GTD的
上記を拝読してそういえば、
「文章を書く」とGTDで、まとめきれていなかったことを思い出しました。で、ひとつ思い当たったのが、人によって、どこまでやればGTDと言えるのか、どこまでやっていることをGTDと呼ぶのかに違いがありそうです。
私は「望んでいる結果に対する次にとるべき行動を考える(望んでいる結果は何か、次にとるべき行動は何か)」ことと、
GTDの5つのステップだけでもう「GTDいいよー!GTDやってますー!」と勝手にうそぶいています。
>私は何かの意思決定をするとき、「事前に考慮された」選択肢から直観を信じて選ぶようにしている。その場で「どんな選択肢があるかな……」と考えたりはしない。
文字通り受け止めてしまうならば、選択肢をあげているだけで日が暮れてしまいます。程度の問題といってしまえば、それまででですが、上記ができていないからGTDではないならこの世でGTDができている人というのは、おそらく存在しないでしょう。
望んでいる結果に対する、次にとるべき行動を考える
GTDの5つのステップを実践している
(週次)レビューをしている
ネクストアクションリストを使っている
連絡待ちリストを使っている
2分以内でできることならば、ただちに実行する
Horizonモデル(旧高度モデル)を運用している
ナチュラルプランニングをしている
トリガーリストを作っている
「事前に考慮された」選択肢から直観を信じて選ぶようにしている(その場で「どんな選択肢があるかな……」と考えたりはしない)。
などなど、上記のうちのいくつかをやっているならGTDと言えるのかなどの境界線はあいまいなように思えます(特に一番目は
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の考えからだと
人間のワークフローを踏襲しているので人類皆GTDerになってしまいます)。
言えることは、あくまでGTD的かどうか、ぐらいなのかもしれません。そうして思うのは、もうそろそろ自分がGTDの皮をかぶった別の何か(もしくは、逆でGTDの皮をやぶって別の何か)をしていることに気づくべきなのかもしれません。
曖昧になっているとも言えますが、正式なGTD(ただしいGTDの作法)とは距離を置いている感じを受けます。
で、玄武さんがおっしゃるように、GTDは人間がやっている判断をシステム化していることなので、頭を使って考えることをわずかでもしているなら、それはGTDと重なる部分があるので、あれもこれもGTDだといってしまうと、じゃあGTDって何? それって人間が考えていることとどう違うの? という話につながりかねません。
その意味で、GTDは個々の要素については何も特別なことをしていない、というのが
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の考えです
というか、特別なことをしているならGTDは特別な訓練を積んだ人にしか使えない技能になってしまうでしょう。
じゃあGTDって何なのかと言えば、それぞれを構成するパーツに特徴があるのではなく、GTDよりも前から仕事術として言われていたこと(たとえば以下のような話はGTDのはるか前から言われています)
処理する前の情報を一ヶ所に集めて、それを判断して処理していく
次にやることをはっきりさせる
必要なリストを作っておく
といったものを、「一つのシステム」としてまとめた功績にその特徴があると考えます。で、そのシステム化に伴い、
処理のためのワークフローを標準化した(以前の仕事術ではあのようなフローチャートはありませんでした)
レビューを導入した(これは「システム」にするために必須)
の二点だと考えます。
ですので、レビューがなければGTDをやっているとは言い難い(GTDの要素を自分のやり方に導入しているとは言える)ですし、また処理のためのワークフローを独自にアレンジしているならそれもやっぱりGTDとは言い難いと思います。
本来、あの処理のためのワークフローはそれぞれの人が違ったことを考えるはずですが、それを規格化したところにGTDの特徴があり(だから、考える事が苦手な人でもできる感じがした)、そこがGTDの限界だとも感じます(たとえばADHDの人は、書き出して処理していくことがかなり大変らしいです)。
たとえば、マインドマップの書き方には正式な決まりことがいくつかあるのですが、それを一切無視して、中心から放射状に描いてあるだけのものを「マインドマップ」と呼んでしまえば、「マインドマップ」そのものの特色が見えなくなってしまうと思います。でも、それはたしかにマインドマップ的ではあります。
どちらが優れているとか劣っているとか、正しいとか間違っているとかではなくて、そのメソッドおよび名づけが限定しようとしているものと、そこからの距離感は個人的には大切にしたいと考えています。
たぶん「この部分はGTD的だし、この部分はマニャーナの思想を受けているな」的なモザイク状の集まりとして、それぞれの人の〈自分のシステム〉(R-styleで絶賛連載中)が立ち上がっていくのでしょう。それに特別な名前を付けてもいいですし、付けなくてもいいですし、という感じで。
>といったものを、「一つのシステム」としてまとめた功績にその特徴があると考えます。で、そのシステム化に伴い、
> 処理のためのワークフローを標準化した(以前の仕事術ではあのようなフローチャートはありませんでした)
> レビューを導入した(これは「システム」にするために必須)
このページを書きながら、GTDの本質って何か(それがなくなるとGTDでなくなるものは何か)と考えて、けっきょく答えが出なかったのですが、倉下さんが書いてくださって理解が進みました。
>自分がGTDの皮をかぶった別の何か(もしくは、逆でGTDの皮をやぶって別の何か)をしている
なるほど、これが〈自分のシステム〉なのだろうと思いました。
〜〜風もいいですね。料理を彷彿しました。シェフの気まぐれサラダならぬ自分の気まぐれGTDぐらいで、自分のシステムでやっていくのもよさそうです。
レビューは完全に気まぐれのタイミングでやるようにしています。自分の気まぐれレビュー。
そういえば、アウトライナーでタスク管理をやる人なら誰でもやっていることだと思いますが、最近
自分なりのアウトラインを作ることをOmniFocusで意識しています。