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KJ法勉強会@ロフトワーク_講義資料v1
頭に浮かんだものはすぐ書き留めよう
知的生産の一番大事なコツなので最初に書きました!
理由
書き留めなかったものは消えてしまう
消えないように覚えておこうとすると脳が「覚えておくため」に使われてしまう
その分「考えるため」に使える力が減る
難しいことを考えるとき、頭を「考えること」以外に使わないで良いようにすることが大事
書き留めるコストを最小限にしよう
目の前にキーボードがあると「キーボード使わないといけない」と勘違いする人がいる
どの手段がコストが低いかは人によって異なる
もしあなたがスマートフォンでフリック入力する方がキーボードで入力するより得意なら、フリック入力で書き留めてもよい
もしあなたが手書きメモの方が得意なら、手書きで書き留めてもよい
あなたが何が得意かはあなたしか知らない
だから最適な手段を選ぶのはあなたの責任

自己紹介: 西尾泰和
修士(工学)、博士(理学)、技術経営修士
サイボウズの研究部門子会社サイボウズ・ラボで知的生産を支援するソフトウェアの研究開発をしている
「KJ法的な手法はとても有益だけど紙でやるのには色々不便がある!よいデジタル文房具が欲しい!」というモチベーション
オープンソースで開発、無償提供している
自分が考えをまとめるために使い、自分が必要だと思った機能を優先して実装
グループを畳む
重要なものを大きくする
ものの間に関係の線を引く
クリーンランゲージやシンボリックモデリングなどのコーチング手法がベース
知的生産のもう一つの大事なコツ
KJ法との関係について少し昔を振り返る
10以上のプログラミング言語を比較して「何が陳腐化しにくく長期的な価値のある知識なのか」を解説した書籍
この書籍をまとめるのにKJ法を使った
寿命の短いものが多い技術書ジャンルで発売から7年経っても増刷されてるは「長期的な価値」が実現できている証拠
2泊3日、12時間のワークショップでKJ法を教えた
この講義資料をまとめるのにもKJ法を使った
この講義資料を基さんが見つけたことが今回の勉強会のきっかけになった
「コーディングを支える技術」がどうやって作られたのかを解説する本
とはいえ「KJ法で執筆する」だけでは一冊の本にするにはテーマが狭すぎるという編集判断で広く知的生産全体のプロセスの話にした
ジュンク堂池袋本店の全体ランキングで10位になった
書店員さんの「自分はエンジニアではないがこの本は良かった」という感想が嬉しかった
第5章「考えをまとめるには」がKJ法の話メイン
全体の分量との兼ね合いでもっと書きたかったけど書けていない
事前に読んだ御社の新人さんから「対立から考える」「プレゼンのスライドに似てる」というアドバイスが有益だったというフィードバックあり
多分みなさんが普段やっている仕事とわりと違う
特にクライアントの複数人がKJ法的なことをするワークショップのファシリテーターをしている人
「よいファシリテーションの方法を知りたい」的な事前質問があった
が、それに関してはあなたの方が経験豊富ですよ!
今回のnishioの役割: 違う視点を提供することで多面的理解を促す

違う視点を提供することで多面的理解を促す
ある人が「円だ」と言う、別の人が「四角だ」という
一見矛盾する意見だ、どっちが正しいのだろう?
どちらも正しくない!
KJ法には「データをして語らしめる」というキャッチフレーズがあるが、大前提は…
> すべてのデータはうそである。うそと承知でデータを使う。 しかもそこから、より正しい真実を割りだす。それが判断への道なのである。しかし、うそからどうしてまことが割りだせるのだろう。それは、見方を変えると、どのデータにもまた、多少ともに真実の面影が宿っているからなのである。(KJ法 渾沌をして語らしめるp.71)
ある人の言葉は、その人の視点から見た景色の描写
その描写の過程でどうしても誤りが入る
一見矛盾に見えるものは、実は同じものを違う角度から描写したものかもしれない
だから川喜田二郎360度の視角から」データを集めることが大事

