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緩衝材で覆われた自己と孔だらけの自己
from 2021/03
緩衝材で覆われた自己と孔だらけの自己

緩衝材で覆われた自己
孔だらけの自己



> ここ最近、三つの大きな発見があったという話。三個目はまだよくわかっていなくてこの話と、 https://twitter.com/taizooo/status/1365218077252542469
インタビュイー 藤島皓介
インタビュアー 川端裕人

> あと宇野重規民主主義のつくり方」第二章 一項 「閉じ込められた自己」にあるチャールズ・テイラー世俗の時代」にあるという『緩衝材で覆われた自己』 (buffered self) の話 https://twitter.com/taizooo/status/1365219309039935489
第2章 「閉じ込められた自己」
> しかしながら、テイラーが 『世俗の時代』で展開する「緩衝材で覆われた自己」とは、それ以前のものとは若干ニュアンスが異なっている。問題は、自己の内と外との関係にある。私の内と外とは、どのように隔てられているのか。そもそも人間に、内と外の境界線など存在するのか。そのこと自体を問うために登場したのが、 この表現である。
> 「緩衝材で覆われた自己」と対比されるのは、「孔だらけの自己 (porous self)」である。たしかに人間の身体には、いくつもの孔がうがたれている。 口や耳や鼻、あるいは肛門、 さらには皮膚に無数に拡がる汗腺などを通じて、いろいろな物質が人間を出入りする。ある意味で、人間の内と外とは、皮膚という境界線によって限界を画されつつも、このような無数の孔の存在によって、 事実上半透過の状態になっているといえる。
>
> テイラーのいう「孔だらけの自己」とはもちろん、そのような物理的な意味での「孔」ではないだろう。彼のいう「孔」とは、一つのメタファーに過ぎない。 肝心なのは、外部からの影響がただちに自分のなかに浸透してくることである。「孔」があれば、どうしても外から何かが入ってくるし、自分からも抜け出てしまう。その意味で、「孔だらけの自己」とは、外からの影響を受けやすい、ヴァルネラブルな(脆弱で、傷つきやすい)存在なのである。
> 外からの影響といった場合、 テイラーがとくに注目するのは、いうまでもなく精神的な影響である。 「孔だらけの自己」にとって、自分の外に何かし強力かつ重要な精神的存在があり、自らの精神もまた、その影響を受けやすく感じられる。神や精霊の存在は、そのわかりやすい例であろう。神の「お告げ」はただちに自らの精神に届き、その影響は身体に直接作用する。
『緩衝材で覆われた自己』 (buffered self) に相対するものが『孔だらけの自己』 (porous self)


> あと、マクニールが言っていた「フロンティア」の話 https://twitter.com/taizooo/status/1365220610649976833
ウィリアム・ハーディー・マクニール

> が、繋がったような、繋がらなかったような、みたいな感じ https://twitter.com/taizooo/status/1365220733522075648

> 他者と世界の連続性とは、他者と自己の連続性をも意味する