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Anthro Vision(アンソロ・ビジョン) 人類学的思考で視るビジネスと世界



>【目次】
> まえがき もうひとつの「AI」、アンソロポロジー・インテリジェンス
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> 第一部「未知なるもの」を身近なものへ
> 第一章 カルチャーショック――そもそも人類学とは何か
> 第二章 カーゴカルト――インテルネスレの異文化体験
> 第三章 感染症――なぜ医学ではパンデミックを止められないのか
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> 第二部 「身近なもの」を未知なるものへ
> 第四章 金融危機――なぜ投資銀行はリスクを読み誤ったのか
> 第五章 企業内対立――なぜゼネラル・モーターズの会議は紛糾したのか
> 第六章 おかしな西洋人――なぜドッグフード保育園におカネを払うのか
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> 第三部 社会的沈黙に耳を澄ます
> 第七章 「BIGLY」――トランプとティーンエイジャーについて私たちが見落としていたこと
> 第八章 ケンブリッジ・アナリティカ――なぜ経済学者はサイバー空間に弱いのか
> 第九章 リモートワーク――なぜオフィスが必要なのか
> 第十章 モラルマネー――サステナビリティ運動が盛り上がる本当の理由
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> 結び アマゾンからAmazonへ――誰もが人類学者の視点を身につけたら
> あとがき 人類学者への手紙

9章のリモートワークが個人的に印象深かったkidooom
アンソロ・ビジョンとは、日本語で表すと「人類学的視点」
人類学のようにフィールドワークをして異文化を理解しないと問題の本質に辿り着けない
ビッグデータでは、「What」は分かるが「Why」は分からない p17
>「こうした重要な知見はコンピュータだけに頼っていては手に入らなかった」という事実だ。ビッグデータは何が起きているかは説明できるが、それがなぜ起きているかはたいてい説明できない。相関関係は因果関係ではない
エスノグラフィー(参与観察)

> 第一章 カルチャーショック――そもそも人類学とは何か
タジキスタンの村に滞在し、エスノグラフィーを実践した筆者
人類学の歴史について
帝国主義の時代では、植民地にいる未開人や奴隷に対する人種差別的スタンスは当たり前だった
19世紀に、フランツ・ボアズというドイツの研究者が北極圏のイヌイットの文化を観察し、近代人類学の基礎を捉えた p32
>ボアズは予想もしなかったことを発見した。イヌイットは単なる分子の集合体ではなく、自分と同じように感情、思想、信念、情熱を持つ人間である、と。「われわれの”優れた社会"のどこが"未開人"のそれと比べて優れているのか、疑問に思う」。
現地を観察することで理解したハビトゥスによる文化の区分け
共産主義とイスラム文化の対立があるかと思いきや、公的な場と私的の場、夫と妻という空間/ハビトゥスで共存していた   
大規模な統計データやビッグデータの鳥の目だけでは不十分で、現地で観察して学ぶ虫の目も必要である p54
>私はオビ・サフェド村での経験を通じて、ときには鳥の目ではなく虫の目で世界を見て、両方の視点を組み合わせることに価値があると知った。徹底的に地域に密着し、縦横斜めからある状況を立体的に探求し、自由回答形式の質問を投げかけ、人々が語っていない事柄に思いを巡らすことが大きな恩恵をもたらす。他者の世界を「身体化」し、思いを共有することに意義がある。


> 第二章 カーゴカルト――インテルネスレの異文化体験
インテルのようなハイテク企業の一部では、ユーザー自身を研究するために人類学者を雇っている
今日のグローバル社会ではアメリカ文化などによって文化的植民地化が進んでいるが、まだまだ現地の文化はビジネスに大きな影響を与えている
中国の緑茶販売に失敗したコカ・コーラ社の例
日本で雄牛のロゴを使ってキャンペーンをして、マネーではなく焼肉を想起させてしまって失敗した例
西アフリカ地域でベビーフードの瓶に赤ちゃんの写真をデザインし、瓶の写真には「材料」を表示する文化で失敗した例
キット・カットが、日本では「きっと勝つ」という演技の良い言葉を連想するために、マーケティングで成功した例
アメリカと中国では、監視カメラに対する嫌悪感・慣れが異なる
中国では監視されることが当たり前になっている
コンピューターに対する捉え方も、中国では肯定的な意見が多い
今後、文化によってAIに対する捉え方がどう異なるかで、結果に大きな違いが出てきそうkidooom


