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五感のすべてを否定しているのが時間なんだよ
五感のすべてを否定しているのが時間なんだよ
> 眼に見えず、触れられず、匂いもせず、音もせず、味わえない。五感のすべてを否定しているのが時間なんだよ。
五感によって直接感知出来ないもの。それが時間である
時間をセンシングできる感覚器官はない
感知できる時間は脳が作り出している
主観的時間
右耳、左耳の聴覚の時間差から経過する時間を感知している
ドップラー効果から近づきつつある(遠ざかりつつある)時間を感知している
右目、左目の視覚の時間差から経過する時間を感知している

> 撮影は瞬間で、暗室作業は長い時間をかける対話
> ここに空間時間が出てる
> 粒子時間なの。だからフィルムには粒として時間が写ってるんですよ。粒子は丸で、空間があるでしょう。空気が入ってる。デジタルは四角い画素がベタッとくっついているだけだから、空気もへったくれもない。でも粒子って丸で抜けると空間があるから、大きくすればするほど立体的になる。と、勝手に思っているんだけどさ(笑)。でも実際そうなんだよ。そっちのほうが立体的になるし、カッコイイ。
> デジタルはゼロイチの信号で、いくら拡大しても空間にはならない
> デジタル情報なんですよ
> ただ私は、情報をつけたくない。空間として写真を考えたい

> これは全く納得いかない。目に見えて夕暮れ。触れた空気。秋の匂い。擦れるレコード。冷めるコーヒー。これで時間を感じれないなら生きてない
たぶん、この人は全然理解出来ていない
この人が感じている「時間」は全て、五感によって「間接的」に感じている「時間」にすぎない。つまり偽物。フィクション
何回でもいうが、時間は五感によって直接測る(計る)ことが出来ない
時計でさえも五感によって認識できる形に置き換えているものに過ぎない。つまり偽物。フィクション。良く出来たまがいもの

> 光、音、肌触りによってもたらされる情報は、受容する感覚器(眼・耳・触覚受容器)と情報を処理する固有の脳領域が存在しますが、時間を受容する特定の感覚器官は存在せず、それを処理する固有の脳領域もありません。ヒトが感じる時間とは、脳が外界からの入力を手がかりに、複数の領域のグローバルネットワークとして機能する結果生み出される「認知の産物」と考えています


時間のもつ二重性
絶対的な基準としての時間
その絶対性は相対性理論によって揺らいだわけだが
個人的な認知としての時間

時間の話