KJ法勉強会@ロフトワーク_講義資料v2
講義の時間を30分に変更したので、バージョン1を事前に読んでいる想定のショートバージョンを作りました
事前に読んでない人は後で読んでください
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自己紹介: 最近は画像生成AIの論文とソースコードを読んで中身をいじってました
違う視点を提供することで多面的理解を促す
今回、そういうバックグラウンドの
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の役割: 違う視点を提供することで多面的理解を促す
多面的理解の絵:
ある人が「円だ」と言う、別の人が「四角だ」という
一見矛盾する意見だ、どっちが正しいのだろう?
どちらも正しくない!
KJ法には「データをして語らしめる」というキャッチフレーズがある
この「データ」についての大前提
> (skip)すべてのデータはうそである。うそと承知でデータを使う。 しかもそこから、より正しい真実を割りだす。それが判断への道なのである。しかし、うそからどうしてまことが割りだせるのだろう。それは、見方を変えると、どのデータにもまた、多少ともに真実の面影が宿っているからなのである。(KJ法 渾沌をして語らしめるp.71)
みなさんのなかには「データ」を「客観的な正しいもの」と思ってる人もいるかもしれないが、
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が「データ」と読んでるものは「正しいもの」ではない
多種多様なことを観察し記録する
この記録したものを「データ」と呼ぶ
データの大部分は数量化できないもの
「Aさんが円だと言った」「Bさんが四角だと言った」もデータ
「Aさんが円だと言った」は、Aさんの視点から見た景色の描写
その描写の過程でどうしても誤りが入る
「円だ!」「四角だ!」
実は同じものを違う角度から描写したもの
データをして語らしめる
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「データをして語らしめる」
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「言葉難しい…」
古い言い回しだからね
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現代語訳「データにしゃべらせる」
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「データはしゃべらないじゃん?」
比喩的表現です
「友人Aさんにしゃべらせる」を考えてみよう
Aさん「ちょっと聞いてよー」
悪い例(Bさん)
話を少し聞いて
Bさん「はいはい、要するに〜と言いたいわけですね」
こんなことを言われたらAさんは続きをしゃべれないよね
Bさんは「話を聞かない人」
良い例(Cさん)
Aさん「これは丸だ!」
Cさん「なるほど、これは丸なのですね」
CさんはAさんの言ったことをちゃんと受け止めている
Cさんは「話が聞ける人」
Cさんは「これは丸だ」が事実だと信じる必要はない
「Aさんは『これは丸だ』と感じているのだなー」と受け止めればOK
人に対する良い態度:
「『こう言いたいに違いない』と決めつけないで、ちゃんと相手の話を聞く」
これに相当する態度をデータに対してとると:
「『こうなってるに違いない』と決めつけないで、ちゃんとデータを見る」
これが「データにしゃべらせる」
今回の勉強会の企画段階での「データにしゃべらせる」
当初言語化されていた課題
「ベテランメンバーの属人的スキルとなっている」「若手メンバーに伝えることが難しい」
西尾が最初に思ったこと
暗黙知の伝達なら「同じ場でやることで非言語的に伝達」(
共同化)をやれば良いのでは
詳しいデータを見た
事前アンケート結果を見たり、小規模な実験をしたり。
特に若手メンバーはチームでKJ法をやっているケースが多い
つまり「同じ場でやることで非言語的に伝達」を既にやっていて、その上で現状の課題が発生している
ここが今回の大きな気づき
データにある「意味わからない」「正解がわからない」「今更感があって聞けない」「怖い」「一人ではできない」が関連して見えてきた
仮説
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KJ法は必須スキル、課題図書「発想法」を読め、と言われて読んだけど意味がわからない…
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先輩と一緒にKJ法をやる。見よう見まねでそれっぽくやってみてるけどこれでいいのかな…正解がわからない…
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「よくわからない」って言うと「えっ?今更?」とか言われるかも?質問するのが怖い…
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正解がわからないから一人ではできない…
「この問題を解決するのが大事」が僕の仮説
みなさんほとんどの人が自転車に乗れますよね?
