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古典や短歌の話になると、また脱線してしまう(仮)

古典や短歌の話になると、また脱線してしまうtsuzumik
短歌は、一定のルールを設けることで解釈の隙を減らしてきたと思っている
例えば雪と一緒のアスピリンは~だから~と解釈すべきのようなこと
一定のルールを設けることで解釈の隙を減らすのは、和歌においてそうだと思うcFQ2f7LRuLYP
ただ、一方で如何にそのルールから逸脱するか、新しいことを取り入れられるかも重視されていたように思う
後拾遺和歌集編纂の少し前辺りから
cFQ2f7LRuLYPの目には、和歌よりも短歌(近現代の)の方がそのルールが緩いように見える
雪とアスピリンの例を挙げると、他に例がない取り合わせに思える
いちいち調べたわけではありません、すみませんcFQ2f7LRuLYP
例がない故にオリジナリティがある
このオリジナリティ的な読みぶりを求めるのが近現代短歌の方向性のように思っているcFQ2f7LRuLYP
そうすると、雪と一緒のアスピリンは~だから~と解釈すべきということはルール化できないのではないか
ですね、ルールではないtsuzumik
ふんわりしてるので説明は難しいのですが、ルールとまでいかなくても解釈の上手い下手があると思っていて、定石というか
解釈の上手い下手はありますね〰cFQ2f7LRuLYP
古典(和歌を含む)の場合は注釈を頼ったり、歌枕や序詞などのルール(定石)から解釈の幅を狭められる
解釈のうまい下手=誤読を避けるための共通認識を上手く利用しながら、表現の幅=オリジナリティは制限しないというモノ
芸術?文化?語が分からない
両者のバランスをとるのがうまい人が昔も今もいらっしゃるように思いますcFQ2f7LRuLYP
如何に既存の様式を踏まえつつ、新しい心を詠むか

「短歌」の指し示す意味がcFQ2f7LRuLYPtsuzumikさんで異なっているかもしれないcFQ2f7LRuLYP
cFQ2f7LRuLYP:和歌ページにおけるような理解で使い分けしてます
和歌
>万葉集などに代表される短歌(57577)形式の古典詩
短歌
57577形式だけど明治以降のそれ
> 近代短歌現代短歌は通常「短歌」と呼ばれ「和歌」とは呼ばれない
Yes, 短歌と和歌を混同してましたtsuzumik