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知ってるつもり――無知の科学

>目次
> 個人の無知と知識のコミュニティ
> 「知っている」のウソ
> なぜ思考するのか
> どう思考するのか
> なぜ間違った考えを抱くのか
> 体と世界を使って考える
> 他者を使って考える
> テクノロジーを使って考える
> 科学について考える
> 政治について考える
> 賢さの定義が変わる
> 賢い人を育てる
> 賢い判断をする
> 無知と錯覚を評価する


説明を求められると、そこで初めて自分の理解が浅いことに気づく p19
>ここで言いたいのは、人間は無知である、ということではない。人間は自分が思っているより無知である、ということだ。私たちはみな多かれ少なかれ、「知識の錯覚」、実際にはわずかな理解しか持ち合わせていないのに物事の仕組みを理解しているという錯覚を抱く。
自分の知識なのか、他者やコミュニティの知識なのかの明確な線を引けていないから、錯覚が起きる

SFや小説は、反事実的思考によって物語を妄想する
前向き推論の練習になる
「もしXXしたらYYになるかもしれない」を様々な状況で思考する

反科学主義コミュニティへの忠誠心があるため説得するのが難しい
地球温暖化への懐疑者
科学的な根拠を見せれば見せるほど、反感を買ってしまう
「我々が間違っていると言いたいのか!?}
グループシンクに陥ってしまう