現代思想入門 (講談社現代新書)
目次
> 第五章 精神分析と現代思想ーーラカン、ルジャンドル
代表的な3人にフォーカスを当てる
なぜ現代思想を学ぶのか? p12
>現代思想を学ぶと、複雑なことを単純化しないで考えられるようになります。
現代は、秩序化・クリーン化に向かっていると懸念している
これは駄目、あれは良いといった単純な価値観には染まりたくないだろうと
あえて秩序化から逃れる道も必要である
恋愛したり、結婚したり、友人と遊んだりするのも、自分が管理できない他者というカオスを受け入れて秩序化を掻き回している
現代思想の原文を読むのはとても難しい
多くの前提知識が必要とされる
曖昧な言葉、外国語から日本語に翻訳した言葉でもあるので理解が難しい
本書は入門書として、「かいつまんでいうとこんなこと言ってますよ」と解説する
自分も読んでいて、つまづきポイントが少ない本だった
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ほぼ同じ事を指す言葉だが、ポストモダンはネガティブなイメージで使われる
ポストモダン = 「近代の後」だが、近代の進歩主義・科学主義の理想が崩れた後の世界を指すことが多い
>大まかに言って、近代は、民主化が進み、機械化が進み、古い習慣が捨てられてより自由に生きられるようになり、「人間は進歩していくんだ」と皆が信じている時代です。皆が同じように未来を向いている。
> その後、世界経済が、つまり資本主義が発展していくなかで、価値観が多様化し、共通の理想が失われたのではないか、というのがポストモダンの段階です。このことを、「大きな物語」が失われた、と表現します
パターンに着目して抽象化した思想
>しかし、それに対して、パターンの変化や、パターンから外れるもの、逸脱を問題にし、ダイナミックに変化していく世界を論じようとしたのがポスト構造主義だと言えるでしょう。比べると、構造主義はもっとスタティック、静的で、世界をパターンの反復として割り切れると思っていたところがあった。
構造主義はスタティックで、ポスト構造主義は曖昧なダイナミック
人は、物事を良い・悪いの
二項対立で考える傾向がある
二項対立のどちらかがプラスなのかは、絶対的には決定できない。コンテキストに依存する。
無用の用では、役に立たないと周りから評価されていたものこそ、長く生き延びて、役に立つ
デリダの世界観は、同一性は絶対ではなく、「仮固定的」な状態とその脱構築を繰り返していくイメージ
差異に注目する
パロールとエクリチュール p38 - 39
話し言葉
本質的なこと
近いもの
書かれたもの
非本質的なこと
遠いもの
>書かれたものは解釈がさまざまに可能で、別の文脈のなかに持っていけば価値が変わってしまう。エクリチュールは、ひとつの同じ場所に留まっておらず、いろんなところに流れ出して、解釈というか誤解を生み出していくのです。
脱構築の倫理 p49
>大きく言って、二項対立でマイナスだとされる側は、「他者」の側です。脱構築の発想は、余計な他者を排除して、自分が揺さぶられずに安定していたいという思いに介入するのです。
> デリダの脱構築は、外部の力に身を開こう、「自分は変わらないんだ。このままなんだ」という鎧を破って他者のいる世界の方に身を開こう、ということを言っているのです。
安定しきらないためにはそういうことが必要だろうという思想
自然の力も読めない
いつだって人類は想定外の災害にあう
横につながっていく多方向的な関係性のこと。
植物学で「根茎」のことで、横にどんどん広がっていく植物をイメージする
「世界は差異でできている」がドゥルーズの世界観
同一性よりも差異の方が先
諸行無常な世界では、同一性はゆらぎのある仮固定の状態
プロセスはつねに途中 p66-68
>ドゥルーズによれば、あらゆる事物は、異なる状態に「なる」途中である。
> すべては途中だし、本当の始まりや終わりはないのだと考えることができます。
> すべては生成変化の途中であると考えたとき、すべてを「ついで」でこなしていくというライフハックになる。すべての仕事をついでにやるーーこれがドゥルーズ的仕事術ですね。
重い腰を上げて「始めるぞ!」だと、なかなか始められない
