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自分からの声を少し弱めて、他者の声を素直に受け止めてみる
これができるようになるには
ロゴスの問題ではない
考え方が変わるようなきっかけが必要
自分は、↓の文章が結構心に響いた
その結果、それなりにこういう考え方ができるようになった
どんなきっかけで考え方が変わるかは個人差があるので、↓の文章が全員に効くかはわからない
再現性がなさそう
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hyukiさんに投げた質問

答えが帰ってきた、ありがたい
以下引用
>あなたがどうせよとは言えないのですが、ふわっとした意見を言わせていただくと「自分からの声を少し弱めて、他者の声を素直に受け止めてみる」練習はお勧めできます。(続く)
> あなたは十分に自分の状況をとらえていらっしゃるようです。ヤバそうなことが起きるかもと察知しているのでしょう。
> 他者からの評価を素直に受け止めてみるというのは、そこに合わせて努力するという意味ではなく「この方は自分のことをそのように評価してるのだなあ」とそのまま受け取るという意味です。
> その評価はあくまでその人の評価に過ぎなくて、そこにもしもあなたが至っていないとしても、あなたの責任ではありませんし、あなたがそこに至らねばならない理屈はどこにもありません。
> 自分からの声を少し弱めるというのもわかりにくい言い方でしたが、いままでと違う方向に(試しに)行ってみるということです。あなたの内なる声がたとえば「こんな分不相応な評価を受けてしまった!このまま進んだら自分は嘘つきになってしまう!必死にギャップを埋めねば!」といったとしても、
> 「いやいや、そうそう焦りなさんな。潰れてしまっては評価の何もあったもんじゃない。マイペースで着実に行こう」と自分の「声」を押し返してみるのです。
> そのようなときに大事になるのは、いろいろ話せる別の人の存在です。あなたが私に書いたような話を雑談まじりに聞いてくれるような人。あれこれ言わずに、あなたの話を聞いてくれる人。そんな大人な人がそばに存在するとなかなかいいのですけれど。
> 十代後半の学生さんで、周りから評価を受けるということは、普通に考えると、あなたはそれなりに優秀なのだと思いますよ。ですから、あなたの持ち味を、不必要な頑張りや闇雲な努力ですり減らさないようにしてほしいです。丁寧に自分を遇し、優しく大きく自分を育てるのです。
> 過分な評価を受けたからそれに応えようとすることは、うまく制御できていれば結構なことです。問題はそこに悲壮感が混じったり、より広い視点に欠けたりすることです。
> あなたに与えられる評価は、いまのところはあなたのすぐ近くから来るものでしょう。世界はもっと広いし、想像を絶する多様さに満ちています。あなたはそのような世界に出ていくのですから、丁寧に自分を遇し、じっくり自分を育てましょう。
> そんなふうに思いました。ご質問ありがとうございました

いただいた回答について思った事
今まで批判的意見に対してはこういう考え方(多分)できてたけど、逆に肯定的意見にたいしてはこう考えられてなかった