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クロスカントリー
> レベッカ・ソルニットウォークス 歩くことの精神史」のなかに「クロスカントリーウォーキング」ということばが出てきて あらためて「クロスカントリー」とは何を示すのかを知りたい

Athletics and Football

> 1世紀前に、走ることは情報伝達の最も効果的な手段ではなくなりましたが、配達人を雇っていた富裕層は、走ることに新たな目的を見出しました。それは、掛けをするのに理想的な見世物になるということです。19世紀の間、マラソンはこの目的のためだけに開かれました。
> イギリスでは1860年頃以降に、紳士ランニングクラブ「ヘア・アンド・ハウンズ」または「ハリアー」が設立され、主に陸上競技クロスカントリーの原型である、ペーパーチェイスを行いました。
> こうしたクラブは1880年にオックスフォードで発足したアマチュア陸上競技連盟の統制を受けました。その名前そのものが、賭け事の世界と「プロ」ランナーへの軽蔑を表していました。クーベルタンが明白にアマチュア側についたことで、緊張状態が生じました。あるイタリア人選手は第1回オリンピックマラソンにエントリーしましたが、プロであるという理由で出場が認められませんでした。しかしマラソンは競技時間が長く、不正工作の方法が多いという点で、他の競技と同じまたはそれ以上に、賭け事に適していました。

nbqx 氏とのやりとり
検見川というクロスカントリーコースを見たことがあります。芝が敷き詰められた丘陵地帯でした。クロスカントリーと呼ぶ場合そのフィールドは全く手付かずの自然ではありません。おそらく休耕地や未開拓地を指していると思います。つまりエンクロージャーです https://twitter.com/taizooo/status/929979700327325696
> 全く手付かずの自然ではない」というのにピンときました いま読んでる本では「イギリス式庭園の垣根の高さが段々低くなってクロスカントリーができた」みたいに解釈できるとこがあったので https://twitter.com/nbqx/status/929982556857974784
「エンクロージャーは産業革命の前段階に当りますから、農村にはすでに富裕層が誕生してますし、都市化も始まっています。都市に相対する概念としての郊外(農村)であったり、そのイメージとしての"クロスカントリー"というのはあると思います。非常にイギリス的ですね https://twitter.com/taizooo/status/929983623444312064
> そういう意味でいうと イギリスの「クロスカントリー」はアメリカでいう「サバービア」と対比できるかもしれないなとおもいました アメリカ人は郊外という概念をスポーツに持ちいなかったという事実もおもしろいです https://twitter.com/nbqx/status/929985873554190337
> おなじ郊外でも クロスカントリーは歩く場所だけど サバービアはバーベキューをやる場所 https://twitter.com/nbqx/status/929986515052011520
「イギリスはスポーツと賭け事を切り離しませんし、アメリカにとってフロンティアは征服する場所ですよネ https://twitter.com/taizooo/status/929987437442379776

nbqx 氏とのやりとりの後
「クロスカントリーという言葉、「断郊」という文字からとても魅力的に見えてきた。境界を横断する。もっと乱暴にいうと、片っ端から障壁をぶっ壊して進む https://twitter.com/taizooo/status/930001927739289602
「道はない。道は必要ない。 https://twitter.com/taizooo/status/930002075408220160
「クロスカントリーという言葉、使い回されて去勢されている。本来はもっと強い。たぶん https://twitter.com/taizooo/status/930002616515379201


> 「クロスカントリー」とは「私有地と共有地を縫って歩く」という意味ではないか /nbqx-prime2/クロスカントリーの定義#5a122d113a339b000039f42a
イギリスの産業革命に関連する事柄は、ずっと追い掛け続けているので、この見方はとても興味深い
私有地と共有地、所有の話
土地の所有というのは単に所有するという意味ではなくて、土地(荒れ地)を開発する(開墾する)という意味を持っている
我と彼(私有地と共有地)という分断だけではなくて、開発された場所と未開発な場所(未開地)という分断も意味している
未開地というのは、大航海時代の冒険の原動力となったモノでもあるし、アメリカの太平洋を目指す進行(西進)の原動力となったモノでもある
縫って歩く、というのはとても響きがイイ。境界を渡り歩く感じがある
文化と経済と政治は別々のものではないので、囲い込みと呼ばれる出来事が経済、文化それぞれに折り重なる様子が見えてくるよう
歴史は項目ごとに分断されているわけではなくてずっと一つながりになっているので、農業革命というかもっと前の第一次囲い込みあたりからの歴史の繋がりが見えるような気がする

参考:
2007/3月
> 抄録
> 現代イギリスの農業環境政策は、政策の受け皿となる農業従事者に土地管理人としての役割を求めている。この役割は現在、新たに築いていこうとするものではなく、すでに18~19世紀のイギリス農業においてみられることであった。イギリスは農業環境政策の実施にあたって、この伝統的な考え方に大きく依存している。
> 本稿は18~19世紀イギリスにおいて土地管理という概念が、どのようにして形成されたのかを検討したものである。従来までの研究においては、土地管理に関しては共有地の利用を取り上げることが多かった。本稿ではむしろ共有地が減少していったとされる農業革命期を対象にして、この時期の土地所有構造や農業規模、そして囲い込みなどを再検討することによって、土地所有主体である地主、土地利用主体である借地農という分類(伝統的な分類ではもう一つの農業労働者が入る)だけでなく、土地管理主体である土地管理人(あるいは執事)という存在を明らかにした。
> 土地管理人は主に地主所領の管理を担当する専門職となっていくが、所領経営には欠かせない存在となっていった。19世紀中期に生まれるイギリスの農業カレッジは、土地管理人を養成したともいえる。地主所領は19世紀末頃まで土地管理人によって維持されることになるが、その後、衰退する。しかしながら、土地管理という考え方は消えることなく、20世紀になってその対象を土地という平面だけではなく環境という立体へと、さらに広げていく。

1898
Karl Schou
Karl Schou - Wikipedia, den frie encyklopædi https://da.wikipedia.org/wiki/Karl_Schou
> Carl (Karl) Holger Jacob Schou (9. marts 1870 i København – 8. marts 1938 i Charlottenlund) var en dansk maler.
Carl(Karl)Holger Jacob Schou(1870/3/9 コペンハーゲン ~ 1938/3/8 シャーロテンルン)はデンマークの画家
はるか彼方先まで、生垣? 石垣が見える
> 囲い込み(かこいこみ、英語: enclosure)は、細かい土地が相互に入り組んだ混在地制における開放耕地 (Open Field) を統合し、所有者を明確にした上で排他的に利用すること。歴史上、幾度となく繰り返されてきたプロセスであるが、特にイギリスにおいて16世紀と18世紀の二回行われたものを指す。第一次囲い込みは牧羊目的で個人主導で行われたのに対し、第二次囲い込みはノーフォーク農法などの高度集約農業の導入のために議会主導で行われた
> 生垣はサンザシで作られ、合間にトネリコやニレの木が植えられ、生垣に沿って溝が掘られた。石の多い地域では生垣の代わりに石垣が作られた。