新古今和歌集
建仁元年(1201)以降、
和歌所寄人らに和歌撰進の命が下り、建仁三年ごろまでに入集候補作が集まる
後鳥羽院がこれをさらに精選し、撰者が部類し目録を作成した
このあとも改定がたびたび加えられる
特に有名なのが、承久の乱以後に隠岐の島に移った後鳥羽院がさらに四百首を除いた
隠岐本
歌風
万葉集から新古今時代の作品を収めており一様ではない
中心は新古今時代
観念的・幻想的な作品が多い
百人一首にも採られている歌
構成は?
巻第二 春歌下
巻第五 秋歌下
巻第十二 恋歌二
巻第十三 恋歌三
巻第十四 恋歌四
巻第十五 恋歌五
巻第十七 雑歌中
巻第十八 雑歌下
正徳四年の
刊本なので、二十巻の内容が四冊に分けられているのだと思う
おそらく5巻ごとになってるのではないか
帰ったら見てみる見た
1冊目だと巻五・秋歌下だったのでそうっぽい
>『新古今和歌集』の鎌倉時代の古写本で、巻第一より巻第十五までの三冊を存する
>各冊末にある奥書によれば、この本は文永十一年、同十二年に大夫阿闍梨円嘉【えんか】の真筆本を以て書写したもので、
>その円嘉本は藤原定家筆の御室御本を底本として、延応元年(一二三九)に藤原家隆書写前内大臣(九条基家)家本を以て校合し、これに合点を加え、さらに寛元元年(一二四三)に藤原定家書写前内大臣家本を以て再び校合を加えた本であることが知られる。
そもそも何冊あるのか?
>現存する『新古今和歌集』写本のなかで、本書は書写年紀の明らかな最古写本で、
現物はもう残っていないのかな
>藤原定家(一一六二~一二四一)が嘉禄二年(一二二六)に書写した『古今和歌集』(二十巻)で、中世以降の『古今集』研究に多大の影響を与えたいわゆる「嘉禄本古今集」の原本である.帖の末尾に嘉禄二年、定家六十五歳の時に書写した旨の奥書があり、
これは古今和歌集の話
新古今も古今も20巻なのか!
基本的に20巻構成です
古今和歌集がそれ以降の勅撰和歌集の規範となっているため
基本的に「現物」が残るケースは稀
現物を書写した本が伝承されたり校合されたりして作った本が残っている、のがほとんど
戦火で消失したり、行方不明になったり、調度品として切り出されて一部しか残らなかったり(〇〇切と言われる)
上の嘉禄本古今集にしても「現物」からはおおよそ三百年経過した後の写本の一つである
編集過程の草稿本も、完成した奏覧本にせよ、現物が残っていたならとんでもない価値になる
上の文章を見ると藤原定家は書いていたようだが、他の人も書いたのだろうか