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日記2023-12-17

縦に深い概念という表現が適切か?


個人のScrapboxにおいていると他人が書き込むことはない
共用のScrapboxにおいていると他人が書き込むことがある
後者によって「未知の発展」があることを期待している
でもこれは確率的な事象:
発展するかどうか
発展したものが有益かどうか
有益な発展を自分が理解できるかどうか
確定で価値が出るものではなく、確率で価値が出るもの
自分の期待にフィットさせることの責任は自分にある、他人にはない
それを「他人に期待しない」に書いた
ところで「他人」に「AI」を代入
少なくとも「読んでコメントを書くこと」までは強制できる
発展はする、その発展が有益かどうかは確率的
有益な発展の責任はAIではなく自分にある


Xさんは概念AとBの間にリンクを持っている
Yさんは概念BとCの間にリンクを持っている
この時、それらの概念間の主観的な距離は二人で異なっている
XさんがAとBを関連づける発言をし、YさんがBとCを関連づける発言をすると、二人とも「遠く離れたAとCの間のリンク」を獲得する

一歩手前の質問で描いたような
知識をベン図的に描くこと
複数人の知識を一つの図に重ねて描くこと
一つの図に重ねて描くことによって、暗黙に共通の距離空間であることを仮定している

これを踏まえて一歩手前の質問の図を見返してみる

Aの知識集合を仮定して、Aの知識集合の端の質問をした: QA
これはAの人に理解できて、かつAの外に踏み出す機会になることを意図したもの
僕本人の問いはQBなのだけど、それは直接は伝わらないと思っている
XとYの説明はすでに書いたものと変わらない
Zの説明が変わる
Aから遠い回答Zが出てきたように感じたのは、僕Bの主観的な距離空間においてリンクがなかっただけであり、Cさんの主観的距離空間においてはリンクがあって「近い位置」だった
問いQA自体への回答ではなく「難しい問い」という概念へと「一歩引いて」から回答している


縦に深い概念という表現が適切か?
これは少し違うかも
数学やプログラミングにおいては論理的な緻密さによって自然言語での思考よりも縦に長い概念ができる
その概念からアナロジーで他の分野に知識が移転する
アナロジー

今日の日記について
昨日Dr.Stretchをして、夕食後に寝落ちして、それから布団に移動してまた寝て5時くらいに起きた
よく寝た?
それによって起きた後に頭の中にアウトプット待ちの結晶がいくつかあった
わかりやすい説明の形にはなってなかった
とりあえずアウトプットした
それを書いていくうちにだんだん明確になっていった
この現象自体が面白いので保存しておきたい
切り出すとわからなくなる
一方で切り出した方が良さそうなコンポーネントもある
どうしたものやら

カード型データベース(情報カードなど)は日本に限らず使われてきた(ツェッテルカステンなど)
過去に自分が書いたカードに出会うことが有益だからだ
(これはちょっと怪しい。この目的のためには冊子のノートに書き溜めたものを読み返すのでもOKだから)
なぜ過去の自分が書いたものに出会うことが有益なのか?
過去の自分は今の自分と視点が異なっているからだ
異なっているとなぜ有益なのか?
違う視点の人と対話することが気づきにつながるからだ
他人は違う視点を持っている、単に他人との対話でよいのでは?
他人が自分の今発展させたいテーマについての知識を持っていない時にそれの伝達コストが掛かる

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