なんとなく思いついたことを適当に書き流しているうちにプロセスが動いていく
ここは共感できる箇所
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だから、よく批判対象となる
要はバランスという言葉は好きである。
「すぎない」ようには、バランスを取る必要がある
XXしすぎているのを引っ込めさせる
「どこがバランス値なのか分からないんだから意味のない言葉だ!」と批判されていることがあるが、過度の行為を引き戻す言葉だから意味がある
p75
>見捨てられ、不幸な目に遭っている人たちが多いという社会批判的な認識から、より関わりが必要だということが言われるのは、その通りだと思います。だけれど、関わりばかりを言い過ぎると、それによって監視や支配に転化してしまうという危険性があって、それに対するバランスとして、関わりすぎないということを言う必要もある、というのが僕がドゥルーズから引き出している重要なテーマなのです。
> ただ、この「関わりすぎない」というのを「関わらなくてよい」ととってしまうと、社会が冷淡なものになってしまう。それは僕が言いたいことではありません。むしろ、より温かい社会を目指すからこそ、「すぎない」ことが必要とされるのだ、というのが僕が言いたいことなのです。
管理社会批判 p78 - 80
>ドゥルーズによれば、コミュニケーションは金銭に毒され、腐りきっている。そしてむしろ必要なのは「非=コミュニケーションの空洞」や「断続器」だと言うのです。
>この箇所はまさに今日の事態を予言していると思います。まさしくツイッターの話じゃないですか!
まさしくそうだ。悔しいけど自分も毒されている
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>つまり、人々は道徳感情によってひじょうに強く刺激されるので、そこを刺激すればメディアは簡単に商売ができる。まさにコミュニケーションは金銭に毒されきっているわけです。
> そこで必要なのは、そのような一見したところの正しさで人々を釣るようなビジネスに巻き込まれず、理性的に社会の問題に向き合うことだと思います。そのためにドゥルーズはむしろ非ーコミュニケーションが必要だと言ったわけです。
非コミュニケーションとは?
孤独に創作活動に励むこと?
フーコーは権力の脱構築を展開した
p85
>支配を受けている我々は、実はただ受け身なのではなく、むしろ「支配されることを積極的に望んでしまう」ような構造があるということを明らかにするのです。
マジョリティが支配される世の中を知らず知らずのうちに「良いものだ」と認識している
マイノリティを発達障害や同性愛者といったアイデンティティを押しつけ、治療を促そうとする
この、良い・悪いの二項対立の空気を脱構築していくのが現代思想
だから管理社会が批判対象となる
誰に見られているか分からないから、自己規律を整えるようになった
ニーチェ
マルクス
資本と労働の二項対立を主張
「労働力」とそこからの「搾取」というメカニズムを発見
p138
>よりキャリアアップするために自己啓発本を読んでやる気を出すとか、職場の環境をよくするためにLGBTQへの差別をなくす運動に取り組むとか、そういう活動は「意識が高い」とされるものでしょう。しかし、仕事の効率を上げ、職場をよりよくするという善意は、剰余価値をピンハネされ続けるという下部構造の問題から目を背けることではないでしょうか。意地悪に言えば、搾取されていても快適であるために、みずから進んで工夫をしているのではないか、ということです。
> このとき、本当に意識を高く持つというのは、搾取されている自分自身の力をより自律的に用いることができないかを考える、ということになります。
> 第五章 精神分析と現代思想ーーラカン、ルジャンドル
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一度読んで理解なんてできない
「欠け」がある再読を何度も繰り返して理解を厚くしていく
概念の二項対立に意識して読んでみる
大抵の主張は、二項対立になっている
従来のAに対して、Bが良い的な
カッコつけてるレトリックはスルー
固有名詞や豆知識もスルーしていい