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個体認識ができる場
たくさんの人がいると個体認識できない
人の入れ替わりが激しいとそこにいる人のことを詳しく知ろうと思えない




---old
ABCの話
そういえば、一時期井戸端を自主的に抜けていたことがあるけど(今のイドバタニシの姿からは想像もできないw)、急激に人が増えて自分たちの場感を失ってしまったからというのが一番しっくりくるkuuote
これをどうにかできないか、というのには興味があるkuuote
枯れたあとにまた戻ってきて水を入れるのもありかもtakker
人がいなくなっても人が作ってきたものは残り続ける
作られたページをもとにまたいろいろやり始める
メンバーはリセットされるがページはリセットされない
知らない空気が入り込むので、自分の場だったはずなのにそこに順応しないといけなくなるkuuote
案外kuuote適応能力が低いのと人見知りが激しいのでMPが足りないと対応ができなくなる
言い訳めいているが、その当時はかなり忙しかった
井戸端に入ったのはtakkerさんがいたからだし(vim-jpという場所で知り合いだった)ここに入ったのはnishioさんもcFQ2f7LRuLYPさんも井戸端で知っていたから
nishiokuuoteがいたのでここに入ったinajob
わいわいkuuote
ということかnishio
誰でもそうなのかもしれないが、Bくらいが一番居心地がいいkuuote
自分の場合TwitterはCのイメージ(フォロアーがそこそこ多い)inajob
AないしはBと錯覚するけど実際はCという構造kuuote
Twitter意外と良くできている説inajob
人が多くなると、そこに多種多様なものが貼られるので、貼られただけでは摂取しようとしなくなる感じnishio
Twitterで観世流能「翁」が流れてきてもクリックしなかった
この場所がBだから試聴した

ABCの話
自分はどういう時に井戸端に書いて、どういう時にこちらに書いているのか?nishio
自分は井戸端に書く量が減った気がするinajob
Twitterは減ってない
リアルタイムに公開可能なネタはTwitterに書いてる
井戸端は公開Scrapbox周りの知見が得たくて参加してる
Scrapboxや知的生産についてのネタを書いていた
最近はそうでもない
Twitterでよくね?
こっちとの棲み分け
単にnishiokuuoteに構って欲しいだけなのかも知れぬ
cFQ2f7LRuLYPはこっちにきてから個体認識しました
異文化交流感を感じています(良い意味で)
2 hop linkくらいある気がしますcFQ2f7LRuLYP
機械工作はここに来て初めてこういうジャンル有るんだと認識したcFQ2f7LRuLYP
わいわいkuuote
人が多い場だと特定の相手に話す感じは無い
場にいる人を特定の人と認識するか「たくさんのひと」と認識するか
前に書いた「井戸端に観世流能「翁」が貼ってあっても見ようとはしなかった」も関係してそう
前に描いたABCの図、単に大きさだけではなく、その場にいる人の個体認識ができるかどうかが重要なのかも
試しにTwitterでこの人はこれやってる人だ、というのを少し分類してみたら、別人なのに同一視してる人とかが出てきたinajob
アイコンが似てるとか、IDが似てるとか・・
井戸端言うほど人多いか?と疑問に思うがtakker
数字上は多い
アイコンを使っている人はそんなにいない
釣り人としては釣りたい魚のいるところに竿を下ろすのである
同じくイドバタニシ卒業できそうkuuote
井戸端ウォッチはやめないと思うけど
私の場合なぜこちらに書くのかという話を追求する方がよさそう
そもそもScrapboxに書くのはドキュメントベースでコミュニケーションするのが快適だから
こちらになにか書いているのは現状新しい何かを求めてというのが大きそう
井戸端とは違うルールで動いている空間
日付ページに書くのとは意識が違う
この雑談ページに書かれたことは「しばらく生き続けている」という感触が有るcFQ2f7LRuLYP
わかるkuuote
日付ページに書くと明日には死ぬ、動線でも作らない限り
リンク貼ってあるから十分動線になっているとみなしていたがそうでもないのかtakker
気まぐれに見に行ったりはする
なるほどnishio
井戸端の日記は一日で枯れる花
ここの雑談ページはもう少しのんびりと育っていく
井戸端でも日記ページではなく新しい何かを作るのもありかも知れないtakker
1週間でリセットされるページでもいいし
ここと同じ雑談ページでもいいし
それはアリな気がするが、現時点の僕にとっては同じものは二ついらないって気持ちが先に立つnishio
同じだと思ってるのはおかしくて、メンバーが違うのだから似たことをやっても別の結果が得られる可能性はある
が、理屈ではそう思うけど感情ではめんどくさい感があるなぁなぜかnishio
井戸端に特にルールはないので作りたければいつでも作れる
良さそうな仕組みはどんどん真似して試してみる、という考えがあるtakker
日記形式はそれはそれで好きinajob
書き始めるのが楽
反応が無くてもしょんぼりしない
一方でTwitterでいいかな、という気もするinajob
井戸端はTwitter嫌いな人が多いみたいだから、これは気にならない人が多いかも
前は嫌いだったんだけど使い方変えたらそうでもなくなったkuuote
トピックを意識して書いていると思う
単に人が多い場所が苦手というのもある
>あたらしき心もとめて 名も知らぬ 街など今日もさまよひて来ぬ