今ここに「自転車の乗り方がわからない人」がいるとしましょう
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「自転車の
正しい乗り方がわからなくて乗れないんです、教えてください!」
さあどうする?
実際「一人でやってみよう」という実験をして「正解がわからないからできない」的な意見が出た
暗黙に「できている人は正解を知っている」と決めつけてる
「自分は正解を知らない、教えてもらわなきゃできない」と思い込んでる
でもあなたが自転車の乗り方を習得したプロセスって、座学で正解を教えてもらったんですか?
安全な公園とかで、実際に自転車にまたがって、何度も挑戦して、時々こけたりして、その繰り返しから安定して前に進むコツを身につけたはず
別の視点: 100回以上KJ法をやってるベテランのセリフ
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「勝手に我流にしてしまった部分があるかもしれない」
このベテランは「自分は正解のやり方をやっている」と思ってない
「自分は正解は知っているけど、少し変えて我流にしている」とも思ってない
「自分は正解を知らない」と思っている
なので「自分がやっている方法が正解か我流かわからない」と思っている
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正解など存在しない、使いこなしている人はみんな我流
みなさんの自転車の乗り方が我流なのと同じ
自転車に乗れば歩くより速く移動できることを知っている
必要なときに乗ることができる
これで実用上は十分
「正しい乗り方」でなくて良い、我流でよい
「正しいやり方」を質問してもハッキリした答えが得られないのは、みんな「我流のやり方」をやっているから
「我流」は悪くない、むしろ良い
我流=自分の個性に合わせてカスタマイズした方法=使いこなし
試行錯誤して自分なりの「我流」を磨いていくのが良い
KJ法もそもそも我流:
川喜田二郎の作った知的生産術に、事後的に「KJ法」と名前がついた
「川喜田二郎のやり方だからKJ法だ」と第三者が言い出してそのまま定着した
つまりKJ法も「川喜田二郎の我流の知的生産術」にすぎない
皆さんは「KJ法の習得」がしたくてこの勉強会に参加してると思う
「正解のKJ法を知ること」が目的ではない
「KJ法を参考に我流の知的生産術を生み出して、よりよく知的生産ができるようになること」が目的
ロフトワーク流が生まれると良い
個々人が我流を磨くだけでなく、御社の中で我流のアイデアの流通が起きて、相互に刺激し合うといい
結果として「ロフトワーク流」的なものが生まれると良い
なぜか
1967年に文化人類学者がやってるフィールドワークのまとめ
2022年に御社がやってる日々の業務
この二つには大きなギャップがある
目的も違う、使う道具も違う
「発想法」には紙の手帳やラベルの話がいっぱい出てくるがパソコンやスマホの話は出てこない、だって1967年の本だもの
1967年の「発想法」を日々の業務に応用しようとすると
細かい具体的手法を捨てて、
知的生産術としてのエッセンスを抜き出し、
それを現代の道具を使って実現することが必要
新入社員に書籍だけ渡してやらせるにはハードル高すぎない?
