ローカルという概念
> Engaging in localism is different than regulating a lineup.
ローカリズムにエンゲージすることは、ラインナップを規制することとは異なります
ローカル、コミュニティ
ローカルっていう概念。サーフィンとかスケートボードとかにあるものだと思うんだけど。スキー・スノーボードでもそういう感じがあって、白馬の麓に住んで
不帰嶮を滑るような人がいたりする。レジャーな感じにメジャーなスポットに出かけて行ってそこを堪能するっていうのもあるけども、そういうのはなんとなく東京ディズニーランド的な感じがする。楽しいっちゃあ楽しい。で、だから? みたいな。スキーが死んでいた時代(90年代初頭)、頑張って Powder Magazine を取り寄せいてことがあった。アメリカでもスキーは死んでいて、何によって殺されていたのかというとスノーボードに、みたいな感じだったんだけど、実際には文化が死んでいていて、フリースタイルスキー(モーグルとかああいうコンペティション)も死んでいたし、ましてやアルペンなんてもってのほかだった。ちょうどそんな頃。アメリカはデカくて、場所によって雪に恵まれる感じが違う(サイズからみると日本の方がはるかに大きい変化量かもしれないけど)。で、降雪量の多い西海岸で新しい動きが始まりだした頃だった。そうなると死んでいるスキーシーンのなかで雪が多い西海岸にスポットが当りだすと、雪の少ない真ん中あたりや東海岸はさらに死んでいるような感じになると思われるんだけど、そんなシーンの中で、ローカルの精神を発揮する連中はいて、その場所、場所で新しいシーンのエッセンスを自分たちのスタイルで展開するようになっていった(具体的にいうとストリートとかパークとかみたいなああいう感じ)。アメリカ、別に全然好きじゃないけど、そういう心意気みたいな、自分のいる場所に依っている感じ。キライではない
1980年代、スケートボードは何回目かの死を迎えていた。忘却と再生というループは歴史の中で何回も何回も、いろいろな場所で現れる。ブームの終焉とともにスケートパークを失った彼らはその場をストリートに求める。新しい兆しはいつでも、ぶっ壊れている中から生まれる。当時、スケート・シーンはアメリカの各地に分断されていた。それをかろうじて繋ぎ合わせていたのはスケート雑誌の写真と記事。動かない写真からトリックやムーブを想像する。想像力だけがものをいった。ほどなくしてスケート・ムービーの時代がやって来る。いくつものスケート・ムービーが VHS に乗って流通を始める。正規、ブートレッグを問わず、その影響は世界に溢れ出していく。まだだれもがビデオ・デッキを持っていたわけではなかったから少年たちはスケート・ショップのテレビに何時間も何時間もくぎづけだった。映像によって情報は密度を高めた。世界中に散らばったスケート・シーンは繋ぎ合わされ、瞬く間に高く広くなっていく。トリックはさらに難易度を増し、その伝播はスピードを上げる。想像力の限界は上に向かって大きく開かれた。このループは留まることを知らない
1970年代に誕生したヒップホップは,今や世界の様々な土地で根付く人や資源を結びつき広めるための巨大なカルチャーでありフレームワークである.そしてこれは,自分にとってある種の行動指針となっている.例えば,コードを生活や来歴と結びつけることや,根付かせる,連帯することを目指す自分の「デイリーコーディング」という実践は,ローカルをレペゼンすることを良しとするコミュニティー形成的側面のヒップホップカルチャーの影響下にある.より直接的なところで言えば,フリースタイルラップにおける即興性やライミングにおける言葉遊び,フローのような音楽的な解釈は,自分のクリエイティブコーディング実践において,スタイルとして意識的に取り入れている部分でもある.ビートの上で即興でラップするように,エディタの上で即興でコードを書いている.
インターネットにもローカルの概念があると思う
たとえば、自分にとって
/hub はローカルである
ローカルは内と外の中間に存在する
自己と他者の中間
境界
「窓の外」は自己の外側であったり、ローカルの外側であったりする
外部は拡大されたり縮小されたりする
裏返すと
内部は縮小されたり拡大されたりする
言い換えると
自己は外部に延長されうる
さらに裏返すと
外部は自己に侵入しうる
ローカルっていうときに、それぞれの人たちが持っているイメージが異なっている
先ず自分にとってのローカルを明確にする必要があるんだろうな
それから他の誰かのローカルをおもんばかることが必要なんだろう
インターネットはローカルがんばって作ると良いんだろうな
自分の作っているものとそれに集まる人々、みたいなのがあると比較的平和になるように思う
ファンか