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さよなら絵梨
藤本タツキの短編(200ページ)
2022/04/11公開

実況
最初
これ動画サイトに投稿すんのかな?
画面がスマホカメラ視点で進むので、ブレで心理多分表現するんだろうな
カメラ自体が投げ出されたりする可能性もあるな
序盤のアレ
・え?!
p.46 Fight Club
p.54 俺らの話になってきたな
「映画好きの俺たち」
最高の創作が通じずに嗤われる苦痛
実際に自分は映画のミームを持ってないのでこう言う経験はない
気の長い話
p.57 これがタイトルの
p.60 この痛々しさ好き
p.64 めちゃくちゃな女で好き
自己肯定感が異様に高い
イカれてる
自分が良いと思ったものを信じる強度が異常
p.67 定点カメラで時間圧縮&関係性変化
p.70 映画見ろ!!
p.75 絵梨の方が上手
クリエイティブへの熱心な姿勢は最初から一貫してる
p.78 やり手編集かよ
p.80 絵梨は表面的な倫理観という定規ではなく、自分の定規を持って測った
p.86 母親の死は撮ってなかったんだ
p.94 わかるぜ
p.96 チラッと見るのやめろw
p.99 オヤジはもう一段理解レベルが上
p.109 映画なのか実話なのかわからなかった。前段のお父さんにページ数をさいたのはこのギミックのためか!まんまとやられた
p.125 衝撃
p.128 物語の見方が変わる。これで大衆の倫理観だけを持った人も当事者になれる
p.129 え?!絵梨はこれを見抜いてた?
p.142 青春
p.146 いっすね
p.157 マジかよ!どこからどこまでが映画なんだ!!
p.163 本誌連載じゃできない演出きたーーー
p.169 物語構造がメタに主体になってきたな
p,171 明らかに前回よりも施設が劣化しており、、年月が経ったことを感じる
p.181 (2周目で気づいた)メタ発言
p.182 これがファンタジーなのか作中作なのかぜんぜんわからないが、画角がスマホカメラのFPVじゃなくなってる!
p.187 自分をよく撮ってくれる人を探していたのはこのためか!
p.189 画角がちょこまか動いている。手持ちのPFVでは全然ない
p.191-192 絵梨は自分とユウタを思い出し、ユウタは綺麗な絵梨を思い出す。忘れても
構図が交わっていないので、時間軸が違うことを示唆している?
素直に描いたら右と左の配置は逆になる
これは象徴的なシーン
p. 200 結局どっちなんだーーーー
この爆発は最初の爆発より凝ってる
さらに複数の可能性
途中から自分の物語になってる
それとも最初から最後までが一つの作品
どこまでがファンタジー要素なのか
やはり爆発?
CGは使っていないと仮定する
物語構造に入ってない要素で説明はしないだろう
p.171の映像はやはり、後から撮影されている
理恵とおじさんが話すシーンを撮影することはできないから、あそこは本物?
p.177の画角は取りようがない
あーー!!!あとから編集してた?
これ伏線か?
読み返す
p.77


初読ではこう言う話だと思った
p.164までは一つの作品
母親は死んだ
絵梨は死んだ
絵梨とは付き合っていない
作品にとって出して泣かせた
165-166
モノローグ以降は本当の話
時間は確実に経過している
大人になってる
p.176の絵里は本物の吸血鬼か、長いこと動画をいじっていた主人公が見た幻覚
奇妙な体験をした主人公は、絵梨の指摘を受けた通りに自分の物語にケリをつける
ラストの爆発は追加で撮っ手付け加えた映像。最高だろ?
自分の面白いと思った原点であるファンタジーが足りてなかったと言うことが読者にわかる
他の見方もある
読者はクソ映画を見せられた同級生?
物語にはいいところと悪いところがあり、切り離して成立しない?

他の説
最後の一家が死んだあたりの下りや絵梨復活は嘘で、主人公が育ってから後から付け足した説
ここまで含めて最初からカットを取っていた
若い時に撮っていたけど、漫画的演出でおじさんになった説
画面演出から実際に年齢を重ねているように感じるんだよな
過去のカットを繋いだとしたら違和感がある点
廃墟の背景が汚いのは昔からだから判別できない
漫画の冊数は違いそう
p.177画角は時間軸的に取れないはず
191-192はスマホで見てると見開きを読み違えただけで、これはあとからとれる
ここがどうにも気持ち悪い
CG説支持の見方
第4の壁を超えている
p.182あたりからハンドヘルドカメラの画角じゃないからこの説はあまり採用したくない
ただこれは、過去に撮ったカットを切り貼りしているのだと考えると逆にそう言う演出に見える
ラストの爆発は本当の爆発説もある?
ラストの爆発まで含めて学校で放映された結果説
p.154はは放映後じゃないと取れないカットだし、p.157は本当の話のように聞こえるから納得しづらい
映画は一旦終わったが、また追加で編集して撮られたと言う解釈
ストーリー進行だと思しき場面も全てがスマホで撮られた画角であるから、視聴者は1ページめのさよなら絵梨#6253ab48774b17000084c135から最後までの映画を見せられているという解釈
序盤の絵梨との会話は学内の劇中劇では放映されていないだろうからそういう演出だと流したが
そこも含めた再編終盤を読者は見ている
「ファンタジーをひとつまみ」というセリフをなぜ絵梨が言えるのか?
最初からここまで設計されていれば撮るチャンスはある
こちらの解釈の方が深みがあるが、リアクションが本物ではなくなることを許容するか?それがファンタジー?
p.181の4コマ目も合成?
最後の絵梨との会話のシーンはそれまでと比べるとかなり複雑なカメラワークになっている
一人でこれをとったとすると説得力が少し下がる
一人じゃないのかも?

作劇上の面白ポイント
ほぼ全編がスマホカメラ
通常の漫画なら絶対不要な床とってるだけのコマが入る
定点カメラではないが、基本的には同じコマが連続するコマ割りが多用される
前作でもこのような演出をやっていたルックバック#60f4c369774b1700001d5ca1
コマ割りに縦で割ったところがない!
縦方向の抜けを出すことができない
大駒1ページ使ってる
これを前提とした演出が入っている
ページを贅沢に使った演出さよなら絵梨#62532d7b774b1700002924ba
人物の細かな動作に表現をこめている
こういう漫画は過去に読んだか思い出せないぐらい特殊
主人公の動きでカメラ=画面がブレる
スマホカメラがデフォルトなので、そうでない時=通常の漫画では普通の時開放感がある
逆に言えば、スマホカメラ視点は窮屈な画面だから、読者にはややストレスががかっている

混乱ポイント
どこからが創作でどこからが現実なのかわからない
学内の発表会(1回目)
できごと
母親の死
学内の発表会(2回目)
できごと
絵梨の死
〜最後
ユウタが追加撮影&再編集した動画(ユウタの未発表の動画)
視聴者(第4の壁)が見ている動画?
ユウタの心象風景?
できごと
時間の経過
妻と娘と父親の死
自殺を試みて絵梨と再開する
第二部までは完全に主人公の話だが
第三部はタツキ監督が自分の話にした
タツキ監督が撮影している
だからカメラも綺麗に浮く
イマジナリーラインも割らずに演出する
お前らは俺の映画の上映会に強制出席じゃ!
タツキは常に俺たちの視点をずらしている

元ネタ映画
作品のパロディ元はぼくのエリ
吸血鬼だし
いかれた幻覚