新入社員教育を改善したいなら「発想法」の内容を、現代・御社の文脈へ近づけていくアップデートが必要
現代文脈へのアップデートは
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のやりたいこととも一致しているので協力できる
1967年の「発想法」よりも、その後の20年の経験を踏まえて書かれた、1988年の「
KJ法 渾沌をして語らしめる」を参考にするとやりやすいと思う
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御社文脈へのアップデートには御社業務に密結合な知識が必要
だからこれは御社のメンバーがやるべきこと
みなさんそれぞれ目の前の業務のために我流を発展させよう
そして気軽に質問しあってノウハウを交換し、改善していくと良い
我流を育てるために
既存の方法を「ルール」としてなぞるのではなく、その方法が生まれた「目的」を理解する
「川喜田二郎はこうやった」もデータ
「
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はこうやった」もデータ
「隣の席のAさんがこうやった」もデータ
似ているが少しずつ違う目的に対して、みんな少しずつ違う方法を行った
どれも正解ではない
正解の方法論などない
方法論は状況・目的に合わせて作り変えていくもの
実際、観測事実として下記の3つの時点の考えはイコールではない、少しずつアップデートされている
1967年の
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(
発想法、6ラウンド累積KJ法)
これはおかしなことではない、賢い
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が状況の変化を見てアップデートをしたからイコールでなくなった
イコールである方がおかしい、それはアップデートされてないということ
今回のワークは、中期後期の
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の重視した「探検ネット」「考える花火」をベースにします
KJ法のアップデートの歴史
1: 1964年「パーティー学」1967年「発想法」で
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の知的生産術が紹介されたされた
事後的に「KJ法」と呼ばれるようになった
この手法は
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が知りたいことを知るためにフィールドワークをした後で、その集まった大量の定性的データを「
まとめる」ことが
目的の手法だった
2: KJ法が話題になり
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が他の人にKJ法を教えていく過程で「KJ法は色々な
目的に応用できるのではないか」となった
そして、
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本人や周囲の人により多種多様な目的への応用がされた
目的が違うのだから手法も少しずつ違う
KJ法の概念がモヤっと広がった
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は元々のKJ法とこれらのモヤっとした多種多様なKJ法的手法とを区別するために、元々の方法を指して「
狭義のKJ法」という言葉を使いはじめた
だけども、狭い意味のKJ法は複数あって曖昧なので
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は「
はじまりのKJ法」と呼ぶことにした
3: 多種多様なKJ法の応用のうちの一つを紹介
「KJ法的ワークショップ」と呼ぶことにする
大勢の「KJ法を学んだことがない人」を集めて、彼らが考えたことを付箋に書き出し、みんなでグループにまとめながらワイワイと議論をするワークショップ
「大勢のKJ法を学んだことのない人を対象に行う」という性質から、多くの人にとってこれが「初めて経験するKJ法」になった
その結果「これがKJ法だ」と認識する人がたくさん発生した
別の「狭い意味のKJ法」ができてしまった
この「KJ法的ワークショップ」は、色々な面で
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の「はじまりのKJ法」の考え方とは食い違っている
なのでこの「KJ法的ワークショップ」を「KJ法」だと認識している人は、
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の著書を読んだときに混乱してしまう
あちこちに「自分の経験したKJ法」と食い違うことが書かれているから
「KJ法」はモヤっとした解像度の低い言葉なので、言葉の解像度を高めることが必要
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なにそれ、めっちゃ大変やん
「KJ法は実務に使えない」という批判を受けて後期の
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がアップデートしたのが「探検ネット」
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「KJ法の双子の弟」「KJ法の実務化」
実務を目的として生み出されたKJ法的手法
目的が違うのだから手法に差が出るのは当然で「はじまりのKJ法」とは少し異なる手法になっている
具体的にどう違う?
はじまりのKJ法(狭義のKJ法一ラウンド 第4章)では
グループ編成の要素として表札づくりをしてから
図解化の要素として空間配置をしている(p.123)
探検ネットでは
ネットづくりの要素として空間配置してから
統合図解化の要素として表札作りをしている(p.289)
要約すると
グループ編成しない、ネットづくりする
空間配置してから表札づくりする(逆順にした)
グループ編成しない
「グループ編成がわからない」という質問はとても多い
しかしそもそも後期の
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の提案する「実務的な」KJ法ではグループ編成をしていない
「グループ編成が必要」はデータに反する思い込み
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自身も9割のケースでグループ編成をしてない
>(skip)
KJ法が世の中に出た最初の体系は、六ラウンド累積KJ法であった。そのために、KJ法による問題解決には、時間がかかるという認識を植えつけてしまった。(p.436)
1967年の「発想法」だけ読んだ人は初期の
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の提案した
六ラウンド累積KJ法をメインの方法だと誤認する
ところが、
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本人は1981年からの5年間で六ラウンド累積KJ法を8回しかしてない(p.436)
1000枚ほどの作品を作っているが、そのうちの8枚、1%未満
年に1〜2回程度しかやってない
半年〜1年掛けて結論を出すような大きなテーマに対してしかやらない
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の例で言えば「一冊の本を書く」みたいなテーマ
1〜2ラウンドの軽いKJ法は2週間に1回程度のペースでやっている
探検ネット(考える花火)は2〜3日に1枚くらい作っている
全体の9割程度のケースを占める
つまり
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は9割のケースでグループ編成をしてない
どういう時にグループ編成が必要か
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は9割のケースでグループ編成をしてない
→1割のケースではグループ編成をする
じゃあ、どういう時にグループ編成が必要なのか?
