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レヴィ=ストロースの世界
public

構造とはなにかの集団に秩序を与える目に見えぬ繋がり
>秩序は外側から持ち込まれるものではない
>命題の中にある
本質とは周期性?みたいな話に近いのかもしれないtkgshn
>技法のような都合の良い抽象ではない
秩序と構造は違うという概念が前提にあるのねtkgshn
誤った二分法と真反対

quote from 悲しき熱帯



機能主義(「前構造主義」とも言われる)

範囲の規定は統一されていない
言語学音素と同じ概念
両義性は内在的である
燻製のこと:結果が長持ちする場合は、手段は不安定でなければならない
焼いたもののこと:結果が不安定な場合は、手段は安定していなければならない
処理は細分化し、また構造が内在的になってしまう(フラクタル?なのかな?tkgshn
e.g. 熱処理は次の構造を内在する
水での熱処理
蒸気での熱処理
(上記2つの間に、での熱処理: フライが在ることも可能になる)

>twitter メディアアーティストとしての、レヴィ・ストロースに可能性を感じる。写真も撮るし(未開とされた時のやつ)「生まものと火にかけたもの」「蜜から灰へ」では料理から神話学、そしてルーツの言語学に貢献していくの半端ない。表現方法はこれまで無いほど詩的。

>twitter 個人としての文脈性があり、なおかつ当時はもちろんの新規性、いま尚語り継がれる古典として…震える🥺

なすべき仕事のために作られた道具では無い道具の総体から出発し、自分の仕事をする」こと
これは穏便な革命は「政治」とは少し違うかもなと思った
遅さ(主知主義)とは違うかな
以前の構造の、使われなくなった残滓を、新しい構造のために利用すること
特にそのためのものを作ることはしない
分析(前もって存在しているさまざまな総体から要素を引き出すこと)
綜合(これらの異質的な要素から、新たに総体を作り出すこと)
生産されたものの欠如を、残りものを極めて巧みにいる按配して埋め合わせること
技師は宇宙に問いかけるが、器用人は人間の手で作られたものの残滓の集まり、すなわち文化の下位的な総体にうったえる。
これこそがまさに、構造主義的なもの

>twitter もっとも進化した文化に特有のものである「批判」。"人の手で作られたものの残滓"を、新しい構造のために利用する文化。作家は宇宙(概念)に問いかけるが、批評家は既にある残り物(記号)を按配して埋め合わせる。決して自らの企てを達することなく、自己に属する何かを常にそこに置く。
器用仕事の定義の中の技師器用人をそれぞれ、小説家批評家に置き換えるだけで良い
批評的な思考は作品という構造体を用いて他の構造体を作り上げる
作家は概念を用いて、批評家は記号を用いて作業する
結果的に車輪の再開発になってしまうこともある
批評家は決して自らの企てを達することなく、自己に属する何者かを常にそこに置く
このテキストは批評の概要を示すだけの意図なのかなtkgshn

>twitter そういう意味で「文芸批判」というのは他の文化の批判(美術や音楽は批判の際に同一の材料を用いない)(音楽の批判は音楽ではない)と明確に違う、超=言語(Méta-language)、言語表現についての言語表現なのだ!
それが扱う作品と同一の材料(文章語)を用いるという点で、他の種類の批判とは明確に違う
美術批評や、音楽批評は音や色で表現されない
文芸批判だけは対象と同じ表現手段を用いる
メタってで書くんだtkgshn
したがってそれは超=文学、すなわち 文学自体を必然的に課題とする文学 であり得るのだ。