往々にして研究者の机が汚い理由
(小仮説)汚い机に積み上げられた書類は、自動的に
押し出しファイリングが機能しており、更新順にソートされているため、手の届く範囲のものがすべて有用な情報や道具になっているという状態が生み出されている。すなわち物理的な
外部演算装置として機能している。
(最小仮説)最近使った道具やデータが身の回りにある方が
知的生産は捗る
いかがでしょう。。?
抽象世界の操作(勉強とか研究とか)から得られる心理的報酬が高い人は物理世界の操作(掃除するとか)をするモチベーションが相対的に低いので、物理世界の操作が減る説
モチベが「物理 < 抽象」
ちょっと散らかす分には効率が良い
効率が悪くなるぎりぎりまで散らかる
これは経験則に合致します。笑
積読にも同じ効果ある気がしてきた。この自然に発生する
押し出しファイリングというのは、創発的な事象というか、カテゴリ違うけど渋滞みたいなもんですね。
あわせて、
はこれなんです。で、「作業を妨害される」感覚が強くある。
難しいんですが、ここではあくまで「汚い机が知的生産効率の向上に寄与しているという仮説」を検討していて、研究者の資質は括弧に入れているイメージでした
なるほどです
机が汚くても気にしない雑さ・おおらかさ(
完璧主義の反対)が知的生産性に貢献している気がする
机の汚さは単にその副作用かも?
個人的には物理的な書類を扱うことが少ないのでわからないなあ
扱うことが多かったとしても、自分と諸々が同条件で机が汚い人と生産性を比較してみないと分からないか
机が汚いのは許されない。
わかります。我が家では妻によって定期的に僕の
汚い机の
地鳴らしが発生します(ちがうか?)
わからない
単に整理のリテラシーがないか、適性がない(極論ADHDは厳しそう)か、(頭の性能が悪くない等の理由で)必要性がないかなのだろうか、と思ったりはしている
個人的には最後の「必要性がない」に一票
研究者してるような人達は頭の性能が悪くないので、整理とか気にせずテキトーにやってるだけで何とかなる
作家と同じようなものか。作家は手段にこだわらずWordとかでもできる(頭の中にあるのを出せれば何でもいい。テキストエディタにこだわってカスタマイズして、なんてことはしない)のと同じ
逆を言えば、その程度の性能がなければ研究者は務まらない?
反例欲しいところ
さすがに全くいないとは思わないですが
偏執狂的にビッチリ整理してるタイプの研究者もいるから「曖昧なイメージを一般化してるだけでは」という気持ち
もう少し分解すると
情報を平く並べて一覧できるようにすることは知的生産性の向上に寄与する
KJ法の原理ですね、これは疑問の余地なくTrueでは?
物が乱雑に積み上げられて必要なものをスピーディに取り出せない状態は生産性を低下させる
何かを取り出そうとするたびにオーバーヘッドがかかりますから。これも疑問の余地ないのでは?
物理空間みたいな制約の強い空間に重要なものを置いておくのは筋悪では
はむしろ、「情報空間って意外と制約強くて、物理空間の方が自由度高いのでは」という気が最近しています…
ここ興味深いのでぜひ深掘りしてほしいです
大掃除するとその後の生産性が上がる印象がある
作業に集中すると食事・睡眠・運動が疎かになるのと同じ
物が散乱して視覚情報が増えると認知負荷は高まるような気がする
+1
余計なものが目に入らない状態を作ることで集中力が高まる感じある
研究者が仕事柄書類や書籍が多いから、というのもある?
自分は一介のサラリーマンだからか?その辺はほぼゼロにできるのですが
これくらいは維持できる
すごすぎる
「研究者」というファクターはあまり関係無い気もする……
なんだろうな……
デジタルにシフトしきれてない組織や業界?
あー、大学とかではいまだに紙の書類を書かされることも多いとかそういうこともあるのかも?
文体が変わっているところと、上の文章へのコメントと読めなくもない点からおそらく
さんなんじゃないかと推測している
ただ最終更新者は
さんだから、確実にそうとも言い切れない
はいまのところ、書いたものになるべく末尾に
をつけて署名的なことするようにしています。(これは
が書きました)
両方僕です
文体変わってるっていうほど変わってますか?
(わざと)
上行への応答になっている点、敬語体だったため
さんが書いているように一瞬錯覚した点が違和感を覚えたのかもしれません
ただここの文章は、
さんが書いたととらえると意味が通らない一方で、
さんが書いたと考えると「一旦分解してアイテムを2つ取り出し、それぞれについてコメントをかいた」ときれいに解釈できるので、
さんが書いたと考えるのが妥当でしたね
あとは
の読解力の問題……
実をいうとまだ「わからんポイント」があって脳に負荷がかかっている
怖