generated at
循環定義
>例えば、"カシ"の定義文として、「どんぐりをつける木」としたとき、どんぐり定義文を「カシの作る種実類」とする。定義文を相互に代入するとカシ定義文が「カシの作る種実類をつける木」、どんぐりの定義文が「どんぐりをつける木の作る種実類」となり循環定義となる。このように、定義が循環すると定義文のみの知識では概念の相対的な位置付けは理解できるが、定義する概念自体の絶対的な理解が出来ないため、定義は成立しない。
ほーimo
>循環の輪が大きい場合には、循環定義を発見することが難しくなるが、循環に関係する概念の数が多くなるため実際の理解においては既知の概念を経由する可能性が大きくなり問題とならない場合も多い。そもそも、語彙が有限であり、全ての語彙を定義するためには既に定義されている語彙を用いるか、一切定義されていない語彙を用いる必要が有るため、循環定義を完全に無くすことは不可能であるミュンヒハウゼンのトリレンマ)。
「概念の定義=絶対的な位置付け」みたいな感じなのかはるひ
絶対の座標というのは存在するのかなあ
多分しないのでミュンヒハウゼンのトリレンマが起こっているのかなあ
二等辺三角形の定義"二辺が等しい三角形"はまあ「定義されている」と感じる
数学世界の中心には、隠された、数学座標の原点が存在するのかなあ
その数学の原点を説明するにも相対的な位置づけでもって理解するしかないのかもしれない
とすると、「循環定義を完全になくすことは不可能」どころか、「全ての定義は循環定義」になるよなあ
概念とは?
うーん…>概念自体の絶対的な理解が出来ないため、定義は成立しない
まあ、下のほうにプラグマティックな話も載ってるので、実際に問題にすべきなのはそちらか
法律、コンピュータなど
定義は全て相対的位置づけで、五感から受け取る感覚と接続されることで、意味を持つんじゃない?Summer498

関連項目