端的に言えば「枚数が多い時」
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枚数が多いと、いきなり空間配置ができない
なので
全体を眺めて「関係ありそうなものをくっつける」
グループにその内容を表した「表札」をつける
表札を一番上にして束ねる
束ねることによって見かけの枚数が減る
これがグループ編成の目的
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グループ編成に悩む人が多い
質問がいっぱい出る
「グループ編成」という言葉がミスリードだと思う
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「グループ編成」という言葉で「グループを作らないといけない」と感じがち
「グループ」という言葉で「たくさんラベルが集まったもの」をイメージしがち
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「どこにも入らないものがある」
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なら1枚のままにしたらいい
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「仲間を見つけられず一枚のまま、というラベルも
沢山残る」(p.126)
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「グループって何枚ぐらい?」
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いきなり枚数の多いグループを作ろうとして混乱してる人が多い
まずは「2枚をくっつける」と思った方がいい
2枚でくっついたものに後から「あ、これも仲間だな」とくっついて枚数が増えることはよくある
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「ラベルのセットには、
二枚一セットのものもあれば、三枚で一セットのものもある。
なかには四枚や五枚で一セットである場合もある」(p.126)
枚数はあらかじめ目安があるのではなく、データが決めること
中期後期の
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が提案する「探検ネット」では、まず「2枚の間に線を引く」をやる
これが
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の「まずは
2枚をくっつける」に相当する
今回のワークについて
今回のワークは「自転車に乗る練習」のようなもの
将来的には公道を長距離走ることが目的だが、最初からそれにチャレンジはしない
まずは安全な公園で短距離走る練習をする
転んでも車にはねられたりしない、失敗しても大怪我はしない
今回のワークは顧客や納期のある仕事ではない、成果物に対する責任を考えなくて良い
目的は「自転車を漕いで前に進む感覚」を体験すること
「前に進む」とは「今まで自分が気づいていなかったことに気づく」
自転車のスタンドを立てたままペダルを漕いでも前には進まない
格好だけは「自転車に乗っている」っぽいけど、全然違う
それをいくらやっても自転車に乗れるようにはならない
実はペダルだけでなくハンドル操作が大事だから(後述)
自転車に乗れるようになったら、何度も乗ってみよう
そのうちに慣れて「この方が歩くより速く進めるな」と実感できる
この実感が「このやり方でいいんだ」という自信につながる
すでに自転車に乗れる人へ
「ベテランのスキルが若手にうまく伝えられていない」が今回の勉強会開催のキッカケになった、これが解決の必要な重要課題
上手くできなくて転んだりする人を見ることで自分が「なんとなくやってること」を見つめ直し言語化する機会になる
プロセスが言語化できるようになるとあなた個人のスキルもより改善しやすくなる
今回は仕事をする場合と違って「成果物に対する責任」がかからないので、成果物ではなくプロセスの改善にフォーカスできるチャンス
今回のワークは具体的には
1: 一人で
2: 25枚程度の
3: 自分由来のラベルを
4: 探検ネットして
5: 気づきを得る
それぞれ説明します
1: 一人でやる
グループで行うKJ法の発生によって現れた問題
>初めからグループKJ法ばかりしか経験していない人には、個人作業を行なう基礎的な実力がなかなか培われない...しかも、グループでやった経験だけは何度もあるため、なんとなくKJ法をマスターした気分になっている。力がついてないことに気づいていないのである。(KJ法 渾沌をして語らしめる p.209)
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は「ペアでラベルの組み立てをする場合、メンバーは先に個人で経験を積んで、力量が成熟している必要がある。さもないと、望ましくない妥協が起きてうまくいかない」と考えた。
>(skip)一九六八年頃からは、二人がペアでラベルの組みたて作業を行なう研修が始まっていた。ただしこの作業は、第一ラウンド(問題提起)と第二ラウンド (状況把握)のラベル作業を相次いで同一テーマで、個人単位で行なった体験を持った後、第三ラウンド(本質追求)においてのみ実施したのである。 受講者はこの第三ラウンドに至ったあたりで、初めて存分に融通無碍にペアのチームワークを行なうことに成功できたのであった。それ以前では、ひとりずつの力量が充分に成熟していないと、私には判断されたからである。 作業的にいえば、望ましくない妥協がふたりの間におこると思われたのである。(p.201)
例えば「KJ法に慣れている先輩」と「KJ法に不慣れな後輩」をペアにしてKJ法をしたとする
先輩が「これは丸だ」と言った時に後輩は
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「私の視点からは四角に見えますけど?」と言えるか?

