「高度」とは何か
こういう使い方をする
「これは高度ではないから書いてはいけない」
「これは高度だから書いてもよい」
「高度」がよくわからない
それが何なのか明確ではないが、それを読んで行動をやめたりする
まだアウトプットしてない考えX
これを他人が「高度」と思うかどうかはわからない
つまり「Xは高度ではない」は未検証
「ぼくがかんがえたさいきょう」の「
さいきょう」に似たもの
なぜ「高度でないものは書いてはいけない」という考えが発生するのか?
子供の時に楽しく何かを作って、
それを一般的ルールとして学習してしまったとか?
わかる
周囲の人間が人格とプロダクトを分けていない、以下で言うところの
DH3ぐらいの評価をする人ばかりの場合
最近ずっとこの状態
高度かどうかと有益かどうかは別の話
「増井さんが会社のScrapboxに
くだらないページを作ったので盛り上がって有益だった」的なエピソードがなかったっけ
カモじゃなくてハモだったか!w
このエピソード、改めて読み直してみると印象が違った
人名を削ってみた
Aさんが会社の共有の場にある内容を書いた
Bさんが「これは必要なのか?」と反応した
Aさんは反論して取り下げなかった
Cさんは「こういう内容を書くことは共有の場を盛り上げるために有益だ」と考え、AとBのやりとりを事例としてコンテンツ化した
ここでAさんが新入社員でBさんが上司だとする
Aさん「あっ、すみません、消しますね!」となりそう
なります
強い意志がないことに関して、上司に抵抗をして摩擦を産みたくない
実際なったことある
同期の新入社員がそれを見て必要最小限しか書き込みしなくなるだろうな
あ、これが「一般的ルールとして学習」だな
「仕事に関係のあることだけが書かれているべきだ」と考えるBさんにとっては目的が達成されるので有益
「共有の場が活発に更新されるべきだ」と考えるCさんにとっては有害
「社内のすべての情報知識メモどうでもいいことを集積させ検索できるようにすべき」と考えるDさんにとって
人格否定レベルで有害
「高度ではないから書いてはいけない」と考える人は心の中にBさんを飼っている