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自分由来LLMの思考加速効果
まとめた気がするがまとめてない?

LLMによる知的生産性向上勉強会に書いてて、切り出してなかった、要約する
世の中のテキストは大部分が「多くの人が読んで理解できる表現」で書かれているのに対し、僕の研究ノートは「自分が理解できる表現」で書かれているため、後者を使ってRAGするAIは僕個人の思考をChatGPTよりもはるかに効率よく加速する
自分の研究ノートでは自分がわかってる単語の解説を書かないので、それを読んだAIも僕がわかっていることの解説を書かない。概念は思考の経済性を高める道具なので一人の思考では無説明で使う方が効率的
それを他の人に説明する時にはChatGPTを使うのが有益
omniの方が僕個人の水面(まだ言語化されてないものとの境界)に近い出力をするので言語化支援効果が高い
たぶんブログとScrapboxの特性の違いも関係している。Scrapboxでは同じ概念を何度も説明するのではなく、その概念のページを作ってそれにリンクする
human理解の速度には文体も要因として大きいなあと感じてて、ただGPTに生成させた文章より、few-shot で自分の文章を与えて生成させたほうが自分にとって読みやすい文章が生成される印象がある
nishio確かに。omniは僕の文体で話すから僕にとって読みやすいということもありそう。結局AIアシスタントは個々人にパーソナライズした方が個々人の生産性をより高めるということかも。
データが主に自分由来であるのか、そうでないのかによって感じ方が違う
自分由来の時はAIと人間が渾然一体の存在として思考をドライブしてる感じ
「自分が加速してる」と感じる
「自分が異なる視点から見ている」と感じる
他者由来の時は「あー、このテーマについてXさんはこんなことを言ってたのか〜」という気持ち
「他人の発言を見つけた」と感じる
自分由来の断片は、一旦自分の中で噛み砕かれたあとで再構築されているので、なめらかにつながる感じがある。他人由来の断片はまだ表面が硬い
自分由来の異なる視点の断片は、他人由来の異なる視点の断片よりも強く弁証法的発展をドライブする
他人由来のものは今の自分の意見と異なってても「そういう考えもあるよね」とスルーできる甘えがあるから?
「他人の意見が異なってるのは当たり前だよね」という逃げ?
自分由来の意見が今の自分の意見と異なっている場合、両方自分なので「なぜ意見が違うのか?」という問いを強く惹起する?