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試み2

このページでは見出しが作られた場合、それについての議論/対話/意見/感想が書かれる。
このページは誰でも編集が可能である
このページにおいて、書き込む人物は「私の文章の任意の箇所で改行し、そこにコメントを挿入してもOKです」に同意する
アイコン記法の有無は任意
意見を述べるときはアイコン記法が推奨される。あくまで推奨。



このページについて
cmanページに暗黙のルールがあるとするなら、明示的にルールを書き込んだらどうなるのだろう。
これはScrapbox上でやるひとり企画みたいなもので、誰かが乗ってくればいいという気持ちはある。
乗ってくる人がいないとしても、このページが何かの種になるといい。
このページの切り出しについて
cman悩んでいる。 おそらくどんどん増えていくと参照性が悪くなるので切り出したいという気持ちと、「このページに見出しがあることに意味があるのでは」という気持ち。
つまり、文脈(明示的ルール)を失うことによる影響がどう出るか……やってみないとわからないが、分かれることによって悪影響が出るのではないか?という直観があり、二の足を踏んでいる。
はじめから見出しが分かれているし、見出し単位で切り出すことにデメリットはないと思う久住哲
久住哲タイムリミットを設けるのはどうだろう
cmanタイムが適切かはさておいて、何かしらのリミットを設けるのはよさそう。どういう基準がいいかな。
久住哲井戸端パイセンが議論し尽くしてそうな議題ではあるなあ。しかし、例えば、インデントのレベル(深さ)とかは基準になるかな、数えるの面倒だけど。
cmanとりあえず井戸端でも悩んでいることはわかった。このへんからすると、個別に言及の必要性があるかどうかみたいなところは考えられそう
久住哲あと、単純に今ある状態を別ページに切り出すのが正解なのかしらん。例えば、今のこの《このページの切り出しの基準》って議題は、これはこれで、独立した見出しとしてインデントレベル0に置かれてしかるべきだとも言える。この場合、切り出しじゃなく、同一ページ内での場所換えだね。まあそれでも文脈問題はあるだろうけど。
これはすごく思うcman
見出しにするか迷ったものの、見出しにせずインデントレベル1で書いたcman
そうか。インデントレベル0にこだわる必要はない。インデントレベル1で見出し記法しちゃうとかでもいいかも久住哲
cman ここの見出しが広い対象だから避けたが、そうか、階層構造があるんだからインデントして見出しを作れば小見出しとして機能する。→変えた
もう少し書き込む人間が増えて欲しいところだ。
たしかに久住哲
このページの名前、ちゃんと考えるべきかもしれないcman
一番の問題は「このページについて」を切り出すときだ。そのまま切り出しをするにしても、「試み2について」はタイトルでなんなのかわからなすぎる。
久住哲《このページについて見出し》の全体を丸っと切り出さず、そのひとつ下位にあるインデントレベル1から切り出せばいいんじゃないかな。切り出すときにあらためてリネームして。
cmanたしかに。「試み2について」だとわからないが、単純に考えても「試み2のルールについて」とか「試み2の切り出しについて」とか書いとけば、「何かの〇〇についてだな」という発想はえられる。
久住哲タイトルで分からなくてもリンクで分かる……みたいな状態を作れれば、タイトルにこだわらなくてよくなる。例えば、1行目に from [試み2] という切り出しの痕跡を残しておけば、タイトルだけから「試み2」が何なのか分からなくても、 [試み2] をクリックすればそれが何なのか分かる状態になる。
せめて「ルールAがあるページ」みたいなのがいいcman
TCSとか無定義集とかみたいに、ルールになにかしら名前を付けるのは良い。そうするとそのルール単体でページ化=タグ化できて、そのルールを別ページで使い回せるし。「私の文章の任意の箇所で改行し、そこにコメントを挿入してもOKです」と同様に。その際、それは造語でも略語でもいい。便宜上のラベルであり、ルールの中身はページの本文に書けるし久住哲
cman一旦名付けをしておいた。いつでもリネームできるので、いい感じのものが思いついたら変更したい/してほしい。




