2020年を探さないで
2020/12/1
ちょっとずつ書く
これまでのところ、奇数年は陽、偶数年は陰、という順番なので今年は陰
とっちらかる年があってこそのまとまる年、みたいな
ということで「とっちらかる年」でした
リリースする前に、いろんな媒体(紙、PC、スマートフォン)で、何回も何回も、繰り返し読んでは直しては読んでは直してはするので、もう吐き気がするくらいでしばらく自分の文章は読みたくなかったりする
今くらいに、昨年のヤツとか読むと、ちょっとイイなとか思ったりするけど二度と同じヤツが書けるとは思えない。無理
過去の自分はもう別人だな
だから書き残しておく必要があるのだ
2019年を探さないで は存在しないんだけど、なぜかというと、このときはとにかく緻密にびっしりと行間を詰めて書きたいと思っていて、そういうびっしりと中身が詰まった(内容が有意義とかそういう意味ではない。あくまでも情報の密度というかそういう感じ)個々の話が折り重なるように並んでいるっていうイメージを持っていた
ただこういう文章を書いてしまうと、実際には面白おかしく、それぞれ本当は関係ない「ある事柄」と「ある事柄」を密結合させているんだけど、自分の頭の中もそのように書き換えられちゃう
書いたものに囚われちゃう
実際、囚われている
なので、今回はもっと疎結合にふわふわとしたものが書きたかったのだ
あとから如何様にでも並べ替えられるようなものを、
などと、書き終わってからなにか理由付けしたりしている
形の話
中身より形に興味があったのかな
昨年はアリア、アリア・ダ・カーポという形式
32小節から成るアリアを最初と最後に配置し、その間にアリアの32音の低音主題に基づく30の変奏が展開され、全部で32曲となる
折返し、元の場所に戻る
Sonatas and Interludes
16曲の「ソナタ」と4曲の「インターリュード」の全20曲から成っており、全体はシンメトリカルに構成されている
Sonatas I–IV Interlude 1 Sonatas V–VIII
Interludes 2–3
Sonatas IX–XII Interlude 4 Sonatas XIII–XVI
つまり
4-1-4
-1-1-
4-1-4
sonota and internet
tumblelog
地の文より引用の文字の方が大きいというのは初期 tumblr のデザインです
「トラのバターで焼いたホットケーキについて」
retlet
ある意味では、これの2020年バージョンとも言える、かも
quotes and Interludes
quote 1~4 は2019/12月から2020/2月までの出来事に関する引用です
1
2
3
4
Interlude 1
みなさんを呪いに掛けるための呪文を書きました
開会宣言、祝祭の話、時間旅行の話、呪いの話
呪いの話
quote 5~7 は2020/3月から5月までの出来事に関する引用です
5
6
7
8
Interlude 2
セロ弾きのゴーシュ
セロ弾きのゴーシュって読んだことありますか? 私はありませんでした
cello
今回はこういう章立てでいくって形が先に決まってましたのでインタールードに仮の文章を流し込みたかったわけです
そしたら、たまたま貼り付けたこのセロ弾きのゴーシュが良すぎたのでそのまま残したというわけです
ということで、偶然です
印度の虎狩は聴いたことありませんが、そんなような曲を毎日聴いています
Interlude 3
いまわれわれがまさに取り憑かれている COVID-19 について書きました
半径3mの話、危機の話、銀の弾丸の話、世界を先に進める話
危機の話
世界を先に進める話
quote 9~12 は2020/6月から8月までの出来事に関する引用です
9
10
11
12
たまたま偶然なんだけど「さよなら私のクラマー」最終話で、深津監督(クマ)が能見に言った最後のセリフが「オレは単なる傍観者だよ」と
このあとの能見の言葉は「そばで観ていてくれるのなら」
クマの言っている傍観者はただ見ているだけの人ではない。ここにヒントがあったりなかったり
主体、客体
主観、客観
Interlude 4
セロ弾きのゴーシュ、印度の虎刈り、ステージのアンコールでの
quote 13~15 は2020/9月から11月までの出来事に関する引用です
13
14
15
quote 16 は蛇足です
16
とにかく最後に「続きはまた今度」と書きたかっただけ、みたいな
「続きはまた今度」