(丸なの?私は四角な気がするけど…でも先輩が丸だっていうならそれが正解なのかな…何が正解かわからない…)とくちごもってしまってないか?
これが望ましくない妥協
チームメンバーが気兼ねなく多面的な意見が出せる状態でないと「
360度の視角から」ができない
自転車の二人乗りのようなもの
先輩がハンドルを握って先輩がペダルを漕いでる
二人乗りをたくさんしても後輩は自転車に乗れるようにはならない
自分でハンドルを握ってペダルを漕がないといけない
「自分がハンドルを握る」=どういう方向に進むかの意思決定を自分で行う
「自分がペダルを漕ぐ」=先に進むためのエネルギーを自分が出す
一仕事=自分で判断する仕事
主体的判断の経験が人を育てる
判断力はどうやったら高まるのか
多角的情報を元に判断する
「判断」がいくつもの違う視点からの情報と整合性を持って繋がってるようにする
その「判断」は、根拠のない思いつきや、一つの情報の刺激に反応しただけのものより質が高いものになる
2: 25枚程度のラベルでやる
まったく同意見なので「エンジニアの知的生産術」では「100枚ラベルが作れないならそもそも情報収集が不足してる」という趣旨のことを書いた
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データを見ると「一人で最後までやりきる経験」の少なさによってつまずいている人が多い
これからジョギングを始めようって人がフルマラソンに参加するのはおかしい
川喜田二郎の「KJ法がわかるには100枚以上が必要」の「KJ法」は「
はじまりのKJ法」を指している
つまり
日常的な実務に使う上では100枚も必要ないという考え
(ただし、はじまりのKJ法も習得する必要があると考えている)
まずは少ない枚数を繰り返して、慣れてから100枚超えにチャレンジするのがオススメ
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100枚超えのKJ法をやることで「グループ編成して、束ねて、見かけの枚数を減らすこと」のメリットを痛感できる
3: 自分由来のラベルでやる
ラベルを見て「もっと詳しい情報が欲しいな」って時に何をするか
1: 自分の考えを書いたラベル
→「これをもっと詳しく言うと?」と自分に問い掛ける
2: 複数人のブレインストーミングなどから作られたラベル
→その意見を出した人に「これをもっと詳しく言うと?」と聞く
3: 書籍など「長文で記述されたもの」からピックアップして作られたラベル
→書籍の該当箇所を読み返す
4: 匿名アンケートの自由記述欄などの「短文で記述されたもの」から作られたラベル
→困る
自分由来のラベルでやるのが一番簡単でスピーディ
だから今回は自分由来のラベルでやる
4: 探検ネットをする
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が「KJ法の実務化」と読んだ探検ネットをベースにする
みなさんが日々の仕事で使う上では「はじまりのKJ法」は重たすぎるから
軽いものを何度も使って慣れていくのが良い
今回は「探検ネット」のいくつかのバリエーションのうち「
考える花火」をベースにする
「
探検ネット」「花火」「考える花火」などの用語は、
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自身もあまり綺麗に整理できていない
オリジナルの「考える花火」のままではなく、この勉強会の制約に合わせてカスタマイズした
オリジナルの方法には時間制限もグループディスカッションもない
5: 気づきを得る
今回の目的は今まで自分が気づいていなかったことに気づくこと
これが「発想」や「悩みの解決方法の発見」と呼ばれるものの正体
何か一つでも自分にとって新しいことに気づいたなら成功
これを難しいと思う人もいるだろう
