タニシが井戸を良い状態に保ってるのでは
井戸端のメタファーを発展させてみた
一人で考えたい文章は個人のプロジェクトに書くので、井戸端に書きにくるのは「見てほしい」「つっこみ入れてほしい」「反応が欲しい」が暗黙にあるのだと思う
イドバタニシの存在によってその欲求が速やかに充足される
書いたことに反応があるとは限らないが
更新頻度が高いので「書いたことに反応がない」もまた「あー、こういうのは興味ないのかー」という学びになる
ドミニオンの話は響かないようだ、とかw
補足すると、「現時点では書いたことに反応がない」
時間を超越できるので、数年後にドミニオンをやっているユーザーが参加して盛り上がる可能性が常に開かれている
既存の参加者が数年後にドミニオンにはまる場合もある
1年以上前に
/hubに書いた疑問に
さんがコメント書いたこともあったな
Slackとかだと流れて終わりだから、これは大きな違い
これは重要な切り口
反応がなくても「この文章に価値がない」ではなく「今は反応する人がいないようだ」になる
自分がその文章に価値を感じるなら「今はまだ反応する人がいないかー、将来その人が来た時のために書き溜めておこう」となる
人間にはただ書きたい、書いた時点で満足、見たければ見てもいい、という状態と、書いただけでは何か足りなくて人の目に触れさせてフィードバックが欲しいという気持ちの状態とがあるようだ
音声での雑談を求める人の気持ちも後者に近いのかも。テキストで書くのよりフィードバックが来るのが早い。
ペアプログラミングの話題で、エンジニアがペアプロしてるのをみた違う業種の人たちも書類や講演資料をペア作業したりするようになってて興味深い
これも講演スライドを完成させてから見てもらうのより、作りつつあるところを見てもらった方がフィードバックが早い
メタファーをひきずると、この「見てもらいたい気持ち」が「藻」ということになるのか?
タニシが食べられない量の藻が湧くと水が汚くなるが、適度な量ならむしろタニシにとってのエサになって有益
藻がまったくないと逆にタニシが死ぬ
承認欲求が動機かどうかはともかく、更新がないとイドバタニシは死ぬ
藻=未読の更新?
書き込みメインのイドバタニシはそうでもないか