インポスターシンドローム
仮説
過去に「能力が大したことがないのに評価される人」に対して否定的な気持ちを持ったことがあり、自分が同じ立場になったときに「その立場の自分」と「その立場の人を否定する過去の自分」とがぶつかってしまう現象
自分はちょっと違う解釈
+1
なるほど、自己評価をしてないのか?
いや、自己評価はカンストしてる気がした
自分と他人はまったく別物だから
あと「他人からの評価」を一塊の概念として捉えてないかも
他人それぞれで異なってるもの
「Aさんによる評価」「Bさんによる評価」
二人は別物だから食い違っていても何もおかしくない
下に書いてあったこれだな
>「この方は自分のことをそのように評価してるのだなあ」とそのまま受け取る
「自分ができること」を「世間が評価してくれるもの」の最底辺に配置してしまう
新しくできることが増えても最底辺が上がってくるだけなので自己評価が変わらない
> その評価はあくまでその人の評価に過ぎなくて、そこにもしもあなたが至っていないとしても、あなたの責任ではありませんし、あなたがそこに至らねばならない理屈はどこにもありません。
> 自分からの声を少し弱めるというのもわかりにくい言い方でしたが、いままでと違う方向に(試しに)行ってみるということです。あなたの内なる声がたとえば「こんな分不相応な評価を受けてしまった!このまま進んだら自分は嘘つきになってしまう!必死にギャップを埋めねば!」といったとしても、
> 「いやいや、そうそう焦りなさんな。潰れてしまっては評価の何もあったもんじゃない。マイペースで着実に行こう」と自分の「声」を押し返してみるのです。
抑うつ者は自己や社会を正確に認知してしまう
健康な人は世界を歪めて認知できる
自己欺瞞
このイリュージョンが解けてしまうと再びかけるのがめちゃくちゃ難しい
社会の視点で自分を見たとき、大部分のケースで「今すぐ殺しても社会の大勢に影響しない」だと考えるのがリアリズム的なのだろう
インポスターシンドロームに陥りがちなくらいの人のほうがいい仕事ができるという説?
タイトルだけ見ると「いやインポスター症候群が悪であるって主張に対する反論っぽいとかいうけど、誰がそんな主張してるの?」みたいな気持ちになる
>そう考えるとインポスター症候群も絶対的な悪(気に病まないといけないこと)ではないのでは。
「そういう評価が原因で気に病むこと」がインポスター症候群、という認識でいたので、このNoteの内容には同意しなかった
あ〜、でも少なくともWikipediaの定義は「過小評価すること」であって、「気に病むこと」ではないのか
この人の解釈として「絶対的な悪」が存在していて「その場合は、気に病まなければならない」を前提にした上で「インポスター症候群」は「気に病まないといけないこと」ではないから「絶対的な悪」ではない、となってるんだけどこの解釈には全然同意できない
低く見られたほうが傷つくリスクを避けられる
自分の能力を評価してくる人は何か裏があるのではないかと考えてしまう
この傾向は丁寧に作り上げられる
親が大きいように思う
親が子どもを褒めない
親が子どもの成果を否定する
例
がテストの中学校のテストで概ね90点以上をとって社会では学年1位をとった。1位を取ったのが嬉しくて親に報告したら「成績をすべて見せろ」と言われて唯一90点を割ってしまった数学を指摘され「90点を割った科目があるのに、自分のいい面だけを見せようとする、卑怯な人間」という評価をいただいた
自分が完全無欠でないと承認されないという
呪いを頂いた
家以外の評価と家の評価が食い違う
そのうち日本社会に
本音と建前という文化があることを理解する
こうなるともはや何が本当なのかわからなくなる
なるほど
自分が褒められる→裏で何を言われているかわからない
最初から自分が低い存在であれば負荷を受けない
自己肯定感が低いと他人に攻撃的になる
>「能力が大したことがないのに評価される人」に対して否定的な気持ちを持ったことがあり
これは結果こうなってしまうという話と思っている
なるほど
自分を低くする戦略で生きていると、この場面に遭遇すると凄まじい葛藤が生じる
「自分が最底辺の人間であるべき」という信念があると、自分より何か劣った点があることに対して否定的になる
認知が歪んでいる
上にあるように「他者の評価を受け止める」というスキルを獲得したほうがよいと思う
「すごいですね」的なことを言われたときに反射的に「いやいや、そんなことないですよ」と言ってしまうことがある
これを「謙遜」と呼んでポジティブに捉える文化がある
一方で、これは相手の「すごいと思った」感情をバッサリ切り捨てちゃう行為でもある
的な話を人生のどこかのタイミングで見かけて「確かにそうだなー」と思ったので「いやいや、そんなことないです」と言いたくなった時に「ありがとうございます」と返すようにしている
+1
娘を誉められた時も同じ
返すようにはしてるけど納得はできてない
別に納得はしなくてもいいんだろうなあ
そう言われたという事実をそのまま受け取る
「納得」はしてないし、する必要もないと思う
「へー、あなたはそう思うんですね」みたいな感じ
ポジティブな評価でもネガティブな評価でも「あなたはそう思うのですね」にすぎない
「受け止める」と「納得する」は別物
ここで書いたな
人の主張Aを受け止めることと、その主張の内容が真であると信じることは別物
「この人はAと言った」は観測事実
Aは解釈
事実と解釈は別
「他者の評価を受け止める」の具体例
周囲から高く評価されてもってところの解像度を上げたい
自分の場合、人に評価されても、それが自分の価値観とかに合わなければあんまり自信に繋がらない
自己評価と他人からの評価の乖離でよくこうなる
自分の悪いところは自分が一番よく見ているから、
自己評価は下がりがち
インポスターと見せかけたクルーメイトかもしれない
てるてるじゃん