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言葉が先にあって、事実があとから都合よく形作られていく

言葉が先にあって、事実があとから都合よく形作られていく

たとえば「インターネットがクソだ」という話も、ローカルに対するそれぞれの人たちの定義が関わっている
それぞれの人たちが住む街(町)が違うように、それぞれの人たちのインターネットも異なる
先ず「クソだ」というエッジの立った言葉(パンチライン)が先に立っていて
そして、それぞれの人たちにはそれぞれ異なる、ちょっとした違和感や居心地の悪さといったオボロゲな雰囲気がある
これに対して「クソだ」というラベルが貼り付けられて、「インターネットはクソだ」という雰囲気が厳密な定義をなされずに共感、共有されていく
言葉が先にあって、事実があとから都合よく形作られていく

だから、パンチラインには注意が必要だ

ティム・インゴルドは「生きていること」で「空間」と「場所」が異なるという話をしていて、空間に対して同じような指摘をしてる
空間は「ユークリッド空間」
場所は「人が住まうところ」
> 歴史上、狩猟採集民族も農耕民族も牧畜民族も、人びとはみな土地を頼ってきたのであって、空間を頼ってきたのではない。
> 農耕民族は、大地に作物を植えるのであって空間にではないし、 田畑から収穫するのであって空間からではない。
> 家畜は、牧場の草を食べるのであって空間の草を食べるのではない。
> 旅人は、国を通り抜けるのであって空間を通り抜けるのではないし、歩いたり立ったりするとき、 地面 に足を踏み入れているのであって空間のなかにではない

jgs
事実というか認識?言葉からそういう解釈もできるんだな~と考えられるようになる感じがする

taizooo
> 人と行為の固定化は分断のリスクをはらんでいる の通り「 若者短文 」と不必要に強く結びつけてしまうのは、そこにあるかもしれない本質を隠してしまう
> 人間の社会性、文化というのは、グループを2つに分けることから始まる
エッジの立った言葉 A が、名前のない何かの事象にタグ付けされると、
世界は Anot A に二分される
という話です
世界を分けること、人間の認識の根幹に関わることのような気がする
分類と系譜
分類 ≒ 種
系譜 ≒ 系統樹
ラベルをつけることは、かけがえのないそれぞれから、個別性を剥ぎ取って、全体の差異の中にそれぞれを位置づけることを意味する
例えば、生物学的には差異のないホモ・サピエンス・サピエンスを、たまたま人間の眼が持っている可視域特性から違って見える肌の色で、ありもしない「人種」という分類で区別すること
> 現実があって地図があるのではない。地図ができあがれば、そのとおりに現実が立ち上がり、領土が生み出される
事実って、こういうこと
jgs言い方が難しいんですが、地図が共有できてないと領土という認識?をピア間で持てなくないですか?

taizooo
関係ないけど Scrapbox でいうとこんな感じ
> ページが切り出されれば、そのとおりに現実が立ち上がり、事実が生み出される
応用編は twitter でも tumblr でも reblog でも retweet でもなんでもイイです

taizooo
化物語(マンガ)にこのようなシーンがありました
> 人から人へ、口から口へと、言葉が彼のカタチを変えていく
化物語のモチーフには、言葉、名前が先にあってそれが怪異を形作る、というのがあります
これはマンガの中だけではなくて普遍的に行われていることで、形作られるものは「怪異」だけに限らないですよね

taizooo
> (1) 国境は安定しておらず、
> (2) ナショナル・アイデンティティ(国民意識)は現実よりもフィクションです。