> 第三章 感染症――なぜ医学ではパンデミックを止められないのか
2014年のエボラウイルス拡大の危機では、医学だけでパンデミックを止められなかった
現地の文化を無視した対策ではうまくいかない
現地民によって医療チームが殺害されるなどの事件も起こった
現地の文化を理解せず、欧米人の考え方・理屈だけで「xxした方がいい」と指示をしてもうまくいかない

> 第四章 金融危機――なぜ投資銀行はリスクを読み誤ったのか
金融業界のジャーナリストとして働くことになった著者
CDOクレジット・デフォルト・スワップ(CDS)など、慣れ親しまない言葉が飛び交う金融業界は、未知の民族の中に入ってかのような感覚になったとのこと
人類学者としての腕がなる
金融関係者に取材をするたびに、何をいうかと、「何を言わないか」に耳を澄ませた
語らないこと・目を向けていないことは、本当に見えていないかもしれない
調べれば調べるほど、複雑すぎて把握できない金融の現状に、筆者は危機をつのっていた
ある意味、リーマン・ショックを予期していたとも記述している
映画:マネー・ショートでもあったように、サブプライムローンの暴落にかけた人は、虫の目で実際にローンを借りた人を観察した
どう考えても返済できそうにない人たちがローンを借りていた
投資家や銀行は銘柄のリスク評価など鳥の目でしか見ておらず、現実を把握できていなかった
逆にいうと、自分にとっての普通の意見は、他の誰かにとっての普通の意見では無い
人類学的思考は、この普通のズレを虫の目で観察して理解していくこと


> 第五章 企業内対立――なぜゼネラル・モーターズの会議は紛糾したのか
「部品を抱え込んでいる人は多い」のエピソードが面白いkidooom
日本制の品質管理が導入されて効率化されていたはずなのに、なぜ無駄に部品を隠し持っているのか? p156-157
>「自分の担当する組立ラインで部品が切れ、たとえ5分、10分でも生産が止まれば責任を問われる。主任、現場監督、総監督、工場長も責任を問われ、会社にも損失が発生する。だからたくさんの社員が部品を取り置き、自分のロッカーや秘密の場所に保管しておくんだ」
失敗を叱責したり責任を追求する文化があると、効率を無視してでも失敗を避けようとする
とても分かる。失敗なんか許されないという「呪い」を解除することがいかに重要かというエピソードkidooom
会議が紛糾した理由が面白かった kidooom
会議に対する認識が、文化の異なるチーム間でズレていた p164-165
>三つのグループがそれぞれ会議のあるべきかたちについて異なる前提を持っていたことがわかった。
> リュッセルハイムから来たオペルのチームにとって、会議という儀式はあらかじめ明確に定めた議題に基づき、簡潔に終わらせるものだった。...(中略) 会議で意思決定を下すのはリーダーの仕事だと考えていた。
> 一方、デトロイト地域からやってきた小型車グループの技術者にとっては「会議=仕事」だった。業務時間の大半を会議に費やすのが当然だと考えていた。...(中略) 会議の議題はあらかじめ設定すべきではないと考えていた。情報交換のなかで、自然と議論を発展させていくほうが望ましい。
> テネシー州のグループにはまた別の心理的および文化的パターンがあった。リュッセルハイムのチームと同じように、テネシーの技術者も業務の大部分は会議室以外で行うものなので、会議は短いほうがよいと考えていた。ただリュッセルハイムのチームとは違い、会議の目的は判断を下すことではなく合意の形成であり、あらかじめ議題を設定することを嫌がった。しかもヒエラルキーに基づいてリーダーが意思決定を下すという発想も嫌った。
当たり前の概念こそ、すり合わせておかないとズレに気づけ無い

