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「要はバランス」はメタ視点に立つことで一方に与しないこと


>@masayachiba: 分析的なメタ視点に立つことで一方に与しないことと、いわゆる「どっちもどっち」論が一緒くたにされて冷笑的と言われるのは本当に問題で、前者はメタだが、どっちもどっちというのは一見メタに見えても、価値判断しないという価値判断なので、実はベタである。
「要はバランス」という言葉の理解の解像度を上げるTweet
「要はバランス」おじさんと揶揄するケースは、後者の冷笑的な使われ方に対して揶揄していると思われる
『「要はバランス」って当たり前なんだから結局何も言ってないことと同じじゃない?』といった具合に。

>@masayachiba: メタ視点からの分析は、行動しないことではない。分析は言葉でなされる。分析は言葉の展開であり、それは、対立するAとBの一方に肩入れせず、両者に共通する基盤に働きかけて変えようとすることで、確かに具体的なアクションなのだ。どっちもどっち論とはまったく違う。

>「要はバランス」という考え方は、選択肢が2つだけだと思い込んでる状態からは一歩前進しているが、それがゴールではない。
>  バランスを取ることが可能か?
>  適切なバランスはどうすればわかるのか?
>
>解像度の段階では、二者択一から第三の選択肢に変わるところを最初の一歩にしている。
二者択一と二項対立から抜け出すためのスタート
メタ視点に立つことで、選択肢が2つだけだと思いこんでる状態に気づき、一方に与しない第三の選択肢を探索するきっかけになる
「要はバランス」おじさんと揶揄されてしまう現場ではこの発言が暗黙的に禁止されてしまい、メタ視点に立つきっかけが減ってしまう
別の言葉や習慣でメタ視点に立てていればいいと思うが、「要はバランス」を封じられて萎縮してしまう人がいるとマイナス