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承認欲求を刺激するsystem
井戸端に書いていて、結果的に承認欲求が満たされたと感じることは実は結構あるyanma
しかしこの2つを厳密に区別するのは難しい気がする
共感してもらえると承認欲求が満たされることはよくある
この記事が問題視しているのは、虚無で遊んでいる人
> SNSとかの「いいね」(インタラクション)に最適化された行動
これを排除したい
ルール化された共感
> 「気に入った文章に共感アイコン付けてね」とかいうルールができると、「共感アイコン付けなかったあいつはなんなんだ」としょうもない疑心暗鬼が始まる
これも避けたい
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そして、虚無でない、ルール化されてもいない、「ちゃんとした(要定義)」フィードバックによっても、人間は報酬系を刺激されてしまう
これは……どう扱えば良いんだろう?
> SBでの「わかる」はそんなに感情がないイメージ。刺激が弱いと思ってて良いことだと思ってる
これが良いというのはとてもよくわかる
もう少し言語化したい
関連
良い考察takker
Instagramがもたらす刺激についても書いてある
問題点は承認欲求を刺激するsystemではなく、虚無を発生させる仕組みなのではないか?
何でですか?
(自分で書いてて何故なのか忘れてしまった)takker
承認欲求や報酬自体は悪ではないけど、承認欲求が目的化するのは問題ということ?yosider
あくまで生産性を高めたい人にとって問題という意味であって、そうでない人には問題ではないかもしれない
問題がいくつかあると思う基素
他人への問題
他人が過剰に評価するようにするのでわかりづらい
中身のないSEO。過剰なタイトルで中身普通、とか
自分への問題
精神の不調
その報酬系で長期的に重要なものをしなくなる
こういうことがなければいいのでは?
「うれしー(終わり)」に実害はなさそう
考察や評論文みたいなのを書きたい場合は文章力がつかないという点で自身に有害だけど、そうでないなら害はなさそうtakker