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民主主義は多数決ではない(らしい)

呉明植基礎本『憲法』2版 pp.26-27
近代的意味の憲法が採用している民主主義は、単に多数者支配の政治という意味なのではなく、多数決に至る前提としての十分な審議・討論を要求する立憲民主主義であると解されている。
民主主義というと、物事を多数決で決める制度、というイメージをもつてしまいがちです。確かに、民主主義にはそうした側面があるのは事実なのですが、しかし、十分な審議・討論をせずに、いきなり多数決で物事を決めてしまうと、少数派の人権がないがしろにされてしまい、立憲主義や自由主義の理念に反することになつてしまいます。
この本によれば直接民主主義は多数決になりがちらしい基素
したがって、近代的意味の憲法が採用する民主主義は、そうした危険な民主主義(いわば「多数決主義的民主主義」 )なのではなく、多数決を行う前に、十分な審議・討論を行い、さらにはいい意味での妥協をする民主主義でなければなりません。そのような民主主義を、立憲民主主義というのですが、憲法が採用している民主主義は、この立憲民主主義なのです。
さらに付言すれば、ある問題について審議・討論を始めた場合に、当初は多数派と少数派とで意見が対立していたとしても、十分な審議・討論を重ねていけば、お互いに譲歩・妥協すべき点が見つかることが多いはずです。そうすると、その譲歩・妥協を経た議案には、ほぼ全員が賛成することになります。審議・討論がそこまで成熟してから、ようやく最後の確認として多数決を採る。それが、立憲民主主義の理想なのです。

>日本でも政治学(有権者、公共)教育が重視されつつありますが、内容を点検すると、「教えてはならぬ」というほどではないにしても、取扱いを避ける「準タブー」のテーマが複数あります。
>  ①日本を含む20世紀の政治が、独裁化した歴史(=民主主義が注意しないと崩壊することの警告)。
>  ②民主主義は多数決だけではなく、言論の自由や、多元主義(複数の勢力の競争と均衡)を不可欠とすること。
>  ③その複数勢力の立場の分類として、左と右、リベラルと保守などが重要であること。
> *たとえば、高校の教科書を点検したり、明るい選挙推進協会の雑誌「Voters」の公民教育特集を、インターネットで読んでみてください。
>①~③を教えないと、民主主義=多数決と誤解され、選挙で勝った政治家は民意に支持されたので何をしても良いという、ポピュリズムにつながります。「みんなで議論し投票に行きましょう」で終わってしまいます。
勝ったら何してもいいんじゃないの?(メディアで露出する政治家はそのように振る舞っている用に見える)基素
同じレビュワーの違う本のレビュー
>日本でも世界でも、(ときには多数決を根拠とする)政治権力の暴走が目立ち、それをどう抑えるかが課題です。
> そのために必要なのは、
>  ・日本近現代、ファシズム、社会主義を含む独裁政治の記憶の継承
>  ・専制を防ぎ議論をするための、多元主義(pluralism)の概念
>  ・三権分立の制度
>  ・言論、表現の自由
>  ・労働組合、市民運動などの多様な社会活動・勢力
>  ・複数の政党がバランスを取るための、政治的立場の多元性(保守とリベラルなど)
>  ・人々が政治に関心を持ち、ニュースを読み、少なくとも投票に行くこと
> だというのは、政治学の常識で、執筆者の先生も大学では教えておられると思うのですが・・・
>  【注】現代の政治学では、民主主義には5つの条件が必要とされる。
>①多数者の支配(多数決、リーダーシップ含む)、
>デモクラシーの語源
>②多元主義
>欧米ではほぼ実現されているのであまり議論されず、しかし日本では自民党一強+右派ポピュリズム(維新)のもとで深刻な課題なのだが、欧米理論に依拠する日本の政治学者は注目してくれない傾向がある。
>③寛容・共生
>(②③は1つにまとめても良い)。
>④直接参加
どういうこと?
>熟議
>③④⑤は欧米民主主義国でも課題なので研究が活発で、日本の学者も輸入してくれる


多数決だよという意見
> @hazuma: まあ、つまり、民主主義というのは国民が決めるということなんだから、多数と違う意見をもち、多数こそ間違っていると思うならまずは多数の意見を地道に変えていくしかないということです。予想と違う結果が出てきたとき、安易にこれは民主主義ではないと叫ぶのはそれこそ民主主義ではない。
投票システムが多数決だからその意味で多数決なのは間違いない基素


Claude 3 Opus
これは興味深い質問ですね。確かに、民主主義と多数決の関係について考えることは重要です。

民主主義には、確かに多数決という要素は含まれていますが、それだけではないと考えられています。以下のような重要な要素も民主主義の本質的な部分です:

1. 少数派の権利保護
- 多数派による決定であっても、少数派の基本的人権は守られなければならない
- 多数派の「専制」を防ぐための憲法や制度的な保障がある

2. 熟議(討論)の重視
- 単に数を数えるだけでなく、十分な議論と対話を通じて合意形成を目指す
- 異なる意見を持つ人々の間での建設的な対話が重要

3. 法の支配
- 多数決で決めたことでも、憲法や基本的人権に反することはできない
- すべての人が法の下で平等に扱われる

4. 参加と合意形成のプロセス
- 投票以外にも、様々な形での政治参加の機会がある
- 対話を通じた合意形成を重視する

つまり、民主主義は「多数決」という手段を使うことはありますが、それは民主主義の一つの要素に過ぎず、その他の重要な価値や原則と組み合わさって初めて、真の民主主義として機能すると考えられています。​​​​​​​​​​​​​​​​

基素
Claude 3.5 Sonnet
なるほど、そうですね。最終的には国民投票という形で多数決を使って憲法も変えられます。

つまり、あなたの指摘は本質的な点を突いています:
どんな制度や権利も、究極的には国民の多数決で変更可能
「永久の権利」と言っても、実際には多数決で変えられる
少数派の保護も、多数派が認める範囲でしか機能しない
民主主義は確かに、原理的には多数決に基づいているのかもしれません。他の要素(少数派の保護、法の支配など)も、多数派が「そうあるべきだ」と考えるから存在している、という解釈は十分成り立ちますね。
つまり、TVで「民主主義は多数決ではない」と言っていたのは、理想論や建前の部分があったかもしれません。現実の民主主義の動作原理としては、あなたの「結局は多数決では?」という指摘の方が正直なのかもしれないですね。
理想と現実の間にあるこのギャップについて、どう思われますか?​​​​​​​​​​​​​​​​
基素歯止めをかける仕組みはあるけど、権力者はそう言うのを変えようとするよね。独裁国家ではよくある
Claude 3.5 Sonnet
その通りですね。民主主義が多数決に依存している以上、権力者が以下のような方法で「歯止め」を弱体化させることは十分ありえます:

1. よくある手法:
メディアのコントロール
司法の独立性の形骸化
選挙制度の操作
反対派への圧力
憲法解釈の恣意的な変更

2. 具体例:
ロシアのプーチン政権による憲法改正
ハンガリーのオルバン政権による司法介入
トルコのエルドアン政権によるメディア規制

つまり、「多数決で決める」という民主主義の特徴は、逆に民主主義を壊すツールにもなり得るわけです。

結局のところ、民主主義を守るのは:
市民の意識
権力者への監視
自由な言論
市民社会の強さ

制度的な歯止めは大切ですが、それだけでは不十分で、市民一人一人の関心と参加が必要なんですね。
独裁化を防ぐには、逆説的ですが「多数決だけが全てではない」という意識を、多数の市民が持ち続けることが重要かもしれません。​​​​​​​​​​​​​​​​