データをして語らしめる
川喜田二郎「データをして語らしめる」
human「言葉難しい…」
nishio現代語訳「データにしゃべらせる」
human「データはしゃべらないじゃん?」
比喩的表現です
「友人Aさんにしゃべらせる」を考えてみよう
Aさん「ちょっと聞いてよー、夫がさー」
悪い例(Bさん)
話を少し聞いて
Bさん「はいはい、要するに『配偶者の家事に対する参加態度が問題だ』と言いたいわけですね」
こんなことを言われたらAさんは続きをしゃべれないよね
Bさんは「話を聞かない人」
良い例(Cさん)
Aさん「夫は私を馬鹿にしてる!」
Cさん「そうね、馬鹿にしてるね」
内心「Aさんは『夫が自分を馬鹿にしてる』と感じているのだなー」
事実として「夫はAさんを馬鹿にしている」と思ってるわけではない
CさんはAさんの言ったことをちゃんと受け止めている
Cさんは「話が聞ける人」
人に対する良い態度:
「『こう言いたいに違いない』と決めつけないで、ちゃんと相手の話を聞く」
これに相当する態度をデータに対してとると:
「『こうなってるに違いない』と決めつけないで、ちゃんとデータを見る」
これが「データにしゃべらせる」
ちなみに「360度の視角から」を夫婦喧嘩の愚痴の文脈で言うと:
「夫婦喧嘩の片側の話だけ聞いても正しい理解にはならない、両方の話を聞かなきゃ」になる

今回の勉強会企画段階での「データにしゃべらせる」
基さんからの最初の相談メール
「ベテランメンバーの属人的スキルとなっている」
「若手メンバーに伝えることが難しい」
西尾が最初に思ったこと
暗黙知の伝達をどうするかという話なら
「コストを掛けて言語化する」か
「同じ場でやることで非言語的に伝達する」(SECIモデル共同化)
の二択では?
「コストを掛けて言語化する」に関して:
ベテランはKJ法を実際に使って価値を感じてるわけなのだから「なぜ私はKJ法を使うのか」を泥臭い自分の経験談を交えて語ってもらえばいいんじゃない?
ベテランに資料作成の時間コストを出す余裕がないなら、若手メンバーがベテランにインタビューしたら?
と「コストを掛けて言語化する方法」を掘り下げようとしていた
その後、詳しいデータを見た
基さんに質問したり事前アンケート結果を見たり〜
特に若手メンバーはチームでKJ法をやっているケースが多い
つまり「同じ場でやることで非言語的に伝達する」を既に試みていて、その上で現状の問題が発生している
アンケートに「意味わからない」「怖い」「正解がわからない」「今更感があって聞けない」がある
仮説
humanKJ法は必須スキル、課題図書「発想法」を読め、と言われて読んだけど意味がわからない…
human先輩と一緒にKJ法をやる。見よう見まねでそれっぽくやってみてるけどこれでいいのかな…正解がわからない…先輩がこれでいいって言うから正解なのかな…
human「よくわからない」って言うと「えっ?今更?」とか言われるかも?質問するのが怖い…
human正解がわからないから一人ではできない…
この問題を解決することが重要そう

みなさんほとんどの人が自転車に乗れますよね?
今ここに「自転車の乗り方がわからない人」がいるとしましょう
human「自転車の正しい乗り方がわからなくて乗れないんです、教えてください!」
さあどうする?
データに「正解がわからないからできない」的な意見が出てる
暗黙に「できている人は正解を知っている、自分は知らない、教えてもらわなきゃできない」と思い込んでる
でもあなたが自転車の乗り方を習得したプロセスって、教科書を読んだり座学で講義を聞いたんじゃないよね?
安全な公園とかで、実際に自転車にまたがって、何度も挑戦して、時々こけたりして、その繰り返しから安定して前に進むコツを身につけたはず
別の視点: 100回以上KJ法をやってるベテランのセリフ
human「勝手に我流にしてしまった部分があるかもしれない」
「自分は正解のやり方をやっている」と思ってない
「自分は正解は知っているけど、少し変えて我流にしている」とも思ってない
「正解を知らないので、自分がやっている方法が正解か我流かわからない」と思っている
nishio正解など存在しない、使いこなしている人はみんな我流
みなさんの自転車の乗り方が我流なのと同じ
自転車に乗れば歩くより速く移動できることを知っている
必要なときに乗ることができる
これで実用上は十分
「正しいやり方」を質問しても教えてもらえないのは、みんな「我流のやり方」をやっているから
「我流」は悪くない、むしろ良い
我流=自分の個性に合わせてカスタマイズした方法
人それぞれ個性があるのだから、その人に適した手法は人それぞれ異なっているのが当たり前
試行錯誤して自分なりの「我流」を磨いていくのが良い
KJ法の誕生:
川喜田二郎の作った知的生産術に、事後的に「KJ法」と名前がついた
つまりKJ法自体も川喜田二郎の我流の知的生産術

