詞は古きを慕い、心は新しきを求め
詞はふるきをしたひ、心は新しきをもとめ
> 詞はふるきをしたひ、心は新しきをもとめ、をよばぬたかき姿をねがひて、寛平以往の哥にならはゞ、をのづからよろしき事も、などか侍ざらん。ふるきを戀ねがふにとりて、昔の哥の詞をあらためずよみすへたるを、すなはち本哥とすと申也。
詞は古きを慕い、心は新しきを求め、及び難い立派な姿を願って、寛平時代からの後の歌にならうのなら、自ずと良いことも、ないことがございましょうか。古い姿をこいねがうにつけて、昔の歌の詞を改変せず、(歌の中に)詠み据えるのを、すなわち、「本歌とする」と呼ぶのです。
本歌をとるということは、先行する古歌の詞を借りつつ、しかも新しい心を詠じるものでなければならなかったらしい
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古歌の伝統の中に身を置きつつ
ここでいう「心」とはどういう意味であろうか
枕草子以来の「春はあけぼの」「秋は夕暮れ」に対して「春の夕べ」の景を読んでいる
こういうのが新しい心なのかしら