ルックバック
つまらなければ、ほかにとりえがあれば、創作はやめてしまう
他人のほうが圧倒的うまければ、創作はやめてしまう
舞台が田舎なので、井の中の蛙にはなれている
尊敬している1人に褒められれば、創作は続けられる
描いていてなんになる、とは人から言われなくても自分でも思う瞬間がある
称賛より貶められる方が傷つく(プロスペクト理論的な)
漫画を描くのは、楽しんでくれる人がいるから
方向性の違いでバディは分離する
気持ちが強い奴は、どんな道でもやる
これについては、幻想を抱きつつそれはやや希望に溢れすぎているとも思う
物語は救済である
自分の表現はどう受け取られるかわからない
自分にとっては価値のないものに思えても、他人に深く刺さるかもしれない
狂人が意図しない何かを読み取るかもしれない
類似の事件(2019年7月18日。つまり公開日のほぼちょうど2年前)
他にも類似の事件が出てくる
> 気がつきましたか、効果音、2箇所しかありません。
このシーンはどちらも時系列的に同じで、世界線と視点が違う
どちらの効果音も、音というギミックが必要だから書いている
打撃音とかの擬音のかきもじが存在しない
作中に懐かしい本が結構出てくる(どれも版数をかさねた定番書)
はじめてのデッサン
ちりばめられたネタ
Don't look back in anger
1ページ目 "Don't"
作品名 "Look back"
最終ページ "In Anger"
Oasisはマンチェスター出身のバンド
Don't Look Back in Anger 過去のことを振り返って怒りにのまれないで
しかしLook backでもあるので振り返りはしろとも読める
Lookbackはダブルミーニングっぽい(後述の感想で述べる)
トニーリチャードソンのLook back in angerとかかっていると言う説
本なのでJohn osborneのものだろうが、Look back in angerの本にコマのようなパッケージはないから、

は違うんじゃないかと思っている
PDFに唯一それっぽいのはある
TUAD
>1969年にハリウッド女優シャロン・テートがカルト集団チャールズ・マンソン・ファミリーに殺害された事件を背景に、ハリウッド映画界を描いた作品
>マンソンは数件の残忍な殺人事件を計画し、ファミリーのメンバーであるテックス・ワトソン、スーザン・アトキンズ、パトリシア・クレンウィンケル、リンダ・キャサビアンに実行を命じた。これがマンソンを象徴する有名なテート・ラビアンカ殺人事件である。1969年8月9日、ロマン・ポランスキーの妻で当時妊娠8ヶ月だった女優のシャロン・テートと、元婚約者で世界的なヘア・スタイリストのジェイ・セブリング、夫ポランスキーの親友ヴォイテック・フライコウスキー、その恋人でコーヒー財閥の相続人アビゲイル・フォルジャーが自宅で惨殺され、数日後、同じ手口でスーパーマーケットチェーンのオーナーだったラビアンカ夫妻が殺された。
イワシ(@seko_champloo)
>でありながら、『ルックバック』はきちんと『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』のオマージュをやってますね。
画像あり
成田良悟@色々執筆中(@ryohgo_narita)
>ルックバックについて最後のページにあったタランティーノ監督の『ワンスアポンアインハリウッド』に絡めた話を語りたいのだけれど、まず前提としてワンスアポンアタイムインハリウッドを観ていないとそっちの映画の物凄いネタバレになるので語れないというジレンマ。
遺族のそう言う報道、あったっけ
人間が大好き(@hito_horobe)
>ルックバック、元ネタのヒントを多く見せて元ネタ探し競争してくれという藤本タツキのサービス精神があって、それはこの重すぎるテーマでも元ネタを経由して気楽に言及できるという救いでもあるんだな〜って思った、まさしく作中で示した物語の救済の効用そのものだと思う

感想
物語の構造としては不思議
ギミックが特に解説されていない
京本が死んで、部屋を訪ねた藤野が自分の過去を振り返り、京本を引っ張り出さなければと後悔して、自分が漫画を書いたことを悔やむシーン以後、「これ、どういうこと?」となりそう
破いた漫画は過去の京本に届き、ここから藤野が京本を引きずり出さない別の世界線が始まる。この世界線では別の世界線で藤野は京本を助ける。京本が昔を思い出し、4コママンガを書くと、扉を通してもとの世界線に漫画が行く。
「扉」の向こうとこちらは、漫画を通してだけつながっている
元の世界線で漫画を読んだ藤野が扉を開けると、そこは死んだ京本の部屋。藤野は京本の部屋に入って、別れたあとも自分の連載を追っていてくれたことを知る。大昔に書いた自分のサインがまだとってあることを知る。京本にとって、藤野は掛け値なしの尊敬の対象だった。
その部屋を見て藤野は昔を思い出す。漫画を書く理由は、京本に見せたかったからだ。京本=漫画の読者のために、連載を再開するために藤野は職場へ戻る
「連れ出さなかった世界線」でも京本は美大に行って殺されそうになっている
藤野のせいではないという救い
京本の絵が上手くなりたいという意思の強さの表れ
藤野に連れ出されなくても、引きこもりから抜け出せている証明
そんで藤野も漫画を大学以後に描き始めている
この世界線でのデビューはなかなか難しそうだけど、やると決めたら全てを投げ打って進む藤野なら可能かもしれない
全てを投げ打つシーンは序盤で印象付けられる
成績が悪くなるまで漫画を描く
同級生にキモがられても漫画を描く。しかも2年も続ける
雨の中帰ってきたら、濡れたまま漫画を描く
藤野のクリエイターとしての背中がたくさん描かれる。タイトルのlook back"背中をみよ"はここにかかってる?
藤野と京本で藤本。TUADの美術科洋画コースは実際タツキ先生の出身
時の流れ
11が増えているのは重版がかかっているかららしい
下のコマは描ける気がしない。こんなに繰り返さなくてもいいじゃないか、と思ってしまう
このように連続したほぼ動かないコマがわりとでてくる。2ページ目の2-4コマ目はなくても成立すると思うのだが、ある方が緩急はつく?
時間経過表現には見えない
1→7コマ目までとんでもいいはずなのに、そうしていないのはなぜ?
読者はコマを読まなければならない=読者がすぐめくれない?
作中時間は一瞬だが、読者の時間は無駄に食うのでスローに感じる?
実際は読者は見る時間は少しだけど
その一瞬が店舗調整になる?
物語の説明のときは、
アイレベルをキャラクターから外して俯瞰視点になっている
キャラの感情にフォーカスしたときはキャラまで下す
後の解釈が難しいパースがあるらしい