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表現の自由

議論を呼ぶ境界の表現の問題が重要
境界は自由ライン
内側は規制がない
外側は規制がある
境界は狭くなり続ける
TVはどんどんPolitically correctnessを追求しておとなしい企画になっていった
中央にいるクリエイターは意識しないが恩恵を受けている
境界の表現なんかしていないから大丈夫という意識
しかし境界は狭まるので、この人たちの表現が何も変わらなくてもいつかこの人たちも境界になる。そのときに「昔からやってる」と言っても手遅れ
構造的問題
境界の表現は多くの人が目を潜めたくなるようなものが多いから守ろうという人が少ない
それが境界というものだから
境界表現は境界の人しか興味ない
利害関係に訴求して耳目を集めるためにエロを問題にすることが多い




どのような思想か?
自分のしたい表現をする自由
これだけでは勘違いがあるのでもっと言い換える
自分が気持ち悪い表現が存在することを許容すること
>私の考える表現の自由とは、全く誤っており悪趣味だと思う言論でも、表現の場までは奪わず、言論をもって対抗する社会の約束をいう。我々は不完全で誤りやすい存在なので、ある時代に悪趣味で挑発的と見えても、次の世代や他者のために情報の多様性は残しておく、歴史の知恵だ。
人権のこの考え方に非常ににている
> @hazuma: 人権を尊重することは、相手を好きになることとは違います。個人として好きになれない、理解できない、対話したくないと思う相手でも、公的な制度の設計においては差別してはならないということです。その区別なく「人権侵害」という言葉を使うことは、むしろ人権意識の低下に繋がっていると思います。
他の考え方
気持ち悪い表現は必要悪である
>@YusukeTaira: 自主規制についても、ギリギリのラインを狙う・厳格にすぎる線引きは、実質的にみて(事実上)私たちの表現の自由の範囲を狭めることにつながってしまうものです
>ここでも、表現行為に係る萎縮的効果を考慮・重視して、ある程度の余裕を持たせておかないと、無難な表現ばかりが流通する社会になります

どのような思想ではないか?
自分の認めた表現だけ許容する

エスパー魔美「くたばれ評論家」

>志田:「表現の自由」が厚く保障されている国でも、ヨーロッパ型とアメリカ型ではかなり違いがあります。
> ヨーロッパ型は表現の自由を保障しつつも、弱者を傷つける表現は厳しく規制します。
>ヘイトスピーチ規制も、早くからドイツで認められ、現在ではフランスでも認められています。「共存社会を目指すのであれば、声のあげづらい弱者に配慮した政策をとろう」というのがヨーロッパ型の考え方です。
> 一方、アメリカは「思想の自由市場」と言われる考え方があります。表現物の受け止め方は人それぞれ。
>基本的には、表現は可能な限り自由な状態にしておいて、政府が良し悪しについて格付けをしない。その土俵の上で、ある表現を批判するのも自由。その市民の意識がかなり強く、それがローカルな自治体の条例に反映されることはあります。
> 結果的に批判によって、ある表現がダメになったとしても、それは自由市場の決めたことであり、法はその成り行きに手出しをしないという考え方をしています。
>ただし、アメリカでも、「わいせつ」や暴力を挑発する言葉は例外とされてきましたし、ヘイトスピーチはマイノリティの声をあげる自由を奪う、つまり「表現の自由市場を阻害するもの」なので規制するべきだとする考え方があります。
>自由市場といいつつも、アメリカのほうが日本よりもPolitically correctnessに敏感です。アメリカでは、市民が声をあげることは当たり前という風土があるので、自由市場の結果、自然にそうなっていったのでしょうね。
>日本の表現の自由は理論的にはアメリカ型の色彩が強いです。しかし、実際には保障のレベルが低いのが現状です
>日本の裁判では、「最低限」の法規制とは何なのかという理論的な線引きのツメがまだ甘いのです。今年5月にヘイトスピーチ対策法が成立しましたが、少なくない憲法学者がヘイトスピーチ規制に慎重でした。理由はいくつかあるのですが、私はこのことが大きな理由だと思います。

>@YusukeTaira: 表現の自由や集会の自由(憲法21条1項)は絶対的に保障されるものではない
>とはいえ「市民が…感じるあらゆる不安感の除去」(木村草太「憲法判断の方法」高橋和之先生古稀記念・上(有斐閣、2013)p532)という目的で、表現の自由等の制約を正当化することはできない。重要な制約目的とはいえないからである


理論

市井での表現の自由
自分が考えるに強弱がある
ある程度不快な表現もあって良いと考えているだろうが
その程度において一枚岩ではない
例えば、首相を暗殺する表現が出てくるアニメの放映直前に首相が殺されたとする。このときにもしアニメが放映されたならば叩く人はいるだろう

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