知識から文脈を削ぎ落とすこと
このページは?:Scrapboxと論文という異なるタイプの文書を比較し、Scrpboxに取り入れると良さそうなアイデアを提案します
たとえば「
論文」というものは、それ単体で完結する独立した知識であり、なおかつ引用のネットワークのなかに位置付けられることによって集合的に効果を発揮するタイプの文書である。論文の生成にあたっては「知識から(なるべく)文脈を削ぎ落とすこと」が行われる。
論文ってけっこう背景とかストーリーとか大事にされる印象
これにより、逆説的にそれらをコンポーネント的に組み合わせることが可能になり、結果として高い拡張性(=インターネット的なもの)が実現する。(と
は考えている)
これの提唱者は、アトミックノートを日頃から作ってためておくことで「組み合わせるだけで本が書ける!」と謳う
組み合わせコストを軽視しているから?
ここまではページの
粒度の議論をしているといっていいかな
しかしながら、Scrapboxにおける箇条書きへの多重書き込みによる知識生成は、たしかにライブ感による盛り上がりと概念生成のダイナミズムを感じられるものの、(同期的な時間を含んだ)
文脈をその場で共有した者以外にとっては非常に読み解きづらい文書になってしまうことがままあると考えられる。いわばそれらは
村(共同体)の知恵のようになっていて、後から部外者が入り込むのは容易ではない(ケースが多いように思われる。)
いかがでしょう...
というかようするにこれはWikipediaのことを言っているな?
「小さなインターネットのよう」にしなくても、すでに大きなインターネットの一部なので、何が目的でそうしたいと思っているのか分かりません
このページでようやく「箇条書きじゃないと読めん」を理解した
コピペして箇条書き風に翻訳してみた
論文の生成にあたっては「知識から(なるべく)文脈を削ぎ落とすこと」が行われる
1. それ単体で完結する独立した知識
2. 集合的に効果を発揮するタイプの文書
ただし2.は「引用のネットワークのなかに位置付けられる」必要がある
論文同士をコンポーネント的に組み合わせるため、文脈を削ぎ落とす
結果として高い拡張性(=インターネット的なもの)が実現する
Scrapboxにおける箇条書きへの多重書き込みによる知識生成
メリットとして感じたこと
ライブ感による盛り上がり
概念生成のダイナミズム
非同期箇条書きへの多重書き込みは対象外?
さんが参加された日からの経過時間から判断して、対象外だと思われる
一方デメリット
後から部外者が入り込むのは容易ではない
多重書き込みから保護しておく (アーカイブ化)
(これはいわば論文的アプローチ
)
デジタルツールのなかった時代に
二クラス・ルーマンが編み出した、アナログでカードを作り、番号をふってリンク構造を作っていく知識管理・研究システム
ここでは
1カード1アイデアの原則
単にカードが小さいし
カードを机に並べて見比べたり繋げたりできる
「永久保存版の清書メモ」という概念が存在する
おそらくこいつへの書き足しはほぼ不可能
カードちっちゃいし
誤りが見つかっても修正してはいけない
他の訂正カードをリンクさせて、それで修正とする
等のルールがあった
ルーマンはZettelkastenカードをもとに大量の本を書き、社会学の権威ともなった
まあまあ近いのでは