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考える花火誕生の流れ
全体像

個別の解説
1 まず文化人類学者の川喜田二郎はフィールドワークで集めたデータが多すぎてどうやってまとめるのか悩んでいた
2 その問題を解決するためにKJ法が生まれた
重要な要素として「表札をつけて束ねる」がある
これによって見かけの枚数が減ることが「データが多すぎてどうまとめたら良いかわからない」が解決された
3 ブレインストーミングで、しっかり記録をつけようとすると話が中断されることや、一次元的に記録を書き連ねても全体像が把握できず直近の発言ばかりに影響されてしまうなどの問題が発生する、これを解決したい
4 そこでKJ法の空間配置の部分だけを取り出して応用した(パルス討論)
この時に「束ねずに空間配置」が生まれた
5 川喜田二郎がKJ法を教えていく過程で、多くの人はそもそも取材の部分がうまくできてないことに気づく、ここの改善が必要
6 パルス討論で生まれた「束ねずに空間配置」を応用して「探検ネット」が生まれる
取材メモをこまめに空間配置することで、長期間溜めてから最後にKJ法をするよりも良くなると考えたわけだ
7 探検ネットに予想以上の価値が発見された。川喜田二郎は先の取材をまとめることの効果よりも、後の取材に与える効果に重要な価値がある、と考えるようになった
この価値のことを川喜田二郎は「発散的思考」と呼んでいる(KJ法 渾沌をして語らしめるp.259)
西尾の意見: この言葉は抽象的で土の香りを失っている。泥臭い「試行錯誤して発展した経緯」を見ることが大事。だからこのページを書いた。
8 取材前に行うことに価値があるなら、取材データのまだない取材の最初にもやった方がいい。そこで探検ネットに「テーマを真ん中において自分の心の中を内部探検し、見つかったものを順次置いていく」という亜種ができる
9 「花火」という言葉の誕生
この「中央のテーマから四方八方に広がっていく」という特徴を見て川喜田二郎が「これは『花火』だ」と言い始める
10 探検ネットが花火と呼ばれるようになる
西尾の意見: 振り返って考えるとここに混乱の種がある
「テーマを中心に置く探検ネットの亜種」を「花火」と呼ぶのが構造としてはスッキリするが、歴史的事実としては探検ネット全体が花火と呼ばれるようになってしまった
事後的に「テーマを中心に置く探検ネットの亜種」を「探検型花火」、もともとの「まとめること」を目的とした探検ネットを「統合型花火」と呼ぶようになった
なお1986年の「KJ法渾沌をして語らしめる」では「探検型花火が探検ネットの原型」と書いている(p.300)が、1977年の「知の探検学」で探検ネットが紹介されたタイミングではテーマを真ん中に書くやり方を紹介していない
明確に言語化しないまま必要に応じてやっていて、初期には手法として分かれていなかったのだと思う
この辺りの前後関係に関してはデータが足りないので少しあやふや
二つの手法の違いはデータがテーマに対して十分集まっていると思うかどうか。統合型花火はデータが揃ってる時に使う、探検型花火は素材が集まってない時に使う(p.300-302)
図では探検型花火が先頭だけのように描いてしまったけど「取材をしてデータを少し集めたけどテーマに対して不十分な気がする」というシチュエーションでは取材の半ばでも改めて探検型花火をするだろう
11 考える花火の誕生
探検型花火は取材データなしに実行できる、ということはそもそも「取材をする」という目的から切り離しても使えるはずだ
というわけで日常の「考えたいことがある」という目的に応用する形で「考える花火」が生まれた