> 第六章 おかしな西洋人――なぜドッグフード保育園におカネを払うのか
西洋文化、資本主義、インターネット後の文化こそがおかしいのではないか?という批判 p176
確かに、現時点で強い勢力の文化が正しくて、発展途上国や共産主義の国がおかしいというのは傲慢な考え方であるkidooom


> 第七章 「BIGLY」――トランプとティーンエイジャーについて私たちが見落としていたこと
トランプの勝利は、エリートたちが虫の目でアメリカ国民たちを真摯に見ていなかったことが原因の一つ
トランプが勝つわけがない、支持するわけがないという傲慢さがあった
社会的沈黙に耳を澄ます必要がある
エリートたちに意見を言えない人たち、普段接する機会がない人たちこそがアメリカ国民の大部分であること

> 第八章 ケンブリッジ・アナリティカ――なぜ経済学者はサイバー空間に弱いのか

> 第九章 リモートワーク――なぜオフィスが必要なのか
この本で最も印象に残った章kidooom
人類学的には、ハビトゥス・空間の概念が大事
リモートワークでは、空間を共有できないことが問題になる
IETFが「大まかな合意」を生み出すために、ハミングによる多数決を取っていた
賛成度合いによって音量が異なる
「賛成」か「反対」の二項対立ではなく、グラデーションのある投票がうまくいっていた
リモートワークになると、このグラデーションによる大まかな合意を取るのが難しい
アナログの方が曖昧な情報量が多く、グラデーションに向いている
ゼロックスのコピー機修理工は、重要なノウハウを食事の場などで共有していた p257
>まもなく気づいたのは、特に重要な対話の多くは食事の場で起きていたことだ。安いダイナーでの食事というのは、ゼロックスの幹部が修理工の業務について考える時、まず思い浮かべることのない場面だ(そもそも修理工の業務について考えることがあれば、の話だが)。幹部は修理工がコピー機を修理するのはクライアントのオフィス内か、ゼロックスのオフィス内にある作業場だろうと考えていた。顧客訪問の合間のダイナーで過ごす時間は非稼働あるいはムダとみられていた。何かが存在しないこと(働いていない時間)によって定義されていたため、「空」や「タダ」と同じように目を向ける価値がないと思われていた。
幹部がムダだと思う非稼働の時間が、修理工にとっては重要な共有の時間だった
従業員同士が楽しくランチや懇親をしている時に、「就業時間内だぞ!」と厳しく注意をするようなマネージャーは、こういった大事な空間を削ってしまっている
雑談は、不確実性を吸収する
不確実性のある業界では、その会話が重要になる
p271
>ベウンサは、証券会社のトレーディングフロアの「雑談」は「トレーダーたちが金融モデルに内在する不確実な要素に対処するための社会的システムだ」と判断した。
就業時間内や公式マニュアルといった公式なもの頼りすぎると、不確実な場面で対応できない
コロナ禍になってからほぼフルリモートワークで、便利に暮らしてはいるのだが、この章で指摘されているようなデメリットも確かに感じている
同じフロア、同じ席配置のままずっと働いていると結束が固くなりすぎて視野狭窄グループシンクを引き起こすので、適度に席替えをすること大事


> 結び アマゾンからAmazonへ――誰もが人類学者の視点を身につけたら
最後のまとめ p309
>では、どうすればアンソロ・ビジョンを身につけられるのか。本書ではすくなくとも五つの方法を提案した。
>1. 誰もが自らの生態学的、社会的、そして文化的な環境の産物であることを理解する。
>2. 「自然な」文化的枠組みはひとつではないと受け入れる。人間のあり方は多様性に満ちている。
>3. 他の人々への共感を育むため、たとえわずかなあいだでも繰り返し他の人々の思考や生き方に没入する方法を探す。
>4. 自分自身をはっきり見るために、アウトサイダーの視点で自らの世界を見直す。
>5. その視点から社会的沈黙に積極的に耳を澄まし、ルーティンとなっている儀礼や象徴について考える。ハビトゥス、センスメイキング、リミナリティ、偶発的情報交換、汚染、相互依存、交換といった人類学の概念を通じて自らの習慣を問い直す。