generated at
拳で深めるコミュニケーション

(解説:拳で深めるコミュニケーション猪木vsアリ戦 のフォトを貼っているというのは、かなり捻れた意志を表明しています。つまりまともに戦わなかった対戦だったわけです。人生とはそういうものだ)

ひとが書いたものに書き加える行為は怖い についてのアンサーソング的な
かつて snj14 サンと話した内容です
この対話には二つの軸があります

まずは、「場」の話
> github的な場に正規表現とXPathの妖精(a.k.a drry)はうまれない。wedata(招待なし)やCodeRepos程度のフィルタリング(yappoさんにメール送る手間をかけれるか、どうか)だと妖精が生まれる。 https://twitter.com/snj14/status/11587195539
> 混沌の中からしか何かは生れないのか? github じゃなくて wedata や CodeRepos にある何かかなのか https://twitter.com/taizooo/status/11594622477
> 混沌からしか生まれない、っていうか、なんだろう、「どこまで性善説を前提に作れるか」みたいなところ? https://twitter.com/snj14/status/11595454608
> 「悪いことをされるリスク」と「それを防止するために失う自由さが生む色んな利点」のトレードオフ、とか、そんな感じ? https://twitter.com/snj14/status/11595615172
> http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/snj14/status/11587195539 これ、github対wedata,codereposで登録する面倒臭さがgithubの方が少し大きくて、その僅かな差が妖精にとって大きいのでは?という話です。なんでそういう話をしていたのかを言うと妖精に消さr https://twitter.com/snj14/status/11706001332
書き換えたり、書き換えられたりすることが許容される「場」についての条件の話(かな?)
この「場」についての話は、2019年の今の視点からであれば、違う理解がなされていると思う
母数の拡大であったり、分断化の話だったり

> あー書き換えられる痛みとかそういうヤツか。たしかに drryXPath ヤラれる痛みw https://twitter.com/taizooo/status/11594727515
> オレ気がついてる事があって、書き換えられることに対する違和感とかよりも、じつは書き換えることに対する、なんていうか意識的なバリヤーが高いというかパワーが必要というか、一般的にはそういう感じみたい。人の土俵にドカドカ土足であがっていくのは怖いみたいな感じ? https://twitter.com/taizooo/status/11596792624
> 批評するのとは違うのね。批評みたいなのは自分のシマから出ないで、長距離砲でバンバンやるみたいなモンでしょ。あれは https://twitter.com/taizooo/status/11596986322
> あー、たぶん、痛いのって、殴る側もそうだし、殴られる側もそう。ただ、殴られる側が「ここなら10の力で殴ってもいいよ」っていう心構えをして、その心構え具合を読み取れる(そういう文化を知ってる)人が10以下の力で殴る(技術的なバックボーン必要)とお互い痛くない、ような気がする。 https://twitter.com/snj14/status/11597559960
> 1でも痛いから殴るな!(コピー書き換え禁止!)って言ってるのに殴っちゃったり、5にして!お願い!って言ってるのに6で殴っちゃったりすると嫌な思いをする、のかなぁ https://twitter.com/snj14/status/11597709371
> そういう文化への理解と、技術的なバックボーンか https://twitter.com/taizooo/status/11613230682
書き換えられる側の痛みだけではなくて、書きかえる側の痛みの話と、その痛みを前提としたコミュニケーションの形の話(かな?)

背景について書きます
インターネットで一番最初に覚えたのが XPath でした。AutoPagerize で次のページを繋ぎたかったから
wedata の前は infogami でそれがもう死にかけていたので(新規アカウントが作成できなかったので)すでに infogami アカウントを持っている誰かに頼むか、 jottit に textarea を切ってオレオレ SITEINFO を書くしかありませんでした
で wedata が出来てから勝手流で XPath を書き込み始めました
でも全然理解出来ていなくてコピー&ペーストと書き換えでやっていたので大きな事故を何回も起こしました
というくらいヤンチャだったわけです
で、そんな様子を見るに見かねたのか snj14 や os0x が手取り足取り XPath の真理を教えてくれたわけです
おそらく2008年くらいのことです
で、そんな流れのなかでのやりとりです(2010年)

2019年のからの視点
Wiki 的なものが持っている課題というのは2009年あたりから全然変わっていないのをみるにつけ、テクノロジーやシステムは発達しているけども、人間というのは変わらない、固定的だな、と思う
感情による部分が大きいのだろう
ひとまず、以上ですtaizooo


妖精的な活動は GitHub でも出来るんじゃないかなあと思っていて、例えば xuwei_k さんとかkzys
xuwei_k さんは日本の Scala プログラマで、広範なプロジェクトに pull request を送った結果、"Scala ninja" とか "awesome functional programming robot" とか冗談半分にコミュニティから呼ばれています。これなんかはちょっと drry 性のある話だと思う。
>@xuwei_k is literally a Scala ninja. He's always watching from the shadowy corner, ready to pounce with an incredibly helpful contribution.
>OH doesn't even have a commit from @xuwei_k yet, so not a serious Scala project
>@xuwei-k are you an awesome functional programming robot sent to us from the future? or are you a human?

その他ランダムに思い出した話
Wikipedia は誰が書いているのか? http://www.aaronsw.com/weblog/whowriteswikipedia
>When you put it all together, the story become clear: an outsider makes one edit to add a chunk of information, then insiders make several edits tweaking and reformatting it. In addition, insiders rack up thousands of edits doing things like changing the name of a category across the entire site — the kind of thing only insiders deeply care about. As a result, insiders account for the vast majority of the edits. But it’s the outsiders who provide nearly all of the content.
初心者は大事に
>それどころか, 知識経験が無いために「タコ」が起こす誤操作や誤入力を利用した プログラムのバグ出しやそれに基づく改良, また「タコ」の自助努力の成果としてフリー公開された各種解説/入門文書, そしてこれを読んでもわからなかった「タコ」からの助力による記述の改善, こういった「タコ」たちによる努力は, 現在の(日本国内の) Linux の層を形作っている大事な要素でもあります.
実際に日本のLinuxコミュニティが優しいコミュニティだったかというと、うーん、どうなんだろう?kzys