ロフトワーク流を作る必要がある
1967年に文化人類学者が書いた「発想法」
2022年に御社がやってる日々の業務
この二つには大きなギャップがある
目的も違う、使う道具も違う
「発想法」には紙の手帳やラベルの話がいっぱい出てくるがパソコンの話は出てこない、だって1967年の本だもの
日々の業務に応用しようとすると
「発想法」を読んで、
細かい具体的手法を捨象して、
知的生産術としてのエッセンスを抜き出し、
それを現代の道具を使って実現することが必要
新入社員にハードル高すぎない?
新入社員教育を改善したいなら「発想法」の現代・御社の文脈へのアップデートが必要
現代文脈へのアップデートは西尾のやりたいこととも一致しているので協力できる
1967年の「発想法」よりも、その後の20年以上の経験を踏まえて書かれた、1988年の「KJ法 渾沌をして語らしめる」を読むのがいいと思うnishio
御社文脈へのアップデートには御社業務に密結合な知識が必要
だからこれは御社のメンバーがやるべきこと
みなさんそれぞれ目の前の業務のために我流を発展させよう
気軽に質問しあってノウハウを交換して改善していくと良い

スモールスタートの原則
一度に大きな問題を解決できない時、まずは小さく始めると良い
「今更感があって聞けない雰囲気」の解消のために「外部講師が講義資料作成のために求めている」という形でアンケートした
この質問に限られた時間で口頭で答えるのは無理&無駄なので事前事後にテキストで答える
この質問を御社内での議論やノウハウ流通のきっかけにも使うといいんじゃないかな?
今日のワークでは「補助輪付きの自転車で走る練習」をしてもらいます
将来的には公道を補助輪なしの自転車で走ることが目的だとしても、最初からそれにチャレンジはしない
まずは「自転車を漕いで進む経験」をする
それから「自転車を漕げば歩くよりも速く先に進める」と実感する
この実感が「このやり方でよいのだ」という自信につながる
今回のワーク
一人で」「25枚程度」の「自分由来」のラベルを「探検ネット」する
それぞれの要素について説明していきます

一人でやる
KJ法という言葉は曖昧なのて歴史を振り返ってみよう
1: 1967年「発想法」ではじまりのKJ法がリリースされた
この手法は川喜田二郎が知りたいことを知るためにフィールドワークをして、集まった大量の定性的データを「まとめる」ことが目的だった
2: 「発想法」が話題になって川喜田二郎が他の人にKJ法を教えていく過程で「KJ法は色々な目的に応用できるのではないか」となった
そして、川喜田二郎本人や周囲の人により多種多様な目的への応用がされた
目的が違うのだから手法も少しずつ違う
川喜田二郎は元々のKJ法とこれらの多種多様なKJ法的手法とを区別するために、元々のKJ法を指して「狭義のKJ法」という言葉を使っている
だけども、これでは複数の狭義のKJ法がある場合に曖昧なので、このページでは「はじまりのKJ法」と呼ぶことにした
3: 多種多様なKJ法の応用のうちの一つに「KJ法的ワークショップ」がある
大勢の「KJ法を学んだことがない人」を集めて、彼らが考えたことを付箋に書き出し、みんなでグループにまとめながらワイワイと議論をするワークショップのイメージ
「大勢のKJ法を学んだことのない人を対象に行う」という性質から、多くの人にとってこれが「初めて経験するKJ法」になった
その結果「これがKJ法だ」と認識する人がたくさん発生した
しかしこの「KJ法的ワークショップ」は、色々な面で川喜田二郎の「はじまりのKJ法」の考え方とは食い違っている
なのでこの「KJ法的ワークショップ」を「KJ法」だと認識している人は、川喜田二郎の著書を読んだときに混乱してしまう
「KJ法」は解像度の低い言葉なので、言葉の解像度を高めることが必要
参加者アンケートではチームで使うことの方が多い人が過半数だった
どういう目的に使っているか?という質問に対しても「ワークショップ」「ブレスト」的な回答がたくさんあった
グループで行うKJ法が普及したことによって現れた、と川喜田二郎が考えている問題
>初めからグループKJ法ばかりしか経験していない人には、個人作業を行なう基礎的な実力がなかなか培われない...しかも、グループでやった経験だけは何度もあるため、なんとなくKJ法をマスターした気分になっている。力がついてないことに気づいていないのである。(KJ法 渾沌をして語らしめる p.209)
川喜田二郎は「ペアでの作業をするメンバーは、先に個人で経験を積んで、力量が成熟していないと、望ましくない妥協が起きる」と考えた。
>一九六八年頃からは、二人がペアでラベルの組みたて作業を行なう研修が始まっていた。ただしこの作業は、第一ラウンド(問題提起)と第二ラウンド (状況把握)のラベル作業を相次いで同一テーマで、個人単位で行なった体験を持った後、第三ラウンド(本質追求)においてのみ実施したのである。 受講者はこの第三ラウンドに至ったあたりで、初めて存分に融通無碍にペアのチームワークを行なうことに成功できたのであった。それ以前では、ひとりずつの力量が充分に成熟していないと、私には判断されたからである。 作業的にいえば、望ましくない妥協がふたりの間におこると思われたのである。(p.201)
「望ましくない妥協」とは
例えば「KJ法に慣れている先輩」と「KJ法に不慣れな後輩」をペアにしてKJ法をしたとする
先輩が「これは丸だ」と言った時に後輩は「私の視点からは四角に見えますけど?」と言えるだろうか?
(丸なの?私は四角な気がするけど…でも先輩が丸だっていうならそれが正解なのかな…何が正解かわからない…)とくちごもってしまうかも?
これが望ましくない妥協
不安のせいで多面的な意見が出なくなってしまうと「360度の視角から」ができなくなる
「一匹狼になった時に疎外感を感じる」というデータがあった
nishioえっ一匹狼に価値があるのに?疎外感感じるってどういうこと?場に「みんなと同じが良い」って同調圧力があるの?
先輩には後輩が不安なく自分の意見を言えるように場の空気をコントロールする責任がある

