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教える側と教えられる側が話題によって入れ替わる

森鴎外の小説に勉強態度がうかがえる話があった
>「安国寺さんは、私が小倉で京町の家に引き越した頃から、毎日私の所へ来ることになった。私が役所から帰って見ると、きっと安国寺さんが来て待っていて、夕食の時までいる。この間に私は安国寺さんにドイツ文の哲学入門の訳読をしてあげる。安国寺さんは又私に唯識論の講義をしてくれるのである。安国寺さんを送り出してから、私は夕食をして馬借町の宣教師の所へフランス語を習いに往った」『二人の友
知的トレーニングの技術、花村太郎、p.49
小倉赴任時代の話
こんな具合に、誰かに向けて自分の知ってることを講義してみるなんてのはどうか
Scrapboxだと時間があえばリアルタイムに教えられるのがよさそうkuuote
自分はこれについてチョット伝えられます!みたいなことをuserpageに書いておくcFQ2f7LRuLYP
あとから参加した人が完全上位互換かもしれないけれども!
むしろそういう人に来てほしいkuuote
同じジャンルで先行している人から学べるチャンスはとても貴重
>少しのことにも先達はあらまほしき事なりけり〈徒然草
なるほどkuuote
あまり古典というのに興味がなかったが(授業でやらされたという感覚が抜けていない)最近面白さに気が付いた
昔の人の考えに触れられるという面白さ
昔の考えで今でも有効なものは今後も長期間有効な可能性が高い、と言えるんじゃないかと思ってるnishio
知識の陳腐化を避けようとすると〜

> 仮に学校のような場所になるとして、ここだと教える側と教えられる側が話題によって入れ替わるだろうし、そうしたい気持ちがあるkuuote
> これは話題を限定しないことによるメリットになると思う
> やりたいtakkertakker