私有地と共有地
イギリスにおける囲い込みについて
キーワード:
農業革命、地主(領主、ジェントリィ)、土地管理人(執事)、借地農、自作農、地代、税金(十分の一税)、金納化
思っていたのと全然違った。どう思っていたかというと
> 伝統的な見解では、土地の囲い込みによって、いわゆる大農が出現し、それによって土地および労働生産性が向上したと説明されてきた
実際には土地のほとんどは少数のジェントリィが保有していた
> 1873 年に作成されたReturn of Owners of Land 8)によれば、3,000 エーカー以上の土地を所有する大地主が 1,688 家族(全土地所有者の 0.2 パーセント)存在するが、この家族の所有地が国土全体の約 43 パーセントを占めている
> さらに 300 ~ 3,000 エーカーの土地を所有するジェントリィは約 12,000 家族(全土地所有者の 1.2 パーセント)存在し、この家族の所有地が国土全体の約 26 パーセントを占める
> つまりこれらを合計した約 14,000 家族(全土地所有者の約 1.4 パーセント)によって国土全体の約 70 パーセントが所有されるという状況にあった
> このような構造は 19 世紀後半にいたって急激に生まれたとは考えられない。したがって、すでにそれ以前からこのような土地所有構造が生まれ、おそらくこの土地所有構造が形成される過程で農業発展がもたらされたと考えられる。
ジェントリィは地代で生活していた
たぶん、その場所に住んでいたわけではない
代わりに請け負っていたのが土地管理人。プロフェッショナル。もしかしたら複数の土地を管理していたかもしれない。もう完全に個人事業ではない。もっと大規模
土地の所有者と農業革命の当事者は直接つながらない。もっと多様。大規模。
農業革命、思っていたのより全然複雑な現象だったぽい
ヤバイ