体的相互依存と二重焼き付けになった共存の小さな社会にふさわしいパニック的恐怖の段階へと入っていくだろう。……恐怖は口承的な社会の常態だ。というのも、この社会ではつねにすべてのことがすべてのことに影響を与えるからだ。……西欧世界に感性の統一と、思想と感情の統一を回復しようという長い努力のなかで、私たちはこのような統一性の与える部族的帰結を受け入れるつもりはない。それは、私たちが印刷文化によって、人間精神の断片化を受け入れるつもりがないのと同じだ」(有馬哲夫訳)。