それは自転車に乗れない人が自転車に乗って進むことを難しそうと思うようなもの
自転車に乗れる人からすると「そのために乗るんだよ」という気持ち
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「できた」という体験を何回かすると自信が湧いてくる
下記は今回の目的ではないとハッキリ書いておく
「事前に用意したラベルを全部つなげること」ではない
「データをきれいにまとめること」ではない
「きれいな図解を作ること」でもない
「スラスラと説明すること」でもない
今まで自分が気づいていなかったことに気づくことが目的
手順
手順は個人ワーク中に各自が自分で読むことを想定している
講義では冒頭だけ読む
手順1: 真ん中にテーマを置く
この後、360度の方向に連想を広げる
ラベルの周囲にラベルを置いて線で結ぶことを繰り返していく
基本の手順
まずは真ん中に一回り大きなラベルでテーマを書く
このテーマから連想したものを新しいラベルとして追加して、線でつなぐ
そのラベルから連想したものをまた新しいラベルとして追加し、を繰り返す
マインドマップの経験がある人は連想を書いてつないでいくことがイメージしやすいかも
マインドマップはツリー構造を作るけども探検ネットは網目を作る(後述)
今回はラベルを事前に書いてもらった
タイムプレッシャーをかけて書き出しをすると、焦って雑なラベルを作りがち
そのせいで後のフェーズが全部グダグダになることがある。それを避けたかった
テーマから連想を広げた時に、既存のラベルをチラリと見て、つながりそうなラベルがあれば拾い上げてつなぐ
用意したラベルにないことを思いついた時には新しくラベルを作る
「事前に用意したものを全部繋ぐこと」は目的ではない
使えそうなら使うという感じでOK
手順2: ツリーではなく網目状の構造(ネット)を作っていく
ラベルは周囲とたくさん線が引かれる場所に置く
こうなる
探検ネットではまずはグループ編成をせず2枚の関係を線で表現する
KJ法のグループ編成で悩む人が多いが、探検ネットをやることでコツが掴める
「グルーピング」「分類」「カテゴライズ」「軸を作る」ではなく、関係ありそうな2枚をくっつける
対立するラベルも近くに置く
ラベルを周囲とたくさん線が引かれる場所に置く
線はなるべく短い方がいい
この作業をやっていくとこういう網目(ネット)ができる
みなさんの見ているMiroのボード上で実際に作ってみた
網目ができた時点ではグループに分かれていない
網目を作っていく過程で例えば「多面的に考えてたつもりだったけどいざ並べてみるとテーマの周りに隙間があるなぁ」となったりする
「この隙間を埋めるものはなんだろう?」と問いかけることで気づきが促される
手順3: ネットができたら2〜3枚ずつペンで囲い表札をつける
たとえばこの赤ペンのように
この「2〜3枚囲んで表札をつける」を囲みが5〜6個になるまで繰り返す
2〜3枚、多くても4〜5枚をめどにして囲う
どこにもうまく入らないものは1枚のままにしておいてよい(一匹狼)
(Miroでは)フレームを使うと良いかなと思ったがやりづらかったのでペンで囲うことにした
囲ったら要約してタイトル(表札)をつける
「どう要約したらいいだろう?」と問いかけることが気づきを促す
狭義のKJ法と違って束ねないので「表札だけで意味がわからないといけない」という制約がない(see
表札の使命)
多少失敗しても中身を読めば意味がわかるので気楽に要約して良い
この「2〜3枚囲んで表札をつける」を囲みが5〜6個になるまで繰り返す
手順4: 気づきに注目してそれを他人に伝える
まずは一息ついて全体をじっくりと鑑賞
その後「気づいたこと」に注目して他人に伝える言葉にする
作業が終わったら、まずは一息ついて全体をじっくりと鑑賞する
その過程で思い付いたことがあれば加筆して良い
その後、叙述化する
きれいな長文を書かなくて良い
それは今回の目的ではない