アープラノートの理想形
多様なアクティブユーザーが多人数いる久住哲
いつ開いても何かしらの更新がされている、という状態が毎日
多様なスタイルが入り乱れる久住哲
特定の様式や記法などを強制されない
異なる書き方が混在している
Discord本部との連携が強い
Discordに頻繁にアープラノートのリンクが貼られる
Scrapboxで頻繁にDiscord本部の話題が話される
ユーザー同士のやり取りがある久住哲
cmanリアルタイム共同編集もそうだが、リアルタイム連動編集日記を介した交流など間接的なやり取りがあると良い
たしかに久住哲
やりとりを通じて話が掘り下げられる
独自の記事が自然と出来あがる久住哲
cmanメンバーの独自研究・論考・考察のページとそのレビュー/リアクションがあると嬉しくなる。他者論における論考の準備メモとか、存在とその認識についてを読むとか。
潮流、時流、流行がある
cmanその時々において、「いまアープラノートでアツいこと」みたいなのがあると嬉しい。
+1久住哲
無定義集の流行や、日記文化、「なんとなくみんなが同じものを調べてページを作っている」ときなど
知識がない人も知らないなりに遠慮なく書き込める久住哲
知らない人の素朴な書き込みに対して詳しい人が丁寧なレスポンスをする状況が常態化している久住哲
画像がたくさん投稿される
ユーザー作の哲学者や芸術家の似顔絵がページのサムネになる
写真などが投稿される
誰でも書き込みやすい久住哲
外部から見ても面白みがある
質の高いページがいくつもある
/villagepump/2022/01/06#61d679f91280f00000718c3aあたりで言及されたりとか、結構嬉しいcman
たまに井戸端にて「arpla」でアープラノート・エゴサしている久住哲
外部プロジェクトとやりとりがある
外部プロジェクトからの言及
外部プロジェクトへの言及
変わった考え方も受け入れられる
肯定されるとはかぎらないが、真剣に読まれ、取り上げられる久住哲
生きるうえで役に立つ知識が集まる
料理とか掃除のページが充実している久住哲
生きるのにまったく必要のない知識が得られる
草。
cmanは得た知識を生きるのに活かすぞ!みたいなことあんま思わないため、深入りした知識は大体「知ると面白いが、知らなくても生きていける知識」に該当します。


Scrapboxのアイコン記法について
アイコンを使う使わない(仮見出し)
久住哲アイコン記法ってもしかしてハードル高い?と、ふと思った。そう思った理由は、「 [名前.icon] 」という書き方をするメディアが(たぶん)他のどこにもないから。これってつまり、Scrapbox独自の書き方を学び、それに慣れなきゃならないってことだよな
cmanscrapboxの思想にどの程度適応するのか……みたいな問題はありそう。適応しなくても使えるは使えるが、想定された使い方ではない。しかし、そもそも想定された/してない使い方などあるのか?
想定してない使い方をされるのは仕方ないことだし、そうされたくないならシステムで縛ればいい。縛られてないということは、このツールにおいてはこれらは「理想的ではないが想定はしている」使い方になるのではないか。
アイコンをどこに置くか
久住哲どっちかに決めてしまわなくていいと思う。
文頭に付けるケース:これは言葉で説明するのが難しいのだけれど、一行目に他人のアイコン付き文章があり、その下にインデントされた行が同じ人によって書かれている文章に対してコメントを書きたいときは、文頭にアイコンを付けたほうがいいと思っている。テキストを読む人のことを考えてみよう。同一の人が書いているという想定で読んでいって、文末でようやく別な人のアイコンを見たら、その時点で頭を切り替えなければならない。でも、そのタイミングって少し遅い。本当であれば、別な人が書いているという情報は、その行を読みはじめる時点で得ておきたいものだ。だから文頭に書く。
cman日本語にした時に「私は」からはじめたくなるようなものなら、前につけたくなる。断定であるとか、価値判断であるとか、強い意見であるとか。
逆に、“誰が言ったかは残した方がいいが、わざわざ「私は」とエクスキューズしなくていいな”みたいなものは、後ろに付けてると思うcman
アイコンによる執筆スペースの確保をするときは、前につけるか、アイコンを置いて改行する。
質問はアイコン不要だと思っている。誰による質問であるかが重要ではないと思うから。とはいえ、アイコンを付けないことを徹底しているわけでもない久住哲