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人と行為の固定化は分断のリスクをはらんでいる

taizooo さんが /hub にまとめていたページがおもしろかったのでメモしておく。


>cycling は「サイクリング」に限らない、あらゆる自転車利用のことだ。スーパーへの買い物もそうだし、誰かに会いに行くのに使うのもそう。ある瞬間に自転車を利用している人は誰でも英語の cyclist に該当するが、日本語の「サイクリスト」からはこぼれてしまう。そのフレームにおさまらない自転車利用の豊かさこそ日本が世界から注目されている点なのに、である。

ははーん、なるほど。考えたことがなかった。「サイクリスト」とカタカナで書いてあったら、趣味で自転車に乗る人や本格的な (?) 自転車を所持している人を想像しそうで、自分がそこに含まれる感覚はないかもしれない。たしかに。

>英語の cyclist でさえ、しばしば cycling より慎重に使うべき語とされる。例えば筆者が関わった Cycling Fallacies(自転車利用についてのよくある誤解)の翻訳では、人と行為を固定的に結ぶ文言をなるべく回避し「自転車で移動中の人」といった形に崩すよう内部ガイドラインで指示されている。

おもしろいなあ。

「Bikers よりも People biking の方がいい」みたいな表。


june29 Vlog に投稿した自分のしゃべる動画を一度ずつは再生していることもあって、最近は人々と話しているときの自分のしゃべり方の特徴に気付くようになってきて。自分はけっこう「いわゆる」っていうフレーズを言うんだよな。思い出せる範囲だと、いわゆる「新卒」「社会人」的なことを表現したいときに、でもそれらの語彙を採用するのに抵抗があって、脳内で言葉を探しているときに「いわゆる / so-called」「なんていうのかな / How can I say?」とよく口から出ているように思う。

はっきりと自覚していたわけではなかったけれど、選択するラベルが必要以上に多くのことを規定してしまうのがイヤで、なかば無意識にイヤ〜な感じのする語彙を避けたがっているような気がするんだよな。今回の話はそれに似ているように思う。

主語が小さい問題と呼べたりするのかもな。「自転車を利用する人」が「サイクリスト」になってしまって範囲が狭まっちゃう、みたいな。主語が大きいのも主語が小さいのもよくないので、言葉の解像度を上げて、語りたい対象を正しく呼び表せるような言葉を選択してやっていきたい。