再掲: 今回の目的は「何か一つでも自分にとって新しいことに気づくこと」
なので「気づいたこと」に注目して言葉にする
叙述化も目的によってやり方の違いがある by
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収集した事実の報告のための叙述化
これに慣れてる人も多いかもしれないが、今回はそれが目的ではない。

「発想のための叙述化」(p.141)
気づいたことや思い付いたアイデアを文章にどんどん入れる
今回の勉強会では元ラベルの全体像を報告することは重要ではない
ので「気づき」を話のメインに据える
話したいことに関係する必要最小限のラベルだけ言及すれば良い
なぜ気づきに価値があるのか
それが「自転車が前に進む」ということだから
今までと同じことを繰り返していても問題は解決しない
既に知っていることを再確認しても何も学べていない
先に進むためには「今まで気づいていなかったもの」に気づくことが必要
速い人も遅い人もいる
遅い人が悪いとも限らない、ろくに考えずに体裁をサッサと整える「速い人」が問題
自転車のスタンドを立てたままペダルをブンブン回してるようなもの
負荷が掛かってないから速く回せてるだけ
それをやっても前には進まない、新しい気づきは得られない
今回は「最初の30分で網目状にならなかったラベルは一旦放置して先に進む」というルールにする
遅い人は枚数を減らすことで時間調整する発想
「全部使おう」として時間を使いすぎると、後半で時間がなくなる
後半のまとめる部分が重要
後半を焦りながら雑にやってしまうより、枚数を制限した方がだいぶマシ
だからこのルールにした
時間の制約がなければ、本当はすべてのラベルを使おうと挑戦する方がいい
時間が余った人
じっくり鑑賞して思いついたことをどんどん加筆すると良い
これは
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もおすすめの方法
他の人の作業を見に行っても良い
ベテランの人は例えば下記の問いかけと自分のネットとの間に何があるのかを考えみてもよい(
質問が言語化を促す)
Q: どうすれば自分のスキルを高められるのか?
Q: どうすれば周囲のメンバーのスキルを高められるのか?
Q: 川喜田二郎のKJ法を現代の御社の文脈に合わせていくためには、何をどうアップデートすれば良いか?
〜〜〜以下はワーク終了後
今後の個人ワークの補足
今回、勉強会の制約によってできなかったことを知ってほしい
本当は、自分が今まさに悩んでいることをテーマにするのがよい
それについての
気づきがあることを、あなたは本心から望んでいるから
KJ法の練習のために適当に作ったラベルではなく、本気で悩んで考えていることを書くと良い
だけどそのテーマについて考えてるところは他人と共有したくないよね
例えば自分のキャリアを真剣に考えるなら「転職」は検討すべき選択肢の一つ
だけど、同僚や先輩のいる前で転職するメリットの検討をしたくないよね
今回のワークでは「他の人の作業を見ること」のメリットを優先した
本当は一人でこっそりやった方がいい
作られた図解や叙述を他人に見せる必要はない
理想としては時間制限はない方がいい
納得いくまでじっくり考えるのが有益
目的はしっかり考えて、新しい気づきを得ること
一定時間後に発表予定があると、焦ったり、他人の目を気にして見た目の体裁を整えようとしてしまいがち
今回のワークでは「他の人の気づきを聞くこと」のメリットを優先した
そのために一定時間で終わって、その後にそれを他の人に共有する時間を作った
この勉強会が終わった後に、他人の目を気にせず、自分が本当に考えたいテーマで、時間制限なしにじっくり一人でやってみて欲しい
この経験が「KJ法的な考え方が腑に落ちる」ためにとても重要
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