なのでまず一人でやろう
human「チームでしかやったことがない、一人でやるイメージが湧かない」
事前アンケートから紹介
ブレストに使ってる人がたくさんいる一歩で「ブレスト止まりで文章化できてない」という問題意識を持っている人がいる
その反面で「記事やブログを書く時に使う」という人がいる
つまり「文章を作ること」を目的として使っている
これは川喜田二郎の「はじまりのKJ法」に近い
彼はたくさんのデータをまとめて文章にするために使った
西尾の経験にも近い
講義資料のスライドや、著書の執筆のために使った
human「文章化はしてない、スライドを作ってる」という声もあった
川喜田二郎の説明では「叙述化」に「文章化」と「(図解を示して)口頭発表」の2通りしかない
PowerPointやKeynoteでスライドを作ることが含まれていない
だけどスライド作りは叙述化の一つnishio
言及されてないのは1967年にまだそれらのプレゼンテーションツールが生まれてないからにすぎない
実際「スライド作りをイメージするとグループ編成がやりやすくなった」という意見が今までのnishioの経験で何人もから出ている
文章化という具体的な目的のためにやると手法の習得が容易になる

一仕事の達成が人もチームも育てる
文章やスライドを作ることの他にも色々な種類の仕事がある
「はじまりのKJ法」の目的は文章化だった
その後「色々な目的に応用できるじゃん」となって広義のKJ法的手法が派生した
その結果「KJ法の目的」が曖昧になり、よくわからない気持ちになる人が増えた
一仕事=自分で判断する仕事
対義語「作業」
主体的判断の経験が人を育てる
仕事のタスクは一見「やること」が決められているように見えるかもしれないが、あなたが判断して決める裁量が多少はある
判断力がある人にはより大きな裁量のある仕事が任され、ない人には裁量の小さい「作業」が渡される
先輩とチームでやっていると判断を先輩に委ねてしまいがち=主体的判断の経験が積まれない
判断力はどうやったら高まるのか
多角的情報を元に判断すること
多角的情報に基づくことで「判断」の質と自信が高まる
受講者アンケートの「どういう時に使っていますか?」の中からいくつか紹介:
human「新しい仕事を始める前」「自分の仕事の目的がわからなくなった時」「これからの作業を明確にする」「『何をやるか』を決める」
human「ぼんやりとした課題感がある時」「課題出し」「課題の構造把握」
human「優先順位に困った時」「スケジュールを立てる時」「計画書を作成する時」
何人もの人が「自分で判断して仕事を進めること」を目的に広義のKJ法的手法をつかっている
日々の判断に関して川喜田二郎は「探検ネット再論ーKJ法の実務化」の中で「考える花火」という手法を紹介している
川喜田二郎「考える花火は、私たちが生きていく上で日々発生する悩み事や困難、課題といったものに、一定の結論をもたらすことを目的としている」(p.304)
これを学ぶのがみなさんが今後の実務でKJ法的手法を活用するのに有益nishio

