generated at
コミュニケーションのバッチサイズ

>最近の学生は突然、「ワーホリ行くならどこの国がおすすめですか?」みたいな、背景も条件も何もわからない連絡を送ってきたりする。そのことを先生に話すと、共感しつつ、興味深いことを教えてくれた。曰くあれは、「一発で全部書くのではなく、次に相手が質問してくれることを想定して、やりとりするつもりでいるんです」と。

>なるほど、「まさにチャット文化だ」と思った。ぼくだったら、「お久しぶりです。実はこういう理由でワーホリに行くんですけど、もしこういう条件だったらどこの国がいいと思いますか?」みたいに必要な情報を一度に書くけど、若い子たちのチャット文化では、それは「長過ぎる」のだ。すごい納得した。チャット文化とメール文化の違いかもしれない。

世代の差でも文化の差でもなく、コミュニケーションを行うときの情報量の「バッチサイズ」の話として捉えてみるとどうか。

バッチサイズを小さくして、やりとりの往復回数を増やす
バッチサイズを大きくして、やりとりの往復回数を減らす

たとえばソフトウェア開発において、ペアプログラミングという選択肢を選ぶことがある。これは非同期で行うコードレビューに比べるとバッチサイズを小さくして高速に何往復ものやりとりを繰り返して作業効率を高めていると言える。

Design doc を書いて、ピアレビューを受けて、考えを洗練させて、という進め方はバッチサイズを大きくして議論に深みをもたらす効果があるだろう。

コミュニケーションの主体となる人々が、そのとき話したいことに合わせてバッチサイズを大きくしたり小さくしたり、適切に調整するのがよいでしょう、と自分は捉えている。

人と行為の固定化は分断のリスクをはらんでいるの通り「若者 と 短文」と不必要に強く結びつけてしまうのは、そこにあるかもしれない本質を隠してしまうリスクがあると思えた。