「文章を書く」とGTD
>たぶんここが創造的行為と相性が悪い→"私は何かの意思決定をするとき、「事前に考慮された」選択肢から直観を信じて選ぶようにしている。その場で「どんな選択肢があるかな……」と考えたりはしない。その場で考えつく選択肢だけでは正しい優先順位で行動しているとは言えないからだ。"
>基本的な物事の進め方はこれで良いと思います。ただ、たとえばある原稿で何を書くのかは、「書いてみないとわからない」部分があって、事前にそれを検討しすぎることで、そこで出てくるはずのものが出てこなくなることの弊害という論点も検討されるべきだとも思います。
>>「文章を書く」とは、さまざまなことを「決めていく」行為にほかなりません。
> > ・「よし、この章の方針はこれで行く」と決める。
> > ・「この概念の用語はこれにする」と決断する。
> > ・「説明は後回し。まずは例を提示しよう」と定める。
> > そのような決めごとを一つ一つしていかないと、文章は前に進みません。
> タスク管理的な情報処理のプロセスが役立つのは、こういう側面が大きい。
> 一つひとつ「決めていく」ことが、どこかの段階では必要になる。
> その段階に至るまでは、いろいろ広げていくことも有効である。
> 必然的にこれは、何かを捨てていくこと(別様でありえるかもしれない可能性を消していくこと)でもある。
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考える材料は集まってきましたが、まだ自分のなかでまとまらない感じです。
どこまでがGTDか(どこまでをGTDと認識するか)ということも関係しそうです。