25枚程度のラベルでやる
まったく同意見なので「エンジニアの知的生産術」では「100枚ラベルが作れないならそもそも情報収集が不足してる」という趣旨のことを書いたnishio
しかし今回の勉強会の計画を立てていてKJ法を体験する最初の一歩は25枚でいいかもという気持ちになった
データを見ると「一人で最後までやりきる経験」がないことによってつまずいている人が多い
なのでまずは一仕事達成する体験をすることが重要
KJ法は枚数が2倍になると4倍難しくなる
タスクを小さくしてゴールまでの距離を短くした方がいい
これからジョギングを始めようって人がフルマラソンに参加するのはおかしい
川喜田二郎の「KJ法がわかるには100枚以上が必要」の「KJ法」は「はじまりのKJ法」を指している
考える花火のラベルは30〜60枚」とも言っている
日常的な実務に使う上では100枚を超える必要はないという考え
慣れてきたら100枚超えにチャレンジするのがオススメnishio
簡単な方から始めて、徐々に難しいことにチャレンジする

自分由来のラベルでやる
ラベルを見て「もっと詳しい情報が欲しいな」って時に何をするか
1: 自分の考えを書いたラベル
→「これをもっと詳しく言うと?」と自分に問い掛ける
2: 複数人のブレインストーミングなどから作られたラベル
→その意見を出した人に「これをもっと詳しく言うと?」と聞く
3: 書籍など「長文で記述されたもの」からピックアップして作られたラベル
→書籍の該当箇所を読み返す
4: 匿名アンケートの自由記述欄などの「短文で記述されたもの」から作られたラベル
→困る
アンケート対象企業の中の人に質問するとか…
たとえば今回の受講者事前アンケートでは複数人が「わからないこと」に「軸」「粒度」という言葉を使っていた
この「軸」「粒度」という言葉が、nishioの考える意味で使われてるのか、御社内で特有の意味で使われているのかわからない
そこで基さんにメールで聞いた。返事の文章を読んだらはっきりした
自分由来のラベルでやるのが一番簡単、匿名アンケート由来のラベルでやるのはかなり難しい
だから今回は自分由来のラベルでやる
御社では業務上の必要に迫られて「アンケート由来」の「100枚以上」のラベルをKJ法でまとめることがしばしばあるように見える
必要なのならやるしかないと思うが「とても難しいことにチャレンジしている」と自覚した方が良い
不慣れな人にKJ法を習得させる目的でやらせるのはスパルタすぎるように思う

探検ネットをやる
探検ネット(別名: 花火)
川喜田二郎「KJ法の双子の弟」「KJ法の実務化」
実務を目的として生み出されたKJ法的手法
目的が違うのだから手法に差が出るのは当然で「はじまりのKJ法」とは少し異なる手法になっている(see 考える花火誕生の流れ)
具体的にどう違う?
狭義のKJ法一ラウンド(第4章)では、グループ編成の要素として表札づくりをしてから、図解化の要素として空間配置をしている(p.123)
探検ネットではネットづくりの要素として空間配置して、統合図解化の要素として表札作りをしている(p.289)
要素の前後関係が入れ替わっている
グループ編成は実務に必要ではない
>KJ法が世の中に出た最初の体系は、六ラウンド累積KJ法であった。そのために、KJ法による問題解決には、時間がかかるという認識を植えつけてしまった。(p.436)
川喜田二郎本人は1981年からの5年間で1000枚ほどの作品を作っているがそのうち6ラウンドKJ法は8枚だけ(p.436)
6ラウンドKJ法は年に1〜2回しかやっていない
半年〜1年掛けて結論を出せばいいようなテーマに対してしかやらない
西尾の例で言えば「一冊の本を書く」みたいなテーマ
軽いKJ法は2週間に1回程度のペースでやっている
探検ネット(考える花火)は2〜3日に1枚くらい作っている
全体の9割程度のケースを占める
つまりほとんどのケースでグループ編成をしてない
なので「グループ編成が常に必要」はデータに反する思い込み
ではどういう時にグループ編成が必要なのか
端的に言えば「枚数が多い時」nishio
枚数が多いので直接空間配置ができない
なので
全体を眺めて「関係ありそうなものをくっつける」
グループにその内容を表した「表札」をつける
表札を一番上にして束ねる
束ねることによって見かけの枚数が減る、これがグループ編成の目的nishio
「グループ編成」という言葉にミスリードされてる人がいるnishio
「グループ」という言葉で、例えば「7枚とかのグループを作らないといけない」と感じてしまうのかな
human「どこにも入らないものがある」
nishioなら1枚のままにしたらいい
川喜田二郎「仲間を見つけられず一枚のまま、というラベルも沢山残る」(p.126)
human「グループって例えば7枚?」
nishioまず最初は2枚をくっつける気持ち
2枚でくっついたものに後からさらにくっついて枚数が増えることはよくある
川喜田二郎「ラベルのセットには、二枚一セットのものもあれば、三枚で一セットのものもある。なかには四枚や五枚で一セットである場合もある」(同)
くっつきあった結果として平均13枚になったケースが川喜田二郎の経験にあるが、それは例外的な出来事と考えている
>この例では第一段階の小グループのユニットが平均十三枚弱という多数になって いる。けれどもこれは採集した野外データの中に、文句なしに一グループとすべきものが相当多かったためである。...四、五枚などという紙きれ数やユニット数が一グループに含まれるのがふつうであろう。(続・発想法 p.72)
この「2枚をくっつける」をメインに据えたのが「探検ネット」

ツールによって得手不得手がある
今回の勉強会では全員Miroを使う、これは面白い状況
紙でやることが多いよね、多くの場合はクライアントのITリテラシーがマチマチだからかなnishio
探検ネットは2枚のラベルの間の関係を明示的に表現する
これが紙のラベルではやりにくい
川喜田二郎は「間にクリップ📎を置く」などの涙ぐましい工夫をしている
我々はMiroの「付箋の間に線を引く機能」を使って簡単に実現できる
なのでこの機会にみんなで探検ネットをやると学びが多そう
今回は「探検ネット」のいくつかのバリエーションのうち「考える花火」をベースに、この勉強会の制約に合わせてカスタマイズしたものをやる
オリジナルの「考える花火」もきっと皆さんの業務に役立つので興味があればKJ法 渾沌をして語らしめるのp.304〜311の解説を読むといい

真ん中にテーマを置き360度の方向に広げる
まずは真ん中に一回り大きなラベルでテーマを書く
このテーマから連想したものを新しいラベルとして追加して、線でつなぐ、そのラベルから連想したものをまた新しいラベルとして追加し、を繰り返す
マインドマップの経験がある人は連想を書いてつないでいくことがイメージしやすいかも
マインドマップはツリー構造を作るけども探検ネットは網目を作る(後述)
今回はラベルを事前に書いてもらった
タイムプレッシャーをかけて書き出しをすると、焦って雑なラベルが作って、そのせいで後のフェーズが全部グダグダになることがある。それを避けたかった(see ラベルづくりにタイムプレッシャーをかけてはいけない)
テーマから連想を広げた時に、既存のラベルをチラリと見て、つながりそうなラベルがあれば拾い上げてつなぐ
「事前に用意したものを全部繋ぐこと」は目的ではない
使えそうなら使うという感じでOK

今回の目的
〜ではない
「事前に用意したラベルを全部つなげること」ではない
「データをきれいにまとめること」ではない
「きれいな図解を作ること」でもない
「スラスラと説明すること」でもない
今まで気づいていなかったことに気づくこと
これが「発想」だったり「悩みの解決方法の発見」だったりする
何か一つでも自分にとって新しいことに気づいたなら成功
難しいと思う人もいるだろう、これを「できるだろう」と思えるようになることが大事

関係を線で表現して網目状の構造を作っていく
探検ネットではグループ編成をせず2枚の関係を線で表現する
KJ法のグループ編成で悩む人が多いが、探検ネットをやることでコツが掴める
「グルーピング」「分類」「カテゴライズ」「軸を作る」ではなく、関係ありそうな2枚をくっつける
対立するラベルも近くに置く
ラベルを周囲とたくさん線が引かれる場所に置く
線はなるべく短い方がいい
この作業をやっていくとこういう網目(ネット)ができる

みなさんの見ているMiroのボード上で実際に作ってみた
網目ができた時点ではグループに分かれていない
網目を作っていく過程で例えば「多面的に考えてたつもりだったけどいざ並べてみるとテーマの周りに隙間があるなぁ」となったりする
「この隙間を埋めるものはなんだろう?」と問いかけることで気づきが促される

網目ができたら2〜3枚ずつペンで囲う
2〜3枚、多くても4〜5枚をめどにして囲う
これがKJ法のラベル集めに相当する
どこにもうまく入らないものはもちろん1枚のままにしておいてよい(一匹狼)
(Miroでは)フレームを使うと良いかなと思ったがやりづらかったのでペンで囲うことにした
囲ったら要約してタイトル(表札)をつける
「どう要約したらいいだろう?」と問いかけることが気づきを促す
狭義のKJ法と違って束ねないので「表札だけで意味がわからないといけない」という制約がない(see 表札の使命)
多少失敗しても中身を読めば意味がわかるので気楽に要約して良い
この「囲んで表札をつける」を囲みが5〜6個になるまで繰り返す

気づきに注目して叙述化する
作業が終わったら、まずは一息ついて全体をじっくりと鑑賞する
その過程で思い付いたことがあれば加筆して良い
その後、叙述化する
きれいな長文を書かなくて良い
それは今回の目的ではない
再掲: 今回の目的は「何か一つでも自分にとって新しいことに気づくこと」
なので「気づいたこと」に注目して言葉にする
叙述化も目的によってやり方の違いがある by川喜田二郎
収集した事実の報告のための叙述化
これに慣れてる人も多いかもしれないが、今回はそれが目的ではない。
川喜田二郎「発想のための叙述化」(p.141)
気づいたことや思い付いたアイデアを文章にどんどん入れる
今回の勉強会では元ラベルの全体像を報告することは重要ではない
ので「気づき」を話のメインに据え、必要最小限のラベルだけ解説すれば良い
なぜ気づきに価値があるのか
それが「自転車が前に進む」ということだから
今までと同じことを繰り返していても問題は解決しない
既に知っていることを再確認しても何も学べていない
先に進むためには「今までの考えに反するもの」の良さに気づくことが必要

今回の勉強会の制約
理想のテーマは自分が今まさに悩んでいること
だけどそれは他人と共有したくないよね
例えば自分のキャリアを真剣に考えるなら「転職」は検討すべき選択肢の一つだが、同僚もいる前で転職するかどうかの検討をしたくないよね
他の人の作業を見ることのメリットを優先した
理想としては時間制限はない方がいい
納得いくまでじっくり考える経験が有益
一定時間後に発表予定があると、他人の目を気にして見た目の体裁を整えようとしてしまう人がいる
目的はしっかり考えて、何か新しい気づきを得ることなのに
他の人の気づきを聞くことのメリットを優先した
多人数で所用時間を揃えるのは難しい
速い人も遅い人もいる
遅い人が悪いとも限らない、ろくに考えずに体裁をサッサと整える人がいる
自転車のスタンドを立てたままブンブン回してるようなもの、負荷が掛かってないから速く回せる、それをやっても前には進まない
今回は「最初の30分で網目状にならなかったラベルは放置して先に進む」とする
遅い人は枚数を減らすことで時間調整する発想
「全部使おう」として時間を使いすぎた人が、肝心の後半を焦りながら雑にやってしまう、これでは良くない
後半を雑にやるくらいなら、全部使えない方がマシ、だから後半にじっくり時間を使うことを「ラベルを全部使うこと」より優先した
時間の制約がなければ、本当はすべてのラベルを使おうと挑戦する方がいい
「これはどうすればつながるのだろう」という問いかけが気づきを促すから
時間が余った人
じっくり鑑賞して思いついたことをどんどん加筆すると良い
これは川喜田二郎もおすすめの方法
他の人の作業を見に行っても良い
この勉強会が終わった後に、他人の目を気にせず、自分が本当に考えたいテーマで、じっくり一人でやってみて欲しい
この経験が「KJ法的な考え方が腑に落ちる」ためにとても重要nishio

休憩時間〜