ページが切り出されると現実が立ち上がり事実が生み出される(taizooo)
「始めに」の前に
ここでいう
LT の L は Lightning の L ではなくて Longing の L です
「『始めに』の前に」の後に
我、切望する! 偶然と混沌に満ち溢れたインターネットを! Scrapboxを!
では始めます。お聴きください
(Start presentation)
始めに
この年末年始にわたしのインターネット観測範囲を賑わせた言葉があります
「境界」と「偶然」です
一見関係なさそうな物事がバンバンと音を立てて繋がっていくのが
Scrapbox の醍醐味です
sandbox が一番面白くなってしまう現象
なんか最寄りのページに適当に貼りつけて、あとで勝手に上手いことまとまって欲しい
New Page
便利! 超便利!!
なんか最寄りのページに適当に貼りつけて、書いては切り出し、書いては切り出す。延々と続く。それに飽きてしまうまでは
書いては切り出し書いては切り出す
切り出されたものが真か、残ったものが真か
正誤、真否、成否、是非、ゼロイチ
> あなたがたは『然り、然り、』『否、否、』と言いなさい。それ以上のことは悪い者から出るのである (マタイによる福音書 5章37節)
境界を設定する
>例えばバーのカウンターとか、例えばエンジニアと営業とか。
> 境界を超えてしまうと混乱に巻き込まれることがある。こちら側から相手の状況見ていれば、向こう側では許されない動きがこちらでスルリと出来たりする。(手出しできないこともたくさんある)
> いずれにせよ「境界」が見えているものと見えないものでは見ている世界が違う。
> だからこそ、境界ははっきりと引くべきである。それを越えるにせよ越えないにせよ(謎)
境界ははっきりと引くべきである。それを越えるにせよ越えないにせよ
書くことによって、書かれたことと書かれなかったことの間に境界が引かれる
切り出すことによって、そのページとあのページの間には境界が引かれる
リンクすることによって、(略)
選択することによって、(謎)
境界
新明解国語辞典より
土地(2つのものの間)の境
「境界線を引く」/「境界標」
それは無名匿名なインターネット辺境周縁の地に住むわれわれにとって生存に欠かせないものです
身を守るために、攻撃するために、隠れるために
安全な場所から知らない誰かに石を投げつけるために
それは、安全のため、危険のため、冒険のため
前衛、辺境、周縁
>Webの前衛,辺境,周縁,まあなんと呼んでもいい
世界を二分する
自己と他者
ホームとアウェイ
ローカルとグローバル
自分と世界
A が定まると not A がそこに立ち上がる
世界を分けることは人間の認識の根幹に関わる
分類と系譜
地図ができあがれば、そのとおりに現実が立ち上がり、領土が生み出される
> 現実があって地図があるのではない。地図ができあがれば、そのとおりに現実が立ち上がり、領土が生み出される
> 言葉が先にあって、事実があとから都合よく形作られていく
文字が書き起こされると現実が立ち上がり、ページが切り出されればそのとおりに事実が生み出される
現実よりもフィクションです
> (2) ナショナル・アイデンティティ(国民意識)は現実よりもフィクションです。
世界が完全に一つにつながっている
> 彼らは、河川と海を交易の手段として利用していた。まだ国境なんて存在しなかったからその範囲が日本列島だけに限定されるなんていうのは、現代人の認識のバグなのだろう。
引かれた境界を行ったり来たり出来ないなんていうのは、現代人の認識のバグなのだろう
世界は分断の危機にあるそうだ
> 長い長い春が続いたこのインターネットはイーロン・マスクの手で存亡の危機に陥っているらしい。人々のうずまく承認欲求に世界は分断の危機にあるそうだ。
> 時間の流れを遡ると時間が経つにつれて枝分かれ分岐を繰り返して世界が細分化されてバラバラになっていく様を見ることが出来る。
彼らの言葉を乱してやろう。互いに相手の言葉を理解できなくなるように
「境界」に沿って歩くか、「境界」を横断するか、
「境界」にとどまるか、それとも「境界」の向こう側に居座るか
ローカルは内と外の間に存在する
マクルーハンはそれを「ヴィレッジ」と呼んだ
> マクルーハンは、テクノロジーの進歩とコミュニケーションの変化を「グーテンベルクの銀河系」から「グローバル・ヴィレッジ」への変化と捉えた。われわれは銀河系の住人からムラの住人になろうとしている。
> グローバルという大きな世界を表す言葉とヴィレッジという小さなムラを表す言葉の合成。大きさと小ささ。スケールの大きさとその中に含まれる断裂、対立、分断のイメージ。
他者と世界との連続性
> 対して、モデルBでは、自己の境界が他者のそれとなかば融解しており、ある感情を他者とともに経験する様子が描かれている
窓の外のノイズ
> 時事問題のノイズを BGM にしてしまうのが古典である。同時に、この BGM の喧噪はあくまでも必要なのだ。
> もっとも相容れない種類のノイズがすべてを覆っているときでさえ、 BGM のようにささやきつづけるのが、古典だ。
どこにいようと聞こえてくるのはほとんどノイズだ
> どこにいようと聞こえてくるのはほとんどノイズだ。ノイズは無視するとかえって邪魔になる。耳をすますとその魅力が分かる
何かが起きたときの音
> その中にこんな問いがあった。「世界でもっとも美しい音楽はなにか」とね。英雄たちが次々に答えていって、最後の者が「何かが起きたときの音が、世界でもっとも美しい」と言って、それが最高の答えだとみんな思ったというわけ。
この原則わかんない奴はインターネット合わないと思う
使えるものは見境なくなんでも使われる
> 対話においてもシグナルとノイズの区別に意味はない。使えるものは見境なくなんでも使われる。たとえ傍目からはそれがノイズに見えたとしても
広く散らばっている偶然は大きな力で集約されていく
> 芸術は見えないほどの微粒子となって世の中に散らばり、そうやって拡散した芸術が路上で発見されたものがトマソンである
> 世の中に広く散らばっている偶然は、何か大きな力で集約されていくのではないか
出会うべきキチガイとは、自然と必然的に出会えるものなんだよ。それも偶然を装って
> 今まで、ただ読者を増やす方法は各所で語られてきたわけだけど。 どうやって気立てがよくて頭のおかしい人にチャンネルするかは、
> 出会うべきキチガイとは、自然と必然的に出会えるものなんだよ。それも偶然を装って。
入り口は開かれてる。ただそこにある。
> このようにさまざまな窓口は開かれている。SNSに閉塞感を抱くでもなく、Web3に望みを託すでもなく、見知らぬ人々と立場を超えて繋がれるインターネットはただそこにある。
> 日常と異界は隣り合ってる。異界への入り口は常に開かれてる。閉塞感を抱くでもなく、望みを託すでもなく、見知らぬ人々と立場を超えて繋がれるインターネットはただそこにある
つながる可能性をリンクに開いておく
> 文章中のキーワードをブラケット [ ]
で囲む
> 「リンクをつける行為」を「ブラケティング」と呼ぶ
ティム・インゴルドはそれを「結ぶ」と言った
ティム・インゴルドはそれを「編む」と言った
偶然から秩序へ
宇野重規「民主主義のつくり方」
チャールズ・パース
> この宇宙の最初にあるのは偶然性であり、混沌であった。それは無秩序であると同時に、自発性や独創性の源でもある。これを「第一のもの( The first )」と呼んだ
> 何がこの「第一のもの」と「第二のもの」を媒介するのか。それが「第三のもの」である習慣である
> パースの宇宙論における習慣とは、個別的な偶然性を全体的な秩序へと媒介する存在であり、変化し成長する力である
開いていくことや続けていることがそういう結び目をつくってくれる
> デイリーコーディングやってて良かったことの一つは,ひとりで続けていたはずの活動に,気づかなかった価値や参照点を誰かが教えてくれること.それらに触れていくうちに,興味や関心が歴史や文化に向かったことだった.開いていくことや,続けていることがそういう結び目をつくってくれる.
統合ではなく対立や分断を内に抱えていることが社会の構成要件になってゆく
> 近代という時代に、社会を人体のように一つにまとめる「超越的な秩序」が不在となって、統合ではなく対立や分断を内に抱えていることがむしろ社会の構成要件になってゆく
世界を結び直す、編み直す
> 願わくば大好きなこの場所が、調整されていない不用意なインターネットであり続けますように。
そして Scrapbox が、結び直す、編み直す、開けていく、続いていく、そんな「場」であり続けますように
本日の商品のご紹介
それではここで、境界を自由に行き来し、偶然を自在に乗りこなす、クールでナイスな皆様に、オススメの Scrapbox をご覧いただきます
そして対戦者を募集しています
2023AC2023 それはまさにベスト・オブ・ザ・イヤー
2023AC2023は2023/12月に開催予定です。各自、お気に入りを詰め込んだ